No.2138
これまでもなんどか紹介している(はず)だけど、市内の山間、「亀谷地」湿原のミズバショウです。
撮影は4月14日。(こちらに大きい写真もUP)
こんな忙しい季節に足を運んだ
次女の学校事情のつづきです。
小学校不登校時代も、中学校に通うようになってからも、家でよく勉強をする子でした。進研ゼミだかなんだかの通信教育を受けたいと、しぶる母親を説得して費用を出してもらっていたようです。そのためのアルバイト的な位置づけもあって、食卓の後かたづけや翌朝の炊飯の支度などは、毎日せっせとやっていました。父親にとっては、ただただ感心するばかりの数年。
ただし、
「勉強は好きだけど、何かのためにやるってのは嫌なんだよね。試験のための勉強だったら、よけいにやりたくなくなる」
そんなふうに言ってのけるのでした。
高校入試が近づいて、今年のお正月が明けてからというもの、たしかに勉強する姿を以前ほどには見かけなくなりました。
2月、
腕試しで受験した私立高校には合格したものの、本人は「スカートの制服なんて嫌だ」と端から行かない宣言をしていました。とすると、このあたりで進学対象になるのは、兄や父親が卒業した学校しかありません。
ちなみに、
その高校では30数年前に制服が廃止されたのですが、父親つまり私も自由化運動の先頭に立っていた1人ではあります。というのは余談。
そして3月、
県立高校の入試が終わって、自己採点によると、やはり少し危ういかなぁという感触のようでした。合否発表まで、ほぼ不合格らしいという前提で数日が過ぎました。
その間、
「今が踏ん張りどきだよって少しは背中を押してやるべきだったのかなぁ」「いや、いちばん本人がわかっていたはずだから、そんな必要はなかったよね」「とにかく中学校3年間、よくがんばったよ」「あとのことは、結果が出てからゆっくり考えればいいさ」
そんなふうに父ちゃんと母ちゃんは意見の一致をみていました。
というところで、
またしても写真の説明をしないまま終わります。
小学校3年のときから行き渋るようになって、同4学年~6学年、ほぼ完全に不登校で過ごして小学校を終えた次女は、
こちらでちょっと報告してありますが、
隣市の中学校に越境で通学し、この3月に卒業しました。
思い出してみれば、
3年前の3月、
地元の中学校には行きたくないという本人の希望を小学校側に伝えたら、それは教育委員会が判断することだとかで、何の手だてもとられませんでした。
そこで、
市の教育委員会に申し入れたところ、受け入れてくれるかどうか当該市の教育委員会の判断を仰がなければならないとかで、いわば門前払いでした。
しょうがないので、
隣の高萩市の教育委員会を訪ねてみたら、まずは送り出す側の教育委員会からの要請を受けてから検討するという対応でした。
と、
言われるままに段取りを踏んできた大人しい父親も、ここでキレました。たまたま最後に行き当たった高萩市の学校教育課長には気の毒だったかもしれないけど、
絵に描いたようなタライまわしはいい加減にしていただきたい。
と、ちょっとだけ(^^;強い談判の末、その場で、
親が車で送り迎えするという条件?で「転校」が許可になった経緯がありました。
というわけで3年間、
車で片道15分ほどの送迎を主に父親が請け負ってきました。
田植えや稲刈りの真っ最中に、作業を中断して迎えに行って校門の前で待たされたこともあったし、逆に暗い校門の前で1人で待たせたこともありました。
考えてみれば、
本人は朝に行って夕に帰るだけだけど、送迎するほうは毎日2往復です。親がえらいよねぇ。(エヘン)
と、
恩に着せられた本人は、どんなふうに思っているのかという一端を、こちらでばらしちゃおうかな。
あ、
きょうの写真の説明をしてませんね。
じゃ、後ほど。
最終日に
2006-04-08 | ひと
No.2134
写真展、とんでもない花も届いたりしつつ、なんとかお開きとなりました。Pecoちゃんを除く皆さま、ありがとうございました。
たとえば「終わらせておく」という言葉。「終わしておく」と表現しても同じ意味になります。これを、当地方の65歳以上の人であれば「終やしておく」と言うばあいがあります。「おヤシとげ」(終わらせておけ)などと使われます。
という方言と関係があるのかどうかわかりませんが、
最終日の8日、
