画像は八ヶ岳高原美術館の駐車場、単車日和り。
宮ケ瀬湖の駐車場は2輪であふれていた。
憧れの目で眺めながらバイクを品定めする自分が可笑しい。
オマケでもらったぼくの自動2輪は宝の持ち腐れ。
チャリすら満足に乗れないヤツが何を云う、
でもこれはワケありで2輪には何かとトラウマがある。
10代のころ、
友人のHONDA-CBのケツに乗りブドウ狩りの仲間と
落ち合う三ヶ木へ行く途中に事故は起きた。
城山ダムの堰堤道路を通過する直前の右急カーブで
CBはバランスを失い蛇行したのち派手に転倒した。
ぼくは左に放り出され、フタがない側溝の中に落ち
しばらく意識を失っていた。
気が付いた時はダットサントラックの荷台に寝ていた。
バイクの2台後ろを走っていたトラックの運転手さんが
ぼくらを中野の日赤病院に運んでくれた。
ぼくの右足の脛は血だらけでマフラーで火傷もしていたが、
入院と通院で全治1ヶ月の怪我ですんだのは幸運だった。
ダットラの人に死んでもおかしくない事故と聞かされて、
ぼくよりも母のほうが青くなっていた。
母はカブに乗った父親(ぼくの祖父)を相模線の鉄道事故で
亡くしている。あの時もトラックの荷台に乗せられて自宅に
帰ってきたそうだ。
あの日の凄惨な記憶が蘇ったのかもしれない。
剛毅で気丈な母が嗚咽しながら病室の隅で泣いていた。
ぼくは軽4よりモンキーが欲しかった。
買ったばかりのモンキーを友人が得意げに乗り回すのを見て
ぼくも欲しくて欲しくてたまらなかった。
母はぼくの願いを言下に却下した。
それで軽免を取得しHONDA-NⅢになったのだが、
ぼくはモンキーの鬱憤を晴らすかのように、
軽4輪のジムカーナにのめり込んだ。
大磯ロングビーチの駐車場に毎週のように通った。
レギュレーションなし、コースにパイロンを並べただけの
スラロームはお手軽なタイムトライアルだった。
それでも夢中になったのは良きライバルたちがいたから。
マツダキャロルとスズキフロンテに負けるのが悔しくて
本沢ダムの山の中の空き地で日々練習に明け暮れた。
(若葉台住宅ができる前のこと)
ホンダN360 スズキフロンテ マツダキャロル
モンキーに乗れなかったおかげで今も2輪に憧れている、
運転するのもタンデムもパスだけどね。
颯爽と風を切って走るのを見ているだけでいい。
大型バイクに革のライダースーツにフルフェイスをキメて
シュッと走り去るのを見かけると思わず振り返る。
問答無用でカッコいい。
ぼくの憧れは獏として洋として実現不可なこと、
夢は頑張ればもしかしたら実現可能なこと...、
歳と共にだんだん憧れとしわが増えていく。
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