知らないタイを歩いてみたい!

タイの地方を紹介する。関心のある方の集まり。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

イサーンの高僧をお呼びした。(2)

2021-02-05 05:50:58 | ルーイ
@受け入れの苦労。でも楽しい!
 11日に初めてお坊さんの宿舎探し。タイ留学生ヌットちゃんを連れて、あっちこっち探す。なんせお坊さん受け入れなんて前代未聞なわ家ですから。習慣、タブーを少しでも知って宿舎を考えないと。フウッ!なんとか城陽市のアイリス・インが空いていたのだ。
 12日は木村代表と中務幹事長、それにタイ知識人ゴー先生とでお出迎えに行ったのでありますが、仏門へ帰依したことのある唯一の仏教専門家知識人ゴー先生は、出迎えの車中で、「なんでお坊さんをお呼びするんですか!」真顔の表情で、私めの高僧の招聘事業の無策、いい加減さ、考えの甘さを親切に激しく詰問する。
*出迎えをにぎやかにするには、「花がいるなあ」ー「お坊さんに花は渡せない」エエッ
*「今日は寒いけどお坊さん用のコートは持ってきた」ー「お坊さんは黄色いジャンパー がいる。今から買いに行こう」時間がない。*「祭壇におく仏像はあるの?エ!ない。どうするの?」「誰かの家にないかなあ」*「水を入れる鉢はあるか」「白いひもがいる」「宿舎は共同トイレ、共同風呂だが」ー「共同風呂はいけない。裸は見せない??」
*「晩ご飯はどこで食べてもらおう」ー「食事の時間は朝だけ」*「女性と話してはいけない」「えっ、フォーラムで踊りや楽器の演奏があるのですか?お坊さんは見てはいけないの知らないの。」
最後は、「どうしてすべて準備ができないのにお坊さんを呼ぶんですか!」というだめ押し言。でも、もうすぐ関空に到着されるのだ! 

@どんなお坊さんが!
 五時前に付き人と黄色い衣をまとったお坊さんはニコニコされながら出迎えロビーに出てこられた。小柄ながら、気さくそうで、多くの心配を解除してくれる方のようだった。 お名前  プラ・ラッチャー スメー・ティー (60歳)
お寺  ワット プートゥー・マクナーラマーム
住所  タンボン サーイカーウ アンプー ワンサプン ルーイ県
お坊さんの地位
    タマユット派で、チャオ・カナ・チャングワット・ルーイ(ルーイ県の大僧侶長である。知事と同位である。)(県仏教会会長)
 お坊さん曰く:「私はアメリカや外国には行ったことがある。たいがいその国の習慣に慣れているので特別の配慮は無用。今回は、ご招待していただきありがとう。」この挨拶で全ての気遣いが不要となった。金ぴかの仏像もタイから持参されていたのだ!
@いよいよタイ・フォーラム
 1月13日(祝日月)午前10時30分から始まりました。(南宇治コミセンにて)
 サワディー・ピー・マイ・クラップ!~タイから新春の「元気」をもらいましょう!タイ、ルーイ県から本当に黄色い袈裟を着た僧侶に来ていただくことができました。不可解な世相の中で、高僧から少しでも「生きる知恵」を教えていただけないかと思うのは小人の欲か。いずれにしてもタイ・フォーラムでは寒くて冷え込んだ季節、タイの熱い熱い元気をもらって今年一年のスタートとしたいもの。(当日の挨拶文)
 <スケジュール>
10:30 受付
10:40 タイ、ルーイ県のお坊さんからの「御講話」
11:40 本日のタイ料理の作り方説明とグループ分け
12:30 料理開始(トムヤム・カイ、野菜炒め、ガイヤン、かぼちゃデザートを予定)
13:40 料理が完成するでしょう。
14:00 いただきまーす
14:30 アトラクション開始
その1)「ネーンちゃんのタイ古典舞踊」
その2)「タイ伝統楽器演奏」
その3)「にっぽんむかしばなしー紙芝居」
その4)「にっぽんの調べーヴァイオリン二重奏」
その5)飛び入り「タイのルークトーン演歌」
<記念撮影><自己紹介>
16:00 とりあえず料理は後片づけ
16:30 タイの最新情報
  18:00 日本タイ教育交流協会・会員、新会員総会
 <お坊さんの御行事>(円山会員の車で、10時に宿舎から会場へ来ていただく)
 <会場設営>舞台、祭壇設営(仏像、花瓶、祭壇の花、ローソク、線香、線香を立てるお米か灰か砂の入った茶碗、花瓶、白いと、お水入れの鉢、水かけの束)
 <儀式> お経  五戒を受ける(受けたら酒は飲めない)仏法僧を説く説教、瞑想、内面の葛藤をおさめる 聖水をかける 各人の手首に白い糸を結ぶ、占い 御利益のあるワッペンを全員がいただく。
<特番> すべての公式スケジュール終了後、別室にてタイ人の方たちはお坊さんから占いをしてもらっていた。