しばらんさん夫妻が遠くから足を運んでくれました。そしてお土産に置いていってくれたのが、写真の「椰子の実」です。
ありがとうございました。山道経由での帰路をすすめましたが、無事に道に迷うことができたでしょうか。
ところで問題は、椰子の実。
どうやって食べる(飲む?)のやら、どう利用するのやら・・・。小さな穴を開けて、中の果汁を飲むのかなぁ。どなたかご教授ください。
あ、
撤収した写真パネルは、しばらくうちのギャラリィに展示しておこうと思います。どうぞいつでもおいでください。
さらに、
きたる4月30日に、結城市のほうで開かれる第8回菜の花まつりの会場で、勝手に出張写真展を開いちゃおうかと口走ったら、そちらのスタッフからは激しく同意をいただいておりますが、当日の朝5時から新聞配達をして、6時過ぎに家を出ても、現地着は8時半・・・ちょっと無理かなぁ・・・
破 産
2006-04-06 | まち
No.2133
見えにくいけど運転席の窓に貼ってある書類は、破産管財人名による「告示書」。
「・・・みだりに立入りあるいは搬出等する者は、刑法により処罰される・・・」とかなんとか書いてあります。
ヤバ、きょうの写真って、みだりに立ち入った証拠になっちゃうじゃん。(^^;
市内にある食品会社の破産が伝えられました。この会社、じつは市内の学校給食の米飯を受託している業者でもありました。春休み中に突然のことで、市では急きょ日立市のほうの業者と代替契約を交わしたようです。市内産の米を利用していた施策が引き継がれるのかなどについては現段階では不明です。
なんでも民間に任せればいいって風潮が広がって・・・取り返しがつくうちはいいけど・・・
さっさと
2006-04-05 | ひと
No.2132
大学入学が決まって家を出る長男(18歳)です。
進学先は県内とはいえ、高速道を飛ばしても車で2時間ちかくはかかる遠方。さすがに自転車通学はムリみたい(^^;で、学校の宿舎に入ることになりました。
出発の写真くらいは撮ろうと思っていたんだけど、こっちが朝飯を食っている間にさっさと出て行ってしまって、あわてて追いかけて撮った1枚です。
この足(自転車)で、
東京のほうに進学が決まった友人の部屋(埼玉?)に泊めてもらって、翌日(5日)、つくば市にある宿舎まで戻って自室に入居だそうです。
で、きょう5日は朝から雨だったんだけど、どうなったんだか。あれっそういえば詳しい部屋番号などは聞いてないなかったなぁ。奴は携帯電話も持ってないけど、まぁそのうち「米を送れ」とか連絡が来んだっぺ。
No.2131
写真の順番が前後しますが、No2129の前に撮ったコマです。
採土場所をトラクターで浅く耕耘しておいて、表土の部分を除けているところです。
これまでやってきた苗土の自家採取で、いちばん大変なのがフルイの作業でした。それを今年は省くことができました。
じつは、
瓢箪から駒というか棚から牡丹餅というか、予期せぬ副次的効果でした。
前号で紹介した焼土の作業をしても、苗箱でのヒエの発生をゼロにすることはできなくて、昨年の育苗でも苦労しました。そこで思いついたのが写真のように、表土を剥いでみることでした。
田んぼはこちらで、いちおう雑草は生えていなかったところを選んだのですが、ヒエがどうなるかは未だわかりません。
でも、
表土ともに稲株などが取り除けたことで、この後に再びトラクターで耕耘しただけで土を細かくそろえることができました。フルイの作業をせずに済んで、1日分の仕事が省力化できたのです。
で、
ムリヤリこじつける教訓だけど、
瓢箪だって、振ってみなければ駒は出てきません。牡丹餅が落ちてきたとしても、棚の下にいなければ、それは受け止められないわけで、やはり棚の下に行っているという努力はしておいたほうがいいわけです。
一寸先は
こちらに育苗特集のページ。
No.2130
苗土の採取の話題の流れで、ちょっと古い写真を引っ張り出してきました。一昨年の12月に撮ったもので、田んぼの土の表面を灯油バーナーで焼いているところです。
育苗用の土は、近くの自作地で、凸凹が気になる田んぼの凸の部分を選んで採取しています。が、もちろん除草剤も使わない田んぼの土なので、育苗のときにヒエの発芽・生長が目につくという大問題があったのです。
そこで、ヒエなど雑草の種を少しでも減らせないかと、採土する部分をバーナーで焼いてみた・・・そんな作業でした。
こちらに育苗特集のページ。