知らないタイを歩いてみたい!

タイの地方を紹介する。関心のある方の集まり。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ホームステイ (7) 村の家内産業

2021-02-13 05:49:22 | シーサケット
<村の家内産業>
ムー9の77の方の表札である。
村人が蚕の繭を紡いでいる。黄金色の蚕を蒸した後、糸にしていく。主に主婦の家内産業である。イサーンでは「マットミーシルク」と呼ばれ、有名な絹糸である。この作業が終わると機織り機で手織りの布を織っていくようだ。
玄関先にはコンクリートで出来た井戸のようなものがある。なんだろう?
中をのぞくとこんな感じ。
中にはバッタかコオロギのような虫がうろうろと餌をはんでいる。

イサーンの蚕については

さて、以前からイサーンでは、虫食は身近な存在だと聞いていた。
海から遠いイサーンでは貴重な動物たんぱく源になる。
これまでもバンコクの屋台やイサーン料理店では
よくバッタの飴煮とか唐揚げのようなものを見たことがある。
最近は食用と言うより手軽なスナック菓子といったものもスーパーやコンビニで見たことがある。
どんな虫があるのだろう?もちろんカイコ他にタガメ、コオロギ、バッタ等々色々のようだ。
でも、バッタは天然ものがほとんどで、殺虫剤で獲るそうで、
人間には大丈夫かいな?食あたりに注意。
茹でカイコはそのままでもいけますが、少し炒ってお好みで味。

Globe+ってな記事もある。
「FAOの報告書「食用昆虫~食料・飼料安全保障の将来展望」は、人口増への危惧を背景にして、昆虫の優位性を指摘する。例えば、牛肉1キロを生産するのに8キロの飼料が必要なのに対し、昆虫は2キロで済むといった飼料変換率の高さ。養殖に必要な水や土地が少なくて済む、温室効果ガス放出量が少ない、たんぱく質のほかに必須アミノ酸、鉄や亜鉛などの微量栄養素が含まれている、土地を持たない人にも採取や養殖が可能──といった点だ。」

その意味では、タイの東北部は、バイオの最先端を走っているということか?

ビジネスとして食用昆虫の養殖がさかんなのようだ。



ホームステイ (6) ホームステイの夜

2021-02-12 06:33:24 | シーサケット
<日本文化の紹介は>
お昼の美味しい川辺で食べた手作りのイサーン料理のお返しになるか、と思い
日本から準備してきたたこ焼き、くろそば、玉子焼きを皆さんと作りながら提供した。
たこ焼きは少しは馴染みがあるのか皆さんはつまんでくれたが、そばや玉子焼きは試食程度で、やはりカイチャオ(タイの玉子焼き)の方がよさそうな顔付であった。だし味が醤油ペースは苦手のよう。ナンプラーやプララー、カティアムなどを添えたい表情だった。
個人的には私の好みはそばだった。(お口直しのしょうゆ味が恋しい)


その後、日本語のエー先生夫妻も我々の様子を見るため表敬訪問されたので書道も紹介する時間をもうけた。

<お寺>後で、ムラのお寺でなにかローイカトーンを兼ねたお祭りがあるということで行ってみることに。ワット・モンコン・チャイというお寺だそうでどこあで聞いたような名前でもある。
村人たちのタンブンの様子。
我々も自分の名前を書いてお金を少し寄進しておいたら、お寺の世話人が我々の出身と名前を大きな音のスピーカーで紹介してくれたのにびっくり。

村人が特にお年寄りはみんな集まっているような感じだった。お坊さんの読経を待っているところ。
奥さんたちはお坊さんの夕食を作っているようであった。
村のローイカトンを兼ねた仏教儀礼は、村の主婦たちがニワトリなどのスープを作り、大勢のお坊さんへご馳走をふるまい、そして参列者もそれをご相伴する。前列では老人たちが読経が始まるのを待っている。




ホームステイ (5)家に入る

2021-02-11 06:43:34 | シーサケット
さて、お寺のようなテーマパークのようなシーサケットの観光地を後にして、向かったのはイムウムさんのお家。
前知識のない私はシーサケットの北へ行ったのか南へ行ったのかはたまた東西どっちか、まったく見当もつかない。つかないけれどもかなり車で走った。30キロ、いや50キロといったところか。
どういうホームステイなのかな?期待は膨らむ。
<村のこと>
国道226号線をを離れて北へ向かっているようだ。4,50分走っただろうか?やっと彼女の村へ着いた。
この辺りの名前を聞くとラーシーサライ郡のムー9である。村は73世帯、ロイエットの県境までは4キロ、ということはシーサケットの北部に位置する。ちなみにここにはシオ川が流れており、それはここから36キロほどにあるムーン川へつながっているとのこと。

<家のこと>
「こんにちは」
玄関を入るといきなり土間の大きな居間がある。ここが団欒の場であり最終的には我々の寝食を施していただく空間となる。
父は50歳で小学校(ラッダンノンチェン小学校)の教頭先生、母は主婦で36才とのこと。イムウムさんには下に妹がいる。暮らしはまずまずの家庭のようだ。

