睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

親父part2

2010-12-09 04:08:48 | 逝ける人々

1999/09/08(水)

国道から山に向かい鋭角に狭い道を入る。
車も人もめったに通らない畑で、なんであんなに夢中になって畑仕事を
やるんだろう。聞けばきっと「働らかなきゃオマンマが食えねえ」というに
決まってる。

両親が遊んで暮らせるほどの経済的支援ができたらいいんだけど
そこそこの甲斐性しかない私たちで申し訳なく思う。

病院で点滴を受けている間、診察を待つ待合室でも、二人の話すことは
野菜の出来具合やお天気のことばかり。
老い先の短いことなど、どこ吹く風。

最近は自前で直売所の拡張に励み、店先にカウンターテープルを作り、
お客と世間話しをしながら、お茶を飲みながら、野菜を売っている。

「この暑いさなかにそんなに働いちゃダメだろう」
いくらクチを酸っぱくして言っても子供の云うことはきかない。

明治生まれの親に育てられ、召集令状の紙切れ1枚で生死の淵を
さまったオヤジの生き方は武骨だ。
子供にいくばくかの援助を受けていることさえ忸怩たる思いでいる。


1999/09/09(木)

朝9時実家着、午前中点滴、午後からK先生の診察。
肺血腫の疑いがあるという。かなり落ち込む。
9/13(月)に再検査。母は気丈なふりをしている。

去年の3月からずっと騙し合いをしてきた。
母は病名を隠し、父は病名を知っていることを隠す。
どうしてこんなにいっぱい涙があるんだろう。
ちっとも枯れないぞ。

黄信号ともる。
赤信号になって消えるまで、目をそらさない覚悟。


1999/09/12(日)

オヤジの顔色がすこしよくなってきた。
明日は再検査、朝9時にK大学病院へ送り届ける。
帰りは電車とバスで帰ると言っているが、片道2時間近くかかるのが
なんともネック、かといってそうそう会社を休むこともできず遅刻する。

はるか遠い田舎に年老いた親を残し都会に住む人のことを考えたら、
うちなんかは贅沢な悩みといえる。離れて住むといっても車で40分だし
望み通りの田舎暮らしは年寄りには住み心地がいいんだろう。

少子化と転勤族サラリーマンは老人介護の大きなウイークポイントだ。
それを思うと、親と子の両方の立場で介護保険は必要だし、老人福祉
介護関係のベンチャービジネスに異業種参入も当然のことと思われる。

ダンプ屋から社員送迎バス代行~寝たきり老人の風呂サービスを経て
老人福祉介護会社へと変身をとげた某氏のような人もいる。
左うちわの金満社長を見ていると、先見の明というか、時代のニーズを
切り取るピュアな感性が起業家の必須アイテムとも思えてくる。
 
両親は雀の涙ほどの年金をもらい、自分たちの食い扶持を助けるために
百姓仕事に精を出す、それがまた両親のIDENTITYを確固たる物にする。
なんとも「人生の禍福は糾える縄の如し」。


1999/09/13(月)

再検、白血球の数値がまた上がっている。
オヤジまだ早いぞ。
この夏の猛暑を、ゆるりそろりと越えたのだから。


1999/09/19

昼間、銀行の定期預金を解約してきた。
これで、少しはオヤジの安心が買える。

昨日、今日と実家に行った。
母のホッとする顔を見てると、
心労がたまっているんだな、と思う。

明日は明るい顔をして、なんでもない顔をして、
仕事が忙しいのにまったくぅ...と、オヤジに文句を言おう。


1999/09/20(月)

再々検査の結果が入院宣告。
「胆石が動いたんだって。ちょっとの間、入院しようか...」
最後まで、オヤジは、私の顔を見なかった。
しばらくたって、うなずいた。





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