イサーンの高僧をお呼びした。(1)

2021-02-05 05:31:51 | ルーイ
@イサーンのお坊さんをお呼びした!
 昨春、本会は宇治鳳凰ロータリークラブより地道な諸活動が認められ報償金をいただいた。ありがたいことだった。そこでその有効な活かし方を会員で相談していたのですがなかなか決まりません。昨夏のイベントのあとの反省会で、そこに参加したタイ人会員に相談してみた。「お坊さんをお呼びするのがいい。私が紹介します」とかなんとかトントン拍子で、後から考えると随分、無謀な招聘を決定したのであります。
 何が”無謀”なのか?答え:だれも上座部仏教を詳しくは知らない。(だからこそ文化理解でお呼びするのだが)そして、どこからどの高僧をお呼びするのか?だれがお世話をするのか?どんな儀礼をしていただくのか?もっと小声で「資金は足るのか!」エエィッ!尻込みはいけない。不可能なことだからやってみよう!そんな気負った気持ち。本音を言えば在日タイ人たちが歓喜されるような行事がいいのでは、といった会員同士の暗黙の了解が働いたのは事実です。在日タイ人はお坊さんに居ながらにしてお出会いできるのだ!
 その後は、タイ仏教(上座部仏教)について調べよう、調べよう、と思うちに、本当にそんなことが実現できるのかいな、いや、タイ人会員が当たってくれたロイエット県の高僧は多忙故に来日不可能らしい、というニュースを聞くに及んで、お迎え意識はやや薄らいでいった。他の会員も言い放し、聞きっぱなし!

@簡単にはいかない。でもおかげさまで!  関空にて
 お坊さんを紹介してくれるタイ人女性の現地の弟が、イサーンのルーイ県の最高僧と接触できたらしい、というニュースは昨年12月末。弟がトラックで行商しているルーイにてアメリカやオーストラリアなどへ仏教の交流活動をされている高僧が「わしが行ったる!」と快諾されたとか。(12月末)でもビザがぞっとするほど煩雑だということを会員もそのタイ人も微塵も考えていないのだった。
 その弟が付き人として日本に来れることも内緒ですが、(紹介者にとっては)今回の行事のもつ重要な目的だったのです。口には出さなかったが。この付き人のビザがでない。私からもバンコクの日本大使館へ電話をかけるが通じないもんだ。1月10日になってバンコク日本大使館から直に私の職場へ電話があった。「付き人って必要なんですか?どんな身分ですか?お坊さんは何をするんですか?就労はしませんね?責任をもってくれますか?十分そちらでよろしく」との館員のだめ押し電話。紹介してくれた在日タイ人女性まで書類の照会などがあり、「こんなにムズカシイとは知らんかった」との弁。来日決定はフォーラム実施の1月13日の3日前。当初、11日到着がチケットが購入が間に合わず、
12日の夕方着の飛行便で来られることが確定。





タイの音楽~タイ的なるものをめぐって(3)

