知らないタイを歩いてみたい!

タイの地方を紹介する。関心のある方の集まり。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

タイ・ユング旅行 ⑤ムクダハン  -’86 夏ー

2020-12-01 07:37:50 | ムクダハン
 ウボンからナコンパノムまでは269キロである。バスで4時間かかる。片道98バーツ。ウボンからナコンまでエアコンバスは1日2便、朝の6時半と午後の2時発である。予定表によれば1時間でアムナットチャオエンへ、さらに40分でロエンノクターに、そこから30分で元ラオスとの交易の町、ムクダハンに到着する。あと50分でタートパノム、そして目指すナコンパノムまではそこから1時間となる。
 エアコンとはいえ午後の日差しをまともに受ければ温風ヒーターに当てられているように暑い。砂漠を走っているようだ。乗客はインテリ層、富裕層が多い様で本を読んでいる人、身なりを整えた人が目につく。ここで一瞬変な気にさせられた。バンコクというタイ最大のベクトルがあるにもかかわらず、地方から地方へ移動する人たち、つまり中心から正反対の方へ移動する人々、そのバス。かくなるグループ層の人々がなぜ乗り合わせ、どこへ行くのか、と。
 相当眠りこけたのはもちろん緊張がなくなり安堵のせいでもあろうが風景のモノトナスの流れのせいでもあろう。荒れた疎林、赤い泥土の連続は空虚感を増す。沿道の湿地の水溜りに水牛がいて、その水牛の背に無表情にこどもが乗っている。おそらく何百年の繰り返しのイサーンの光景がまどろみの夢現に消えていく。巨大技術を駆使しつつも時間に管理され高僧ビルのはざまを無表情に生きている現在日本人の”無表情”とイサーンの人々の”無表情”との関連性はあるやなしや、など考えてみる。
 3時半にはムクダハンに到着する。対岸はラオスの商都サバナケットである。しかしバスからは見えない。ここムクダハンは10年前にラオスとの交易が途絶えたけれども現在でも活気のある町のようにもみえる。メコン川だけが町のはずれに見えかくれする。ぜひ下りて見学してみたい町だが今はできない。 


タイ・ユング旅行 ④ウボンラチャタニー町のお寺  -’86 夏ー

2020-12-01 06:42:22 | ウボンラチャタニー
 さて、再びウボンの街に戻り、もう一つ、ガイドのおすすめのわっと・パイヤイという寺院を訪れた。このお寺はタイでは有名なウボンのロウソク祭で知られるパレード用の山車が置かれていたり、大型ローソクも展示されているらしい。
 境内には家族連れ、遠足の女生徒たちがあちこちの芝生に座っている。別のグループの女生徒たちが天秤棒を担いで何やら売っている女行商人に群がって歓声をあげている。なんと長閑な光景である。塔の軒下に数日前に祭りに使われた10メートルはあるであろうローソク山車が放置されている。台の上には宝船、大波に乗ってそれを後ろからおっかける鎧に身をまとった兵士たち。波間に人魚のような女たちも泳いでいる。大魚、亀なども船の下に見える。いったいこれはなんだ。すべてが黄色のローソクでできている。またいつかパレードを見たいものだ。
 昼食は胃の調子が今いちなのでできることならきつねうどんくらい食べたいものだが当然ペケ。せめて、と目に留まったのが中華レストラ、名前はホン・アーハン・ラチャアニーという店。焼き飯を食べる。冗談で日本食はあるか?と聞いてみる。サシミならあるよ、と。カンボジアまで150キロ、ラオスまで85キロの隣接タイの内陸奥でどうもサシミは似合わない。興味はあったが注文はせず。できれば農家での昼食を、なんてガイドにお願いしていたがそんな気分に余裕がなくなった。強硬な行程、熱さ、湿気、臭い、ことさら総じて異文化の過度の接触のせいだ。
 昼食後満腹感からか睡魔におそわれ車に乗ると空気が抜けた風船のようにうとりうとりとしてしまった。
 実はあいにく今日は日曜日である。教育機関はすべて休みである。残念ながら中に入れない女子中等学校、教員養成大学、テクニカルカレッジを外側から概観することにとどまった。芝生の鮮やかな緑の校庭と白柱にはためく国旗が印象に残っている。
 余すところ30分あったが睡魔が容赦なく私の最大の欲望となった。早く眠りたいので次なる目的地ナコンパノム行のバスに乗り込むことにする。ガイドのチャイシット君に取決め料金を払い「チョックディナカップ!」(グッドラック)とお互い握手をして別れる。
 ウボンは華僑の経営するムアンにすぎない。



タイ・ユング旅行 ③ウボンラチャタニー森のお寺  -’86 夏ー

2020-12-01 04:50:09 | ウボンラチャタニー
 ガイドのアレンジに従って町はずれの河畔に立つ。相変わらずの黄褐色の行へ分からぬ川である。最初私はこの大河こそメコン川だと思った。ここはラオスとの国境の県であるからだ。メコン川はチェンライで出合ったことがある。感慨にふけっていると運転手が「この川はメーナム・モーゥン」(モン川)だと説明してくれた。私の早とちり勘違いだった。
 近代的な橋を東に渡るとそこはワーリンチャムラートという地区である。ちょっとした商業の町が開けている。町はすぐに水田地帯につながり水牛がムチ打たれて泥土を耕している。東北の死活を左右する雨の具合を聞いてみると「今年もまだ少ないね。」とのこと。カラカラの田圃も確かに目に留まる。途中右手に折れるとまさしく土のデコボコ道にかわる。
 南下すること数10分。熱帯林地帯に突入する。すると突如、タイでは珍しいコンクリート製の仏塔が聳えている。ウボン県では由緒あるお寺ワット・ノーン・パーポム(Wat Nong Pah Pong)というそうだ。およそ他のお寺とは趣を異にする。まずは境内が一面、熱帯林の中に埋まっている。昼なお暗き密林の空間は深く眠っている。「カッツ!カッツ!」と名も知らぬ鳥が天上で鳴いている。小道をやや進むと正面にウポーソ(本堂)が見えてくる。あの煌びやかな極彩色のものでなくギリシャ風のしっかりとしたコンクリート製の建物である。ボットの中は博物館になっており、さながら演劇ホールかのようで中央に対座する仏像も美術作品といった印象を受ける。木陰のやや向こうにウクィ(庫裏)が見える。黄衣の僧が水甕を抱えて木階段を上がっていく。あれ?顔をよく見ると西洋人である。タマユット派のこのお寺にはこの10年来アメリカ人、カナダ人、ドイツ人、オーストラリア人などの修行僧がかなり修行や瞑想をしているとのことである。西と東と両者融合不可能と嘆いた詩人キップリングの言葉に反し、ここウボンでは西洋と東洋が合いまみえていたのである。樹林環境の静寂で敬虔な聖域のあちこちで僧が瞑想しているそうである。
 現在、7月下旬はカオパンサー(入安居)期でこのお寺もひっそりとしている。本堂を少し右に折れたところにアルミサッシ張りのクティがある。ガイドに案内されて近づくとその中でこのお寺の80歳の高僧ルアン・ポー・チャーが瞑想中であった。一本の杖を左肩に支え特製の椅子に座し両眼を遠く樹林の彼方に合せて不動である。朝、一回の食事をとり終日ここに籠る。一瞬私はガラスケージの中に卵を抱いている鳥を覗いたかのような錯覚を覚えた。