ツレはぼくを「狂気の人」という。
どこがそうなのか聞いても教えてくれない。
「自分がいちばんよく知ってるでしょ」とひと言。
好きこのんで狂気の人と暮らすツレは男気の人、
奔馬の手綱さばきによほど自信があるんだろう、
ちっとやそっとのことに動じる人ではないからさ。
自分の周りにカミソリを呑むような鋭利な人はいない。
芸能界で突出するのは先年亡くなった樹木希林さん。
彼女は人を射すくめるというか、本質を見抜く人。
希林さんは確か左目が不自由だったと思うが、
彼女の場合は両目とも盲いてもさほど変わらないだろう。
肉体の目よりも心眼でモノを見る人だから。
どこがそうなのか聞いても教えてくれない。
「自分がいちばんよく知ってるでしょ」とひと言。
好きこのんで狂気の人と暮らすツレは男気の人、
奔馬の手綱さばきによほど自信があるんだろう、
ちっとやそっとのことに動じる人ではないからさ。
自分の周りにカミソリを呑むような鋭利な人はいない。
芸能界で突出するのは先年亡くなった樹木希林さん。
彼女は人を射すくめるというか、本質を見抜く人。
希林さんは確か左目が不自由だったと思うが、
彼女の場合は両目とも盲いてもさほど変わらないだろう。
肉体の目よりも心眼でモノを見る人だから。
宝島者の広告画像「死ぬときぐらい好きにさせてよ」
これはミレイのオフィーリアに倣ったものと思うが、
デフォルメしないところに希林さんの狂気を垣間見る。
これはミレイのオフィーリアに倣ったものと思うが、
デフォルメしないところに希林さんの狂気を垣間見る。
ぼくの狂気らしきところは厭世断捨離かな。
人・モノ・仕事・書画・お宝・・・みんな捨てたくなる。
なにもかも失くしてゼロになりたい。
ぼくのカラダでこれをやったらホームレスもムリ、
春の桜の下や枯野など望むべくもない、
だからなお、悶々と夢をみる。
こんなときにブログを見るとフォローを外したくなる。
縁が遠のくと感じた人から外していく、
悪気のない神経発作、どうぞお赦しください。
自分を捨てないだけまだマシと思う。
無に帰すが宿命のトッケビすら現世に戻ってくる。
藤村操の「巌頭之感」を読む。
彼の熱き魂が滝壺の渦巻く水に翻弄されたとき、
彼は何を思ったであろうか。
巌頭之感
悠々たる哉(かな)天壌(てんじょう)、 遼々(りょうりょう)たる哉古今、
五尺の小躯(しょうく)を以(も)て 此大(このだい)をはからむとす。
ホレーショの哲學 竟(つい)に何等のオーソリチィーを價(あたい)するものぞ。
萬有の眞相は唯(た)だ一言にして悉(つく)す、曰(いわ)く、「不可解」。
我この恨(うらみを)懐(いだ)いて煩悶、終(つい)に死を決するに至る。
既に巌頭(がんとう)に立つに及んで、胸中 何等の不安あるなし。
始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。
(明治36年5月22日)
「巌頭之感」は旧制一高(現東大教養学部)在学中の藤村操が
華厳の滝に投身する直前にミズナラの木に残した遺書。
自死の原因は厭世感や失恋とも云われているが定かではない。
傍らに立つミズナラの表皮を剥ぎとり、
堂々巡りの「不可解」を刻する余裕があるならば、
好きなオンナの名を連呼すればよいものを。
哲学に悩む一高生は自己完結の証として死を選んだ。
悲観と楽観を分かつ裂け目に身を投じて。
漱石の叱責が藤村操の自殺の一因とも云われたが、
漱石はのちに「草枕」の文中で藤村操の死を悼んでいる。
いかにも漱石らしい解釈に笑みをおぼえるが...。
「昔し巖頭の吟を遺して、五十丈の飛瀑を直下して急湍に赴いた青年がある。
余の視るところにては、かの青年は美の一字のために、捨つべからざる命を
捨てたるものと思う」
「巌頭之感」は旧制一高(現東大教養学部)在学中の藤村操が
華厳の滝に投身する直前にミズナラの木に残した遺書。
自死の原因は厭世感や失恋とも云われているが定かではない。
傍らに立つミズナラの表皮を剥ぎとり、
堂々巡りの「不可解」を刻する余裕があるならば、
好きなオンナの名を連呼すればよいものを。
哲学に悩む一高生は自己完結の証として死を選んだ。
悲観と楽観を分かつ裂け目に身を投じて。
漱石の叱責が藤村操の自殺の一因とも云われたが、
漱石はのちに「草枕」の文中で藤村操の死を悼んでいる。
いかにも漱石らしい解釈に笑みをおぼえるが...。
「昔し巖頭の吟を遺して、五十丈の飛瀑を直下して急湍に赴いた青年がある。
余の視るところにては、かの青年は美の一字のために、捨つべからざる命を
捨てたるものと思う」
このところぼくの胸はずっと辛い。
右の拳で2回胸を叩き、
ぼくは君の味方と教えてあげた。
右の拳で3回胸を叩き、
ぼくは君を呪っていると伝えた。
初めて聞いたのは、高校の時でした。不可解というところだけ鮮明に覚えていましたが、全文は勿論知りませんし聞いてもいませんでした。
あの時は、命を大切にと説かれた時だったのか、記憶は定かではありません。
今日は他の日と、ちょっと違う日になりました。
ぼくが藤村操を知ったのも高校生の時でした。
お恥ずかしいですが、文学部を立ち上げ拙い小説を書いていたころ、
その半ばで刺激的なことに出会い途中でドロップアウトしたのですが、
おかげで懐かしいことを思いだしました。
次に遭遇したのは夏目漱石の草枕の中の一文でした。
漱石回想の「美の一字」にかすかな違和感をおぼえ、
平岩昭三著「検証藤村操―華厳の滝投身自殺事件」の本を見つけ、
漱石が藤村操自死の一因と云われていたことを知りました。
ぼくが思うに藤村操自死の原因は漱石の叱責や失恋ではなく、
遺書の通り「不可解」が生みだす自死はまさに不可解の極みと
思っています。