2021-02-03 06:44:05 | ハノイ
 古典舞踊、歌謡における舞台の上での男女の役割であるが、女性は踊る、歌う方であり、男性は楽器を演奏する方である。この点は日本の脳や雅楽とは異なる。日本では女性はむしろ神聖な巫女であろうか。とは言え女性がわずかに演奏に参加する間がある。自分が歌う歌の拍子をとるために酒の盃くらいのサイズのチャープ(鐘)を叩く。叩くとはいっても床に置かれた鐘に手にもったもう一方の鐘を落とすという所作である。あくまで女性の歌への拍子取の意味合いであるが落とすことによってカチン、カチンとホールに小さいが甲高く響きその演奏に歯切れのいい、かつ冥絶な味を添え、伴奏として補助的に参加していくことになる。
 ラコーン・ナーイと呼ばれる宮中舞踊を観たことがある。かつては国王のご機嫌うるわしからむことを希って官女達が踊ったようである。地面から足を離さず地面を踏みつけ腰を落として重心を下げて緩やかに動く。両足を交互に動かし前に進み後ろにさがるという動きが基本である。出来るだけ地面に平行に水平に、躍動感は乏しい。さりげない手の指、目の動き、顔の表情に深い意味がありそうである。稲作農耕での泥田での身振りと思えば当たっている。どこに強弱があるか分からない。遊牧民の世界での地面からスキップしたり、垂直に躍動したり回転したり激しい動作はどこにも見られない。
 演奏をぐっと聴き入る。そこでは同じ旋律が延々と繰り返されていく。その間に音色を変えたり楽器を変えたり歌の種類を変えたりしていく。どこで終わるのか時間に対して欲求がない。時間を放棄して完結に対する執着がない。そこでは速さは美徳ではない。時間系列に進行形がない。のんべんだらりである。輪廻のようにぐるりぐるり回っている。
 
 西洋の音楽ではオクターブを起点として非連続に発展する。一音一音切断される。音階を「切っていく」と言ってよい。そのあり方は「父性原理」とも言えよう。一方、アジアの音楽は楽音のみならず非音楽を織り交ぜて連続性を保持していく。きめ細かく旋律が伸縮自在に伸びていく。思うにアジアの文化は自然をとり込むことや自然の中に生きることを特徴としている。虫の鳴く声、風の音、川の流れなど。一方、西洋の世界は自然を乗り越えて人間が創り出せる限り技巧を凝らす。
 こうした自然への対応の仕方はおのずから「母性原理」を包括するものと言えよう。タイの村々を訪れて「ここで泊めていただけないか」とお願いする。「何もないけどそれでもよかったらどうぞ」ということになる。その日は農作業が中断してしまうこともある。夕暮れより歌って踊って、、、、歓迎パーティーとなる。「また来年も来いよ!」ということになる。知らない人でもいつでも迎え入れる開かれた社会である。ということは、開かれているが故にいろんな文化が何度も行き交い幾重にも沈殿していったのであろう。アジアは奥の深いフレキシブルな柔構造を持つ文化が花開いたのである。ついでながら私が中東イスラム国に行った時に「家を見せてほしい」と突然訪れた遊牧民に農家で「ノー!」と拒絶されたことは強烈な記憶にある。
 島尾敏雄は奄美大島での生活で「日本(本州のことか?)の中には、ある固さがある」と書いている。こっつんと固いものがある。ところが「南に来るとそれがあまり感じない、柔らかいものを感じる。」と書いている。頭から押さえつけて浸透させるものでなく、足の裏の方から這い上がってくる生活の根のようなもの」と。そうした現象は履物文化を見ても十分わかる。革靴ではなく草履やサンダルの文化である。衣服を見てもアジアでは洋服のようにフィットする文化ではなくフリーサイズの服や着物の文化である。
 アジアでは西洋における見通しのきく透明な空間から生まれる人間中心の近代合理主義の社会ではなく、自然の摂理と慈悲に身を委ねる謙虚な文化を持つ社会なのである。ユングが言うところの、古くて、暗くて、深くて、偉大な自己の世界に触れうるところの社会である。タイに代表されるアジアの国々の音楽に触れながら、その柔らかい、ゆるやかな音調の文化にはどこまでも奥深く魅惑を漂わせる魔性がいるように思えてならない。
 メモ書き
 *タイの古典舞踊、歌謡の持つ特質 -西洋との比較でー
 (全体のイメージ)
  開放性があり重層的な文化である。
  しかし、基層のところではやわらかい」
  限りなく「優しい」
  手足、目の動き、顔の表情に意味がある。
  自然や風土を取り込んでいる。
 (曲の速さ)
  速さが美徳ではない。伸縮自在の拍節が連続している。
  時間進行に合せて質が変わっていかない。
  いつ終わるかは分からない。時間を放棄する。
 (踊りの技法)
  重心が大地に落ちている。
  地面から足を離さず、地面に平行に進む。
 (演奏法)
  強弱があいまい。
  偶数拍子のリズム
  胡坐をかいて演奏する。
 (伝承方法)
  個が出てこない。
  口頭伝承である。      断章