日刊「NOCUSる」

たとえば5年後、あなたは何を食べている? それは、どこで誰が作る?

踏ん張る

2006-09-23 | ひと

きょうは百里平和農園で、茨城農民連青年部などが主催する「稲刈り交流会」。
田植え交流会」とともに第13回を数えますが、第一回からほぼ欠かさず参加しています。

さて、写真。
下記のような・・・

うちの女房の祖父は、戦前、この地で4haの畑を開墾して農業をやっていた。
農業機械などない時代だから、そうとうな働き者だったんだっぺと思う。
あるとき突然、飛行場をつくるから、1週間以内で土地を明け渡すようにと軍からの命令があった。
当時、軍の命令は天皇陛下の命令だから否応なしに従うしかなかった。
そうはいっても、馬などの家畜はいたし、道具や収穫物などもあったわけで、いきなり出ていけるはずもない。知人の家に住まわせてもらいながら片づけをした。
ところが軍は、猶予はならないと家屋にダイナマイトを仕掛けて爆破、撤去。
そこに海軍の飛行場がつくられた。

終戦になって、土地が農民に手に戻った。
私も満州から生命からがら引き上げてきて、この地に開拓に入った。
ところが、わずか10年ほどで、今度は自衛隊が基地をつくるといってきた。
当時、土方で働いて日給が200円くらい。その時代に1戸あたり300万円もの金が積まれた。いまで言えば億の金か。
みんな出ていった。そして、いま目の前にひろがる基地がつくられてしまった。

それでも数戸だが、“戦争のために土地は売らない”と、金になびかない農家もあった。
私も、農業で踏ん張り通してきた。
これからも皆さんと力を合わせて頑張っていきたい。


・・・話をしているのは、地元で農業を営んでいる宮沢昭さん。
こちらとかこちらなど、これまでも勝手に紹介してしまっています。

関連だけど、こんど日本の首相になる人は、
戦前、上記のような土地取り上げをやった側に立って、ついでに私腹まで肥やした戦犯でありながら、アメリカの手先となることで復権した、
そんな祖父を尊敬していることを隠さず、同じようなことをやろうとしているんだよね。

こんな時代だからこそ、宮沢さんに学ぶべきところがいっぱいあると気づく人も、どうでもいいという人も、
ランキングに一票 よろしく(^^;

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1 コメント

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自給自足が (なか)
2006-09-24 07:11:24
やっぱり一番だね(^^v



作り続けるって大変だけど・・・



それにしても忙しくってうらやましいなぁぁぁ!



明日は憲法田圃の写真リクエストです。
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