日刊「NOCUSる」

たとえば5年後、あなたは何を食べている? それは、どこで誰が作る?

ユーパロの風

2006-07-12 | まち

JR常磐線の南中郷駅は、列車とホームの間が広くあいていて不安を感じていた人が多く、じっさいに事故もあったという声が寄せられ・・・という「北茨城民報」の記事に添えた写真は1枚だけだったので、ボツにしたほうをここにUPしておきます。
田んぼ仕事を中途にして、泥んこ服を着替えて同行して撮った写真は、駅長さんと面談し、事故について説明を受けている31母ちゃん

という本題は省略して、余談。

たまたま駅においてあった映画「フラガール」のチラシを私がもっていたのを、たまたま駅長さんが見つけて、“すでに試写を観ましたが予想以上に素晴らしい映画でしたよ”とか。(こちらほか北茨城市内各所でもロケ)
で、
映画の舞台である常磐ハワイアンセンターから炭坑の閉山に話はさかのぼったりしたのですが、それも略。

で、余談の余談。
炭坑閉山といえば思い出すのが、北海道は夕張市の「倒産」問題です。
これまで何度か足を運んだことがあって、映画「幸福の黄色いハンカチ」のラストシーンとともに、かつての炭坑地帯としても気になる街です。
ちなみに、
ユーパロの風(くまがい圭子さん)が、ゆれる現地のようす伝え、そして揺るがない決意を発信しています。
次のような説明があります。

>  北炭など炭鉱資本は、社会的責任を放棄し、上下水道、道路、住宅、病院など都市基盤を投げ出して市におしつけ、膨大な市財政負担に転嫁しました。
  例えば、北炭の鉱産税の未払い六十一億円は踏み倒され、基準以下の水道を買いとり、復旧には十五億円も投じ、北海道一高い水道代が市民に転嫁され、老朽化した炭鉱病院を市立病院として買いとったものの四十億円の赤字をかかえました。


ここで「北炭」という字をみて、こんな歌を思い出しました。添えられた解説よれば、

> 1981年10月に夕張炭鉱ででガス突出および二次災害(ガス爆発)により死者93人,重軽傷者39人の罹災者を出した炭坑災害が発生。これを契機に会社側が決定した閉山に抗して闘う現地の声をうたごえにしたものです。

とのこと。

かつて私たちも東京に住んでいた時代のできごとです。
じつは、
当時の北炭夕張炭坑の社長はH原という人で、その自宅がすぐ近くでした。まさに豪邸と呼ぶにふさわしい門構えと広い敷地が印象に残っていますが、一方的な閉山は許せないと北海道から労働者の代表が上京し、社長邸の敷地内にテントを張って座り込みをつづけたのです。
その現場で、
たたかいを歌で激励したうたごえ運動の人たちのなかに、若かりしころの31母ちゃんの姿もありましたっけ。(遠い目)
と、
長くなったけど、ようやく話と写真がつながりました(^^;

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