各種文献から、この辺りにあった機関車牽引による鉄道路線について書き出してみた。他に炭鉱の専用線やIncline (鋼索式)の路線もあったが、多過ぎるので代表的な路線のみ記載。路線名称も沢山出てくるので、番号を付けてみる。
ネットで詳しい路線図を見つけた。
こっちは廃止区間も含めた路線と、道路、河川を描いたもの。マス目をクリックすると拡大。最初からこの地図を見ていたら、文献を読むのが楽だったのだが。
https://sites.google.com/site/waggonways/railways-durham
こっちは鉄道路線と炭鉱を描いたもの。これもクリックすると拡大。炭鉱だらけで、毛細血管の様に専用線が敷き詰められていたのが判る。
https://www.dmm.org.uk/maps/1898-00.htm
以下の建設慨史と地図を見比べて貰うと、どこをどう繋いだかが判って頂けると思う。
Stockton & Darlington鉄道 [1]
1825年にAucklandから現在のDarlington North駅を通ってStockton付近のTees河港まで開業。1830年にTees川を渡ってMiddlesbroughへの支線を開業。1846年に海沿いのRedcarまで延伸。
子会社Bishop Auckland & Weardale鉄道 [2]を設立し、Shildon付近のSohoから、1842年にSouth Churchまで、1843年にCrookまで延伸開業。Weardale Extension鉄道がその先Waskerleyまで延伸したが、1847年に買収。Bishop AucklandからRedcarまでの区間は現存。
Clarence鉄道 [2]
当初Tees & Weardale鉄道として計画されたが、後にClarence公(後のWilliam4世王)に肖って改名された。
1833年にAycliffeとTees川北岸の新港Port Clarenceを結ぶ路線を開業。途中で北に分岐してDurhamに向かう路線も認可されたが、難工事で資金が枯渇し、1834年に途中のFerryhillまで開業。1841年までに周辺の炭鉱への支線を建設。S&D鉄道[1]と競合していた。
North Eastern鉄道[3]に統合後、1915年にShildonからTees川南岸のNewport Yardまでを試験的に直流電化し、石炭列車を電機牽引に切り替えたが、第一次大戦後の不況で貨物輸送が激減し、1930年に電気運転を中止、電化設備を全て撤去し、蒸機牽引に戻した。後に路線自体も廃止。この話は別に詳しく書きたい。
Stanhope & Tyne鉄道 [4]
1834年5月にStanhopeからAnnfieldまで開業し、その年の9月にTyne河口のSouth Shieldsへ延伸された。沿線の高原に位置する街Consettは17世紀から製鉄が盛んな所で、産業革命期に原材料、製品の大量輸送のため鉄道が必要とされたが、Team川の渓谷から一気に標高270mまで登るため、急勾配路線を多数のIncline (鋼索式鉄道)で運行。建設、運行の過大なコストが経営を圧迫し、1841年に会社解散。
Pontop & South Shields鉄道 [5]
S&T鉄道[4]解散後、東の区間、LeadgateからSouth Shieldsまでを買収。NE鉄道[3]に統合後、Incline (鋼索式鉄道)区間を順次機関車牽引可能なルートに付け替え。
Durham & Sunderland鉄道 [6]
1836年7月にSunderlandとPittingtonの間の本線、Haswellへの支線で鉱物輸送、その年の8月に旅客輸送を開始。1839年にShincliffeまで延伸。
Durham Junction鉄道 [7]
1838年にS&T鉄道[4]のWashingtonからRaintonまで開業。
Brandling Junction鉄道 [8]
1839年にGatesheadからSunderlandまでの本線と、South Shieldsまでの支線を開業。
West Durham鉄道 [9]
1840年6月にWillingtonからByers Greenまで開業、10月にWhitemee炭坑(Crookの北)まで延伸。
Great North of England鉄道 [10]
YorkとNewcastle を結ぶ目的で設立。1841年1月にYorkからDarlingtonまでの貨物輸送、3月に旅客輸送を開始。後にECML(東海岸本線)となる。Richmondへの支線を1846年に開業。
