昨夜は前に住んでた隣家のおじいさんの通夜に行ってきた。
浪々と漢詩を謡う鍛えられた声は壁を越え庭を越えわが家にまで
聞こえてくる。元気なうちに詩吟をおしえてもらえばよかった。
何度も誘われたのに、気後れがして、曖昧な返事を繰り返した。
あの咳払いすら懐かしい。
仕事関係を含めると数え切れないほどの通夜・葬儀に参列した。
ほんの義理で行くのもあれば、遠方まで車を駆って行くのもある。
死は誰にも平等でありながら、葬儀を祭典ととらえれば、これほど
不平等なものはない。
アパートの一室で数人が棺を囲むこともあれば、
大きな葬祭場を埋め尽くすほどの参列者に圧倒される葬儀もある。
故人を偲ぶ意味においては参列者の数は問題外かも知れないが
やはり、多くの方に見送られる一生はそれなりの意義があると思う。
1999年に知人の息子さんが交通事故で亡くなった。
その葬儀は今まで参列したどの葬儀より、悲しみにくれ、また荘厳で
敬虔な祈りに包まれる初めての経験だった。(白の葬列)
若いころに、恋人を交通事故で失った。
あの夜も雪だった。
今でも交通事故死と聞くと夜に浮かぶ白い雪を想いだすが、
もう、振り返ることはしない。
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仕事...暗いテーマに神経が張り詰める。
制約がないってことはまったく難しい。
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Free Willy: How Far Would You Go for a Friend
Michael Jackson - Will You Be There
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加川良が高田渡に捧げた歌 「下宿屋」
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