知らないタイを歩いてみたい!

タイの地方を紹介する。関心のある方の集まり。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ホームステイ(2)到着

2021-02-09 10:22:14 | シーサケット
 午前6時にはイサーンの白け始めた原野、田園が車窓から動画のように流されていた。

 車内の様子
遠く霞んでいる。
車内も動き始めた。

バスは7時半にシーサケットバスステーションへ滑り込んだ。
日本語教師の友人Hさん、そしてシーサケットの高校生達が我々を待っていてくれた。そして我々の荷物をバスの荷台から出して持ってくれた。
とりあえず朝ごはんを近くの食堂で食べることに。
出迎えてくれた生徒たち
彼女たちは、3つのホームステイのホストでもある。














ホームステイ (1)出発 

2021-02-09 06:33:13 | シーサケット
 あるとき知人がシーサケットで日本語教師をされているので一度は敬意を払いに行かせてもらおうと機会を伺っていたことがあった(平成26年11月)。我々も仏教儀礼の旅をしてバンコクへ帰り、ちょうど時間が一週間ほどあいたのでその時とばかりに同行者3人を誘ってシーサケットに向かうことにした。
 それまでに偶然知り合いになっていたシーサケット市内の高校の先生(エー先生)とも連絡を取っていたので、「日本語教師の知人に会いに行ったらお宅の生徒さんのどこかのお家でホームステイをさせてほしい。」という依頼をしていた。ということで私とHさんはモーチットから夜行バス、もう一人Nさんはコラートで用事があるのでということで国鉄で行くということになった。
 バンコクではこれまた知り合いのタイ人(ヌイ)が夜行バスのチケットを予め取っていてくれて、我々二人はモーチットバスステーションで彼女に会って支払ってチケットをもらい、バスに乗ればいい、という段取りだった。バスにはNCA GOLD CLASSという車名があった。

(見送りのヌイちゃん)

 ヌイさんは切符の手配も、午後10時発の夜行バスの見送りも(
  実際には20分ほど遅れて出発した。)
、そして夜食のサンドイッチ差し入れもすべてやってくれた。感謝をしつつ別れた。バスは順調に快適に暗闇のトンネル状態に入ってイサーンへ向かった。死ぬほどのサービスの良さで凍え死にそうになるくらいの寒さ(冷たさ)体験の一夜だった。なんども棚のひざ掛けを取ろうとしたがそのままうとうととしてしまった。



 





イサーンの高僧をお呼びした。(5)

2021-02-05 06:03:42 | ルーイ
1時過ぎに京都府の南部にある棚倉小学校につく、校長先生は木村代表とは以前からの知人で、突然の訪問を快諾していただき教頭先生とともに教室を案内して頂いた。
どの教室でもタイからの珍しいお客さんに大喜びで、挨拶の言葉、礼の仕方などにかわいい喜びの声が上る。タイはどこにあるのか?どれくらいの暑さなのか? 女の子も男の子も楽しそうに集まってくるが、気を使う私たちにお坊さんは「マイペンライ」「マイペンライ」(誰だ「子供でも女の子は坊さんに触れてはいけない」といったのは!!)校長室にまで質問にきた子供たちに「いつでも、どこにいても仏様とその教えを守りなさい」と諭されるお坊さんの言葉はどう映ったのだろう。
さてわれわれ一行は全員国籍不明であったようで、教頭先生から私に「貴方は日本語が上手ですね」と声をかけられたとき突然頭が真っ白になり「コップンマー、カップ」、またネーンさんは「いつタイ語を勉強しましたか?」と子供から尋ねられたことをうれしそうに喜んでいました。
成田空港と関西空港には以前に乗り換え待ちのため立ち寄ったことはあるが、空港から一歩も外に出たことなく「日本は初めてです。」と自己紹介をしておられたわりには、日本の生活に自然と溶け込み、さすが修業を積み重ねられただけはと感心させられたことが多かった1日でありました
@お坊さんの我々日本人に残された言葉<今回日本での印象は?>(16日夜) 1 日本の方々の親切と礼儀正しさは世界一。お辞儀をし、誰とでも平等に人に接する。 2 日本について:発展した国であるが、心のよりどころがないようだ。家族のあり方が心配。心の内面をもっと豊かに鍛えるべきだ。善と悪をしっかりとしないといけない。2546年仏教に歴史がある。国の発展だけでなく自分の心の中が発展することが大事である。
3 日本の寺と仏教:タイよりも日本のお寺の方が偉大である。昔は日本も仏教に対して熱心だったことが伺える。これからは、仏陀+仏法+経を実践することが大事。心の依存するところがない。宗教に対してどう思っているのかが、皆さんに聞きたい。知りたい。
@お坊さんは帰国
 木村代表の車にて城陽を早朝出発され、中務幹事長、現地でタイ人に見送られつつ帰国された。付き人はやっぱり、初めての日本あと一ヶ月姉さんと大阪で。タイ航空カウンター女性職員が搭乗員ゲートから出国手続きをすべくお坊さんを案内して向こうに見えなくなった。17日の午前9時半のことでありました。



















