メコン川に出てみた時には夕陽がラオスの森の中に沈もうとするところであった。少々のほろ酔い気分で迷い込んだところはワット・ハイソックというノンカイでは最大級の寺院であった。なんだか根がぶら下がったような大樹の下で黄色い衣をまとった僧たちが夕陽に向かって自由い時間をくつろいでいた。私もそのそばに座りメコンの夕陽をカメラにおさめた。ラオスの町の建物に白色が目立つのはフランスの影響だろうか?その白色が夕暮れに冷えびえとしていた。
思えばナコンパノムではメコン川を隔ててラオスの切り立つ山並みから登る朝陽を拝み、いままた同じ日にその太陽をメコン川を隔ててラオスの山並みに夕日として拝む。不思議なことである。日がいずる、そして日が沈む国ラオスかな。もし「太陽が東から昇り、東に沈むのを見たい。」なんて願う御人がおられたらメコン川北上の旅をおすすめする。
高僧とおぼしき僧に共に写真撮影を乞うた。何かのガイドブックには僧にカメラを向けてはならない、とか書いてあったので念のためにと思ったのであるが、「オーケー、オーケー」と高僧は笑顔でポーズをとり私とともに被写体になっていただいた。さらに近くにいた若僧やデクワット(小僧)にも加わるように指示して近くを通りかかったバイクの若者を呼び止めシャッターを切らせた。今でも高僧の智業にたえた威厳のある笑みを忘れることはできない。写真撮影が終わると高僧たちは寺院に引きあげていかれた。残った若い層や町の一般の青年たちが私の周りに集まってきた。彼らの関心は私のカメラであったりウォークマンであったり、または虫よけスプレーであったり、いわゆる物質文明である。そしてテクノロジーへの崇拝は万国共通で特に若者はすごい。
パヨンという20才の若僧は少々英語が喋れるということで話しかけてくる。英語は小学校5年生の教科で習ったといい、それ以来好きになりあとは独学で練習しているとのことである。立派なものである。彼の家族のこと、お寺での修行のことなどの話を聞くことができた。彼自身は小学校を終えるとデクワットとして同じノンカイ内のシーサケットという寺に入り、そこから中等学校に学んだそうだ。タイの地方において経済的に困難な子とも達がさらに高い教育を受けたいとするときの一般のスタイルはお寺へ修行にはいることである。ただし、男の子だけであるが。タイの伝統的な初等教育はもともとお寺がその社会的機能をはたしていたのである。日本でも寺子屋の類であろう。「このハイソック寺には僧侶が11人いて、デクワットは36人いるそうでみんなノンカイ出身」だそうだ。私もできれば一度こうしたノンカイの寺院で修行生活をしてみたいものだとふと思った。
私のまわりに集まった若者たちとの貴重な時間を過ごすうちに夕日もラオスの森の方に収まってしまった。いとまごいも残念であったが「バスの時間があるので」と手を振ったのは午後7時半を過ぎていた。ただ、パヨンとは住所を交換し、今後、文通で交流しよう、そして修行があけたら彼の村へも一緒に行こう、なんていう約束をした。彼にとっては私が外国へつながるツールと見えたのだろう。