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家庭の医学

2007年04月15日 | culture
今日は読書の一日。
図書館から借りている本を読んで過ごしました。

一冊はロアルド・ダールの『チョコレート工場の秘密』
そしてもう一冊は、レベッカ・ブラウンの『家庭の医学』



『チョコレート工場の秘密』は、昨年ジョニー・デップが主演した
映画の原作童話…
図書館で見つけたとき、たまには童話もいいかなって思い読んでみました。

2冊目の『家庭の医学』。不覚にも大泣きしてしまいました。

貧血、薄暮睡眠、転移、無能力、震顫、化学療法、耐性…etc
硬質の医学用語が並ぶ各章立てに沿って、母親の症状が日増しに悪化し、
看護から介護、そして、死を看取り、見送るまでの日常が淡々と描かれています。

作中の『私』は作者その人であり、読者はまるで、ドキュメンタリー・フィルムを
観ているような気分で、悪化するばかりの母親の病状の変化に付き合わされる。
でも、これはエッセーではなく、まぎれもない一篇の小説だと思いました。

表題からして小説っぽくないし、叙述の仕方も淡々とし過ぎて
フィクションやノンフィクションを問わず、私たちがこれまで接したきた
この種の『闘病もの』とは明らかに違う『何か』がこの小説にはあります。

この小説には、病気を知ってとりみだす患者の姿も、闘病を支えるために結束する家族の団結シーンも、死を迎えて厳かに感謝の言葉を述べ合う場面も、悲しみの淵で激しく嘆く遺族の姿も、とにかくこの種の物語に付随する過剰な感情の発露の一切が描かれていないか、描かれても控えめに、本当に控えめに淡々と綴られているばかりなのです。

そして、それだけに気付かされること。
ああ、そういえば、私たちの場合もそうだったなぁ、と…
20年以上も前になる主人の父親が亡くなるときのこと、
15年前の私の父のとき、10年前の母のとき…
すべての悲しい別れはドラマのようでいて、決してドラマチックではなく、
看病という日常生活の延長にあって、突然にふりかかる出来事であったと。

当事者は、病魔と闘う当人に寄り添い、必死の思いで看病に明け暮れ、
実際に逝くときは、いつも突然。日常の延長上にふらっとやってくるの…
ある程度までは、予想の範囲内であり、お医者さんから予告されているのに、
それでも、あちらに逝かれるその時までは、予想外の事態であったような。

だから、『家庭の医学』を読むと、かえってその時の実感が甦るようです。
ドラマチックな描写が何一つないだけに、逆に喪失感が切々と甦ってきて…

気がつくと、これって癒されているような
不思議な読後感…。
死者と向き合う私たち人間の典型が描かれてる。だからこれは『小説』なんだと思う。

翻訳もいいですね。この訳者(柴田元幸さん)のものは結構スキです
蛇足ですが『チョコレート工場の秘密』の翻訳も良かったです。詩人の田村隆一さんが手がけています。


とぷ