イサーンの高僧をお呼びした。(4)

2021-02-05 06:00:38 | ハノイ
@1月15日(水)案内人 瀬口良一氏(文責)
11時、アイリスインに迎えに
 タイの僧侶、お付きの方(ピンケオさんの弟)ピンケオさん、そして通訳のとしてピンケオさんの友達で寝屋川在住のエーさん。後で聞けば天理大学出身とのこと。
12時30分 妙心寺着
 阿じろ(精進料理)の社長、妹尾さんと落ち合う約束の時間が12時であったが我々は30分ほど遅れ、従業員の方が阿じろ本店で待っておられ、その方の案内で妙心寺本山に。(妹尾さんは今回、妙心寺を紹介していただいた方)その後妹尾さんと落ち合う。 
13時 本山にて妙心寺、法務部長で山内の大心院住職のお話を聞く。
 *妙心寺は臨済宗妙心寺派の総本山で全国に臨済宗の本山が13カ所あり、その末寺が  7000寺あり、そのうち3500寺が妙心寺派であり本山でも最も大きい宗派の一つである  とのこと。
*タイ僧侶と大心院との対話の中で。
○タイの上座部仏教(小乗仏教)に対して日本の大乗仏教について。
○仏門人として人々とのかかわり方。
○両寺とも学校を運営している。
○仏陀の戒律の話。ほとんどがこの戒律の話で終始した。
14時45分 ご本尊の部屋で記念写真を撮り、本山を後にした。
 帰りぎわ、ピンケオさんとエーさんがお腹がすいているとのことで、丁度、山内の東林院で小豆粥をしているのでそれを食べに行く。ピンケオさん、エーさん、弟さんの3人が食事をされたが、3人とも精進料理は口に合わないらしく、ほとんど残された。
 対の僧侶は戒律により午後は飲み物以外は口に出来ないので、お茶を出された女性の方が(そこに置いてくださいと言われ)面食らわれた。日常、日本の僧侶と接しておられても、戒律をきちんと守られておられるタイの僧侶との接し方が分からない(当たり前のこと)らしい!
16時 妙心寺を後に、帰途へ。
 **瀬口さんは青年期を妙心寺で過ごされたとか。ご苦労さんでした。