<お昼ご飯>さっそく、車の荷台に乗って家から5分ほど走ったころに静かに流れるシオ川へ向かう。荷台には、ゴザや炭、コンロ、鍋、食器、飲料水などもセットで積み込まれている。まるでピクニックである。楽しむ前に彼女らの手際のよさに感服!
そしてシオ川の景色は最高だ!さっそく大きな川沿いの木蔭でゴザを広げて食事の用意。
これがイサーンのいやシーサケットの客人のもてなしとしたら最高である。
コスモスを見た思いで魂が震える。
どんな料理を作ってくれるんだろう?
イムウム、クワンそして料理長のデアの3人の高校生が遠方よりのお客さんをあたたかく迎えてくれる。ああ、幸せの瞬間である。ガイヤーンやソムタム、そしてカオニュアウ(もち米)といった代表的なイサーン料理だ。そしてオープンエアの素晴らしいレストランである。辛い、香ばしい味の料理を美味しくいただく。
<イサーンの桃源郷>
この村人たちの最高のもてなしの場、憩いの場となっているワンシオ川だ。ここから1キロ先にイサーンの大河ムーン川がある、という。

岸辺から舟を走らせる青年が向こうに見える生簀に川浪をたてて走っていく。
生簀にはプラニンを養殖しているという。3ヶ月で育ちPCが買い取っていくらしい。
夜行バスを9時間ほど乗ってここに着いたのと美味しいイサーン料理に満腹になったのとここちよい川風と絶景の眺めに、身体を休めているとしばらく微睡んでしまった。









ホームステイ(4)道中の観光 続き

2021-02-11 05:25:30 | シーサケット
一か所のお寺で目を飽きさせず、いろんなテーマでアミューズメントを提供している。しかし、子どもが乗って遊ぶようなものがないのはさすがにお寺の境内だからだろうか?

ゆっくり見ればとても興味深いお寺である。しかしタイ語が読めない外国人にはなかなか内層に入っていきにくい。
先ほどの仏塔の中へ入る。日本の天守閣からの見晴らしのように素晴らしい田園の景色がそよ風とともに飛び込んでくる。
ほっとする瞬間である。


こうした景色がここに住むイサーンの人たちのコスモスなのだろうと実感する。


何か恐ろしい民話の世界のようだ。
これはなんだか分かりにくい。
民話や説話やその登場する動物の巨大な石灰像の展示場でもある。
一つのお寺の役割もコンパウンドであり、また一つの場所で展示によりイサーンの人々の暮らしも垣間見られる。
涅槃像も堂々と姿を見せる。
やっと一通り拝見させていただいた。
思うに、イサーンの人々のコスモスは、仏教のお守りがあり、民衆の暮らしの様子を垣間見る博物館が合ったり、とりわけ、遠くまで見渡しのきく高台があれば最高なのだろうと想像する。

先ほどの入り口にはエスコートしようと集まった生徒たちと合流した。きっと朝の集合には間に合わず、連絡を取り合って来てくれたのだ。
せっかくなので載せておこう。









ホームステイ(3)道中の観光

2021-02-09 11:12:58 | シーサケット
 朝食を食べた側にあるガイヤーンのお店のおばちゃん。

 我々のホストの子の名前はイムウムという。そしてバディとしてクワンとデアという優しそうな女子生徒が付いてくれた。イムウムさんのお家はラーシー郡デン村小字ドーデンにある。(村はムー9と呼ばれている)
私と現地の日本語教師Hさんがおせわになることになったグループの生徒たち。↓

左からHさん、デア、クワン、一人置いてイムウム。

ホストの家に向かうまではシーサケット市内の観光となる。


まったく予備知識もない我が日本人、彼女らが一体どこへ連れて行ってくれるのか?興味は尽きない。まったくのお任せ観光の始まりである。ピックアップの荷台には、イサーンのそよ風は心地よい。
彼女らがまず見せたいところとは?そうです、お寺です。
最初に訪れたのは、
Wat Phra That Rueang Rongという恐竜のような動物のオボジェがたくさんあるお寺であった。さしずめシーサケットのUSJと言ったところか。大きな象が森の上から睨みを聞かせている。巨大な白牛が二頭で何かを引っ張っている。お祈りするところもあるが民俗博物館を兼ねているようでもある。
何かテーマがバラバラである。コンセプトが統一されてなくてあれもこれも、の展示である。

子どもや女性が「ワー、キャー!」といって面白く騒いで自撮りでもするにはいい場所かもしれないが、知識の浅い外国人には少々うんざりするかもしれない。では、写真を少々ご覧あれ!
入り口のようだ。
プラの陳列
この仏塔がこのお寺のランドマークのようだが、イサーン特有と言うかラオスでも見かけるような赤と黄金の色調だ。

そこに住む人々には、そこにしかない魂の故郷がある。お寺は彼らの心休まる聖地である。そうしたところへ客人を案内するのは自慢を拝見することにもなる。そして客人は自分の価値観を一旦捨ててそこにスポットをあてて自己調整をするのである。

いにしえの先祖たちの暮らしの展示であろう。
なにか仏教儀礼の行列を表している。
ラムオンでも踊っているのか?
何やら大切なばい葉か?
川で魚を捕まえるもんどり籠。