今日、以前この地域で一緒に在宅を支えた仲間から電話がありました。
彼女は、連携先のクリニックの元ナースで、たくさんのスキルを身に付け、在宅での看護に情熱を傾ける熱い人です。
活動的な彼女が前向きな生活の中で、いろいろなことに挑戦しているのは聞いていましたが、なんといまは他県で在宅支援診療所の訪問看護師をやっているということでした。
「わお!懐かしい!久しぶり〜!!」から始まって、近況報告などのあと、彼女の電話の要件が「独居の看取り」の準備についてでした。
彼女の話では、「場所が変われば、そこで出来ていることを同じように出来ると思ったら、全然違うのよ。なにしろ、在宅での看取りなんてめったにないことで、死ぬのは病院に決まってる。てっいうのが常識なんだから。」とのこと。
まあ、話には聞いていましたが、外に出てみて初めて身にしみる話となって実感したそうです。
「だから、身寄りのない独居の人が、自宅で死にたいと言われても、一体どこまでこちらでやればいいか分からないので教えて!」
なるほど、本当にそういう感じなんだなと。
ケアマネさんもいるにはいるけど、とてもそんな話に乗れる相手じゃないそうで、その先駆けとなるには、まず自分が動かなきゃダメなんだと、彼女は奮闘しているようでした。
とはいえ、日本国内なので法律的には変わりはないので、ポイントさえ押さえればなんとかなるはずです。
少なくとも、ざいたくでの看取りを支援してくれる往診医と訪問看護師がいて、巡回も対応してくれるヘルパーステーションがあれば、とりあえず大丈夫だと思うのです。
(訪問看護が医療保険となれるがん末期などの場合は、それこそ24時間定期巡回型訪問介護などの利用もいいかもしれませんが、これもそんなに多くはないですよね。)
独居で生保であれば、ほとんどは地域のお役所の保護担当者にお願いできちゃうんだと思います。
最終的に支払いなどはお任せできるので、とりあえず葬儀社に相談しておいたり、お墓の確認をしておいたり、部屋の後始末の相談だけは本人としておいたほうがいいよ、と伝えました。
まあ、あとはなるようになります。
私たちのやることは、できるだけ苦痛を少なくして、穏やかな時間を提供することです。
幸い関われる時間はたっぷりあるとのこと。
彼女のことです。きっと良いお看とりが出来ると思いますし、その地域を看取りのできる地域としてひっぱていけると確信しています。
彼女は、連携先のクリニックの元ナースで、たくさんのスキルを身に付け、在宅での看護に情熱を傾ける熱い人です。
活動的な彼女が前向きな生活の中で、いろいろなことに挑戦しているのは聞いていましたが、なんといまは他県で在宅支援診療所の訪問看護師をやっているということでした。
「わお!懐かしい!久しぶり〜!!」から始まって、近況報告などのあと、彼女の電話の要件が「独居の看取り」の準備についてでした。
彼女の話では、「場所が変われば、そこで出来ていることを同じように出来ると思ったら、全然違うのよ。なにしろ、在宅での看取りなんてめったにないことで、死ぬのは病院に決まってる。てっいうのが常識なんだから。」とのこと。
まあ、話には聞いていましたが、外に出てみて初めて身にしみる話となって実感したそうです。
「だから、身寄りのない独居の人が、自宅で死にたいと言われても、一体どこまでこちらでやればいいか分からないので教えて!」
なるほど、本当にそういう感じなんだなと。
ケアマネさんもいるにはいるけど、とてもそんな話に乗れる相手じゃないそうで、その先駆けとなるには、まず自分が動かなきゃダメなんだと、彼女は奮闘しているようでした。
とはいえ、日本国内なので法律的には変わりはないので、ポイントさえ押さえればなんとかなるはずです。
少なくとも、ざいたくでの看取りを支援してくれる往診医と訪問看護師がいて、巡回も対応してくれるヘルパーステーションがあれば、とりあえず大丈夫だと思うのです。
(訪問看護が医療保険となれるがん末期などの場合は、それこそ24時間定期巡回型訪問介護などの利用もいいかもしれませんが、これもそんなに多くはないですよね。)
独居で生保であれば、ほとんどは地域のお役所の保護担当者にお願いできちゃうんだと思います。
最終的に支払いなどはお任せできるので、とりあえず葬儀社に相談しておいたり、お墓の確認をしておいたり、部屋の後始末の相談だけは本人としておいたほうがいいよ、と伝えました。
まあ、あとはなるようになります。
私たちのやることは、できるだけ苦痛を少なくして、穏やかな時間を提供することです。
幸い関われる時間はたっぷりあるとのこと。
彼女のことです。きっと良いお看とりが出来ると思いますし、その地域を看取りのできる地域としてひっぱていけると確信しています。