@1月16日(木)タイのお坊さんとの一日 中務昇氏文責
1月16日(木)円山治行さん、村上恵津子さん、タイ人の留学生のネーンさんと共に、12日から日本に滞在中の坊さんと、介添役のタイの若者を奈良方面に案内をしました。
円山さんには当日わざわざ休暇をとってまで、朝早くにご自慢のマイクロバスで坊さんを城陽市にある宿舎へ迎えに行っていただき、村上さん、ネーンさんとの待ち合わせの近鉄奈良駅への途中に私をひらってもらった。
東大寺横の駐車場に車を入れ外に出たところすぐに数匹の鹿が集まる、円山さんが例のせんべいを買って坊さんに渡してくれる、朝も早かったせいか、みるみる腹ペコ?の鹿に取り囲まれ瞬時に坊さんの手からせんべいはなくなる、タイでは鹿は珍しいとのこと、お坊さんは鹿の頭をつぎつぎになでながら満足そうな表情。おつきの若者はカメラのシャッター係り、彼はその後も無表情でもっぱらこの係りに徹していた。
さて、まずは奈良では定番の東大寺大仏さまの拝観へと向かう。「鎌倉の大仏」もタイでは有名だというような話をネーンさんから聞きながら南大門に到着、左右の「仁王さん」は相変わらずのしかめ面で「不浄の輩が今日は他国の坊さん連れか!」と私を睨んでいる。寒い中を独特の袈裟(ころも?)を着た僧侶を中心とした一行に、ウイークデーでしかも寒さがきついため参拝客もまばらではあるが皆さん面白そうに、あるいは怪訝な顔をしてこちらを注目、「仁王さんの役目」は伝えられたが、坊さんに「阿吽の呼吸」について、どのような時に使う言葉かを伝えるため、村上さんにも入ってもらい、通訳の通訳でネーンさんに説明をするが、ネーンさんは何のことか意味がわからない様子、無論坊さんにはまったく伝わらず、こちらが疲れて降参!つぎに向かう。(「以心伝心」はここでは死語なのか!)
本殿に向かう途中、タイ人の女性二人と日本人?の男性との三人組と出会う。女性は無論両手を合わせ頭と腰をかがめて挨拶、名古屋から来たとのこと、こんなところで突然自分の国の僧侶に出会えうれしそうな様子。しばらく立ち止まりお坊さんとの会話。坊さんは鷹揚にうんうんとうなずいて2,3言葉をかけられるているように見受けられた。
大仏殿ではお付の若者とネーンさんに、いろいろと坊さんのほうから説明をしている様子。日本の仏教についてまた東大寺についての予備知識は充分、英文のパンフレットで詳しく理解をしてもらえたようである。大仏殿の中を一周して坊さんは「日本人は信仰心が篤く、昔から仏様を大切にする心のあらわれ」との感想をのべられたようです。
12時までに食事を済ますため、少し早い時間であるが11時すぎに食堂に入る。坊さんと連れの若者はてんぷらうどんを注文される、ウェイトレスが運んできたがなかなか手を出そうとしない、おしぼりと水を彼女が持ってきた時も、すぐには手にせずお付の若者に何か指示をするが、若者のなにかぎこちない動きが気になる。このことは空港へ坊さんを見送りに行って食堂で朝食を頼んだときにも同じ様子であり、隣の席からわざわざ付き人が食事の乗ったお盆を少し動かす動作をして坊さんの前に改めて並べたとき、気になっていたことが理解できた。女性が手にしたものを直接手にはしない習慣。いったん付き人が手にして坊さんに渡すことの習慣であった。ところが付き人は慣れていないためか、たびたび坊さんに言われてから動くので不自然に思えたのである。
つづいて、奈良市内を一望出来る奥山ドライブウエーの展望台まで車を走らせた、あいにく見晴らしはよくなく、しかも外は風があり寒さで身が凍りそうになり早々に車の中へ逃げ込む、ドライブウエーは冬季には通り抜けが出来ず来た道を下る。



イサーンの高僧をお呼びした。(3)

2021-02-05 05:54:15 | ルーイ
@日本人からルーイのお坊さんへの質問
<いつ、どうしてお坊さんになられたのですか>
12歳のときに出家した。1955年からシャミになっていた。そこのお寺で素晴らしい先生に出会ったことが自分が一生僧侶で生きようと決心させた。二度と普通の生活には戻りたくなかった。
<毎日、どんな生活ですか?>
 普通は、3時半に起きて、4時から座禅、5時 お経を。6時にはビンタバン(托鉢) 7時半に朝食
 9時から 新しい坊さんにお経や仏教、生活を教える。
11時 昼食
13時 新僧侶への教育、教典、お経、座禅、生活を教える
16時 掃除タム・ワット・エーン
17時 水浴び
18時 瞑想 歩きながら 集中力を高める
19時 お経
20時 座禅
22時 鐘をつく  就寝
<お寺に関する年間行事は?> 略
<葬式は?>基本的には日本と一緒。火葬 必要な部分は保存する。お墓はない。
<一番辛かったこと> 座禅、お経、心の葛藤   

