先日初回訪問で、患者さんから「最初にお願いしたいことがあります。」と言われました。
「僕は、言語障害があります。ですから、とても聴きにくいと思います。面倒かもしれませんが、どうか最後まで話を聞いてください。」
ゆっくりと、言葉を絞り出すように、一生懸命そう話してくれました。
多くの医師や看護師が、今まで彼の話を最後まで聞いてくれなかったそうです。
言葉がうまく話せないことと、彼の知的能力とは全く関係ないのに、時にまるで幼児に話しかけるように、幼稚な言葉をかけられることもあるといいます。
そして、大事な話は彼ではなく、付き添っている妻に伝えられるのだと。
まるで手短に伝えよと、言わんばかりに妻に向いて話をする人々。
それは「とても悲しい」ことだと、彼は私に言います。
「僕は、きちんと僕に向き合って、僕の伝えたいことを聞いて欲しいし、僕に話をして欲しいのです。面倒だと思いますが、よろしくお願いします。」
うーん。
こんなお願いをされたのは初めてだし、そんな風に思いながら日々を過ごされている方がいることに、改めてショックをうけました。
障害の重さと、本来持っている知的、文化的な質の高さは全く異なるはずなのに、言語障害や不随意運動を伴うだけで、一番病態を理解しているはずの医療従事者が、そんな差別的な対応を日々しているなんて・・。
それに、知的障害があったとしても、やはりきちんと本人と向き合って、まずは話を聞くところからはじめるのが当たり前のはず。
もしかして、今の今まで自分でも気づかないうちに、隣の人に話しかけていたのじゃないかと、ハッとしてしまいました。
担当をお願いしたスタッフにこのことを伝えると、彼女もショックだったようです。
「そんな風に、感じられていたんですね・・・。」
自分はどんな会話をしているのだろうか。
対話は、相手と対等になされるべきものだと、もう一度心に留めたいと思います。
「僕は、言語障害があります。ですから、とても聴きにくいと思います。面倒かもしれませんが、どうか最後まで話を聞いてください。」
ゆっくりと、言葉を絞り出すように、一生懸命そう話してくれました。
多くの医師や看護師が、今まで彼の話を最後まで聞いてくれなかったそうです。
言葉がうまく話せないことと、彼の知的能力とは全く関係ないのに、時にまるで幼児に話しかけるように、幼稚な言葉をかけられることもあるといいます。
そして、大事な話は彼ではなく、付き添っている妻に伝えられるのだと。
まるで手短に伝えよと、言わんばかりに妻に向いて話をする人々。
それは「とても悲しい」ことだと、彼は私に言います。
「僕は、きちんと僕に向き合って、僕の伝えたいことを聞いて欲しいし、僕に話をして欲しいのです。面倒だと思いますが、よろしくお願いします。」
うーん。
こんなお願いをされたのは初めてだし、そんな風に思いながら日々を過ごされている方がいることに、改めてショックをうけました。
障害の重さと、本来持っている知的、文化的な質の高さは全く異なるはずなのに、言語障害や不随意運動を伴うだけで、一番病態を理解しているはずの医療従事者が、そんな差別的な対応を日々しているなんて・・。
それに、知的障害があったとしても、やはりきちんと本人と向き合って、まずは話を聞くところからはじめるのが当たり前のはず。
もしかして、今の今まで自分でも気づかないうちに、隣の人に話しかけていたのじゃないかと、ハッとしてしまいました。
担当をお願いしたスタッフにこのことを伝えると、彼女もショックだったようです。
「そんな風に、感じられていたんですね・・・。」
自分はどんな会話をしているのだろうか。
対話は、相手と対等になされるべきものだと、もう一度心に留めたいと思います。