Newcastle & Darlington Junction鉄道 [11]
1844年にDJ鉄道[7]のRaintonからDarlingtonまで開業。Darlingtonの北でS&D鉄道[1]と平面交差。この鉄道の開業によりYork、DarlingtonからLeamsideを経由してTyne川南岸のGateshead までレールが繋がった。Durham Gilesgate駅までの支線も開業し、Durham市街に最初の駅が開設された。DarlingtonからFerryhillまでの区間が後にECMLとなる。
1845年にDJ鉄道[7]を、1844年にBJ鉄道[8]を併合。D&S鉄道[6]、P&SS鉄道[5]を1846年に併合。その年7月の法令により、GNoE鉄道[10]の経営を移管された。
Wear Valley鉄道 [12]
1847年にBA&W鉄道[2]との分岐点からBishopley Quarryまで開業。NE鉄道[3]に統合後、1895年にWearheadまで延長。一部が保存鉄道として残存。S&T鉄道[4]解散後、西の区間、StanhopeからConsettまでを買収。
Darlington & Barnard Castle鉄道 [13]
Darlingtonの北HopetownでS&D鉄道[1]から分岐しBarnard Castleまでを1856年に開業。1858年にS&D鉄道[1]と合併した。
South Durham & Lancashire Union鉄道 [14]
1861年にBarnard CastleからPennine山地を越えてTebayまで開業。S&D鉄道[1]と提携し、Durhamの炭鉱から西Cumberlandの製鋼所へコークスを運搬。1863年にWest AucklandからBarnard Castleまで短絡ルートを開業。一部が保存鉄道として残存。
North Eastern鉄道 [3]
1854年に、各社のYorkからDarlington、Newcastleを経由しBerwick upon Tweedまでの本線と支線群を統合し設立。S&D鉄道[1]とは競合関係にあった。
1856年に旧N&DJ鉄道[11]のLeamsideから現Durham駅を経由しBishop Aucklandまで開業。Darlington - Gateshead間の迂回ルートを形成。Bishop Aucklandは5方面の路線が集中し、三角形のホームを擁する主要駅となった。
1862年にDurham南のRelley Mill分岐点からConsettまでの支線を開業。
1868年にDurhamからGatesheadまでの最短ルートを開業。後にECMLとなる。
1871年にRelley Mill分岐点からFerryhill北のTursdale分岐点まで開業。これでやっと現在のECMLルートが完成。
1887年にDarlington南からS&D鉄道のStockton方面に抜ける路線を開業し、Darlington北での平面交差を解消。
1906年にTyne川にKing Edward VII橋を架橋し、直通列車のNewcastleでの方向転換を解消。
1923年の鉄道再編で、S&D鉄道[1]と共にLondon & North Eastern鉄道(LNER)に統合。
Tanfield鉄道 [15]
1839年にTanfield Lea炭鉱とTyne河畔のRedheughの間の木製レールWaggonwayを鉄道に改良。一部が同名の保存鉄道として残存。Waggonwayは18世紀から存在しており、現存する世界最古の鉄道(railway)、と称している。
Bowes鉄道 [16]
1826年から1855年の間に、PontopとJarrowの間の本線と周辺の炭鉱への支線を建設。急勾配を多数のIncline (鋼索鉄道)で運行。一部が同名の保存鉄道として残存。
この辺りの殆どの街に鉄道駅があったことになる。駅跡はショッピングセンタになっていたりするが、廃線跡は結構残っている。最盛期は石炭と炭鉱労働者の輸送で繁盛していたのだろうが、現在の長閑な風景からは想像出来ない。
DarlingtonからBishop Aucklandを経由しDurhamに至る路線が現存していたら、職場近くに駅があって通勤に使えたのだが、残念。現在のECMLルートよりちょっと遠回りしていたのと、Shildon北方のトンネルの断面が小さくて複線を単線にしてしまい、ボトルネックになっていたのが敗因。