知らないタイを歩いてみたい!

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タイ・ユング旅行 ⑦ナコンパノムのホテル  -’86 夏ー

2020-12-02 11:55:39 | ナコンパノム
 ホテルの入り口はデスコ風のネオンをつけている。中へ入るとピータイルがところどころ剥がれて改装中のようでもあり、新築を放棄したようでもある。田舎風ほてるで白人がベランダのレストランではしゃいでいる。中学生くらいのこどもが私の荷物をもって三階の部屋を案内してくれた。クーラーをつけると80バーツ増しだというがクーラーをつけるほど暑くもなく不快でもない。窓を開ければ川風がサーッと入ってくる。一泊100バーツの安宿だ。天井のプロペラは無料だそうだがスイッチをひねると「バラバラバラ!」とけたたましい騒音を発する。使いものにならん。ベットに腰かけて見るメコン川は銀鱗の天屏風である。壮大である。巨大なでこぼこの大文字Mのようなラオスの山並み、その手前には家々の伝統が静かにちらほら見える。
 タイ全土は総選挙である。旅人に影響することと言えば(実は遺憾なのだが)昨夕5時から今晩午前零時までの禁酒令だろう。町の屋台で一杯やりたいものだとひそかに思っていたのに全く我がフィールドワークも不完全燃焼といえる。メコンウイスキーをチビチビやりながらメコン川を見るのもシャレたアイデアだな。仕方ないので私のリュックに仕舞い込んだメコンを部屋で隠れて飲むことにする。
 サムローに乗り服屋へ行く。店の主人が「日本人か?」と聞く。「俺はこのナコンパノムのアメリカ軍基地で働いていたので英語はいける。」とかまちかど会話で話しかけてくる。タイ風ウエアを2着「いくらだ?」と聞くと「350バーツにしておく。」と答える。私が「200バーツにしとけよ。」と言うと「300でどうだ?」と。「。。。。。」、「よし、280でどうだ?」たたみかけてくる。結局その気にさせられて250バーツで手を打ったのである。まったくタイ人は会話を楽しんで相手を陥れてくる。ホテルに帰って着ようとしたらウエアの内側に80バーツの値札がついていたのである。畜生!まあ、日本より安いか!と自分をなぐさめるより他なかった。誰がお客で誰が従業員か分からないような当ホテルの1階レストランで少々腹ごしらえをする。カウンターにテレビ1台置かれていてだれかれなく群がっていてサービスも行き届かない。座ってしばらくいるとゴム草履を履いたタイ娘のウエイトレスがバタバタ音をたてて歩いてきて「あんたタイ人じゃないね。何人?」と尋ねてくる。こちらから英語でしゃべれるかどうか聞いてみると「少しだけ。タイ語とラオ語はしゃべれるよ。」と。私はふと思った。「彼女がタイ語とラオ語を区別する意味は何だろう?」と。暗闇の向こうはメコンカワを挟んでラオスの商都タケークである。ここはまぎれもなく意識上はラオス文化ではないか。。。。。と。ポコ!ポコ!メコン川が音をたてていた。
 深夜、静寂を破って犬が遠く吠えるのがラオスの方から聞こえた。やがて下のレストランからドンチャン騒ぎが始まった。午前2時に近い。禁酒令が解けたのだ。タイ人たちは二日間飲めなかった分をきっちり元を取り返してい要るかのようだった。うらやましく思いながらベットにもぐった。その酒宴は朝方まで続いていた。




タイ・ユング旅行 ⑥ナコンパノム到着  -’86 夏ー

2020-12-02 11:55:39 | ナコンパノム
 途中車窓の単調さを破ってくれるささやかな光景が現れた。天空に聳える寺院タートパノムの仏塔が見えたのだ。しかし、あわててカメラを向けることにはその姿は南の森に消えてしまった。バスがくるっと回ってしまうからである。光彩な金色に聳える仏塔は行く旅人に安堵感を与えるであろう。そこから1時間ほど経つとこれまでの荒唐無稽な空間は一転して人の営みを明示する居住空間にかわる。自然林が菜園や果樹園、緑の水田といった耕作地にかわる。この空間と空間の落差は驚くほかない。そうした耕作地からの農産物の集積地として新たなムアン、ナコンパノムが登場する。バスは予定よりもやや早く5時半にバスステーションへ滑り込んだ。
  バスステーション辺りはちょっと都会的な様相でニッサン、ミツビシ、イスズ、ホンダなどの近代化シンボルマークの看板が目に入る。しかし、少し歩くと農村地帯に変わる。町のはずれからはずれまでは500メートルといったところか。サムロー(人力車)文化である。いたるところギー!ギー!とサムローが近づいてきて速度を落とす。
 3バーツでサムローに乗りメコン河畔のリバーインホテルへ直行する。