@1月14日(火)案内人 木村芳郎氏文責
  同行者:池田靖氏、木村芳郎氏、ピンケオさん
 東北タイのルーイ県からお招きした高僧プラ・スメティー師の京都見学を池田副代表とピンケオさんと木村の3名がサポートすることになった。
 今日は、平安神宮、動物園、清水寺を中心に散策する予定である。
 午前9時、近鉄大久保駅で落ち合った木村とピンケオさんの2名は、タクシーで城陽市の運動公園近くの宿舎に向かった。宿舎の一室には、高僧と付き人であるピンケオさんの弟が待ちかまえていた。この寒いのに窓は開けたままである。
 挨拶は何とか出来るが、日常会話は話せるわけがない。ピンケオさんの存在がなんと大きく見えたことか。神々しいスーパーウーマン?以後粗略には扱いません。
 「昨夜はよく休めましたか。不自由なことはありませんでしたか」とピンケオさんの通訳で聞いてみたが、「ディー」だそうだ。女性が付き人通さず直接話しても、何らこだわりもなくお坊さんはニコニコ顔で返答している。*さすが、高僧、できとる。黄色い衣の高僧の腰に、ピンケオさん持参のホカロンを巻き、厚手の靴下をはかせていざ出発である。
 タクシーで近鉄大久保駅まで行き、切符を買うのが大変興味深く目が輝いていた。付き人には自分で買うように指導して貴重な体験の押し売りをしておいた。買った切符で改札を通のがまた大変、タイにはバンコクにしか自動改札は無いんだから。山深いルーイや田舎のロイエットから出てきたお二人にはドキドキの初体験であろう。** ホームで電車に乗るとき、オバハンが後ろからぐいぐいと押してきよる。コラッ!お坊さんにさわるなあ。ガードする私をオバハンはグッと睨んでいた。
 近鉄東寺駅で下車して池田副代表の車を待つが、渋滞のせいかなかなか来ない。ふと見るとお坊さんの身体が小刻みに震えている。いくらお坊さんでも寒いものは寒いのだ。熱いお茶でもと、自動販売機の前にまで行くと、これまた自動販売機が珍しく付き人の青年は感心していた。
 お坊さんは12時までに昼食を終えねばならないので、少々早いが市役所前のゼストへ行く。麺が食べたいとのリクエストに食堂に入り、メニュー見てコレ!なんと天麩羅うどんであった。
 食事を済ませて平安神宮へ向かう途中に鴨川を渡った。ユリカモメが舞い川面にはたくさんの鴨が遊んでいる。と、オー、と付き人の目が輝いた。こんなご馳走はイサーンなら一日でいなくなるそうだ。
 平安神宮では朱色の鳥居や神社に非常に興味を抱き、ここのお坊さんに会いたい、と言われ困惑した。仕方がないので赤い巫女さんにお願いして記念写真を撮ったが、巫女さんとお坊さんの取り合わせはいいのかなあ。
 次は京都の誇る動物園、珍しい動物を見てもらおうと勇んで来たものの「本日休園」。事前の調査ができておらん。
早いが、清水寺へ参拝する。ここでは重い鉄の棒を引き上げるのに、付き人君は真っ赤にして奮闘していた。本堂では、お坊さんは熱心に見学されたが、付き人に自分の写真を撮らせることは忘れない。タイのお寺に帰って話の材料になったり、思い出の記念になったりするのであろう。小雨が降ってきて寒いので早く切り上げることにした。
 仕事のあるピンケオさんとは京阪四条の駅で別れ、洛西の池田氏宅へ向かう。彼女のいない車中は、時々噛み合わない会話があるだけで間が持たない。タイの田舎の一人旅で、単語を羅列しているだけの私ではどうにもならん。そのあと洛西高校で会議を終えた木村代表の車で城陽の宿舎まで無事に送り、一日が終わった。それにしても、気さくで気持ちの優しい立派なお坊さんだ。
 明日は妙心寺で日本のお坊さんと対話をされるそうだが、十分な成果をあげていただきたいものである。ピンケオさんおつかれさま。タイ語教室のオチコボレを実感した一日であった。
  *作成者つぶやき:お坊さんは女性と話すかどうか?別の日に私の携帯で川崎のメイと称する女性に話しかけられてたよ。**自動券売機や改札口での経験はアメリカ等であるのでは。