なんだか、毎日が駆け足で過ぎていきます。
ほんとうは、もっと緩やかに、もっと気持ち豊かに過ごしたいなんて思ってはみますが、どうもまだ当分実現しそうにありません。
金曜日に、朝一番の初回訪問のあと、横浜市訪問看護連絡協議会の定例会と賀詞交歓会のために車でメルパルクまで行きました。
PCを持っていく係りだったので、持って歩くのはちょっとしんどくて、飲めない覚悟で車にしました。
定例会のシンポジウムの後、講演がありました。
藤沢市教育文化センター 主任研究員 目黒 悟先生のお話です。
テーマは 「人を育てること・教えることとは」
~教育的なかかわりの本質を考える~
というもので、どんな先生が来るのかな?と思っていたら、ロン毛のどこか茫洋とした風貌の人が現れました。
そして、ホワイトボード2枚の前に立って、いきなり話し始めたその声と語り口にびっくり。
なんだか、かわいい声でペタペタっとした感じで、妙にフレンドリー・・
で、嫌な感じかと言うとそうではなくて、いきなり眠気が覚めて引き込まれるような話に。
おもしろい。
こういう先生、いるんだぁ・・・。っていう感じです。
もともと、学校の先生の指導をされていたようですが、いつの頃からか、看護学校の先生も指導するようになり、さらに現場の指導者の教育指導などをされるようになったとか。
先生は、看護教育に当たって看護論なども読み漁って、其の看護の本質の中に、実際の教育の本質を見出されたそうです。
看護論をそのまま、「教える人」と「学習者」に置き換えると、それは指導その物であると気が付いたそうです。
「看護婦が看護婦であるゆえんは、そもそも看護婦の援助を必要としている患者の存在があるからである。そこではまず患者と知り合う事から始めなければならない。
患者を理解し、患者の(援助へのへのニード)(need-for-help)を理解することによって、看護婦の役割や患者ケアにおける看護婦の責務はおのずから明らかになってくるのであろう。」(アーネスティン・ウィーデンバック)
って、習ったのかもしれないけど、全然覚えていないし・・。
けれどその内容は、私たちに沁みついて物でもあります。
そして、その看護婦を教える人に、患者を教えられる対象者に置き換えると、それが指導になると言う事など、いくつかの例を用いて説明していました。
なるほどな~。
なんか、聴けば「そうそう」とおもっても、それをひとに言語化して説明しようとすると、なんだかわけがわからなくなってしまいますよね。
指導者としてのまなざしが、上から目線になるということは、認知症の老人に幼児言葉をいつの間にか使っている人と同じなのだそうです。
相手が、圧倒的無力だと感じた時に、これを出来るようにしたいと本能的に思い、時として赤ちゃん言葉となってでる。
引き上げてあげるのだという上から目線の言葉。
そんな話から、とても興味深くて、しかも納得できるお話を聴くことができました。
そのあとは、レインボーホールでのでした。
すぐ隣は、大人な感じのネオンがいいムードを醸し出しているマリンタワー。
デートコースですわ~
お料理は中華。 美味しい。
港の夜景はきれいだけれど、どうしてもガラスが映り込んで、きれいに撮れず・・
いつか、カメラ教室にでも通おうかと思いました・・・。
帰りは、一人で夜のドライブ。
ランドマークが夜の空にそびえたち・・。
運転中で、せっかくの夜景はとれず・・。
せめてもと、もみじ坂へ入る橋の上で窓からとった写真です。
もっとゆっくりこの辺散策したりして、もっと上手に写真が撮れたらな~。
とため息交じりで帰宅しました。
ほんとうは、もっと緩やかに、もっと気持ち豊かに過ごしたいなんて思ってはみますが、どうもまだ当分実現しそうにありません。
金曜日に、朝一番の初回訪問のあと、横浜市訪問看護連絡協議会の定例会と賀詞交歓会のために車でメルパルクまで行きました。
PCを持っていく係りだったので、持って歩くのはちょっとしんどくて、飲めない覚悟で車にしました。
定例会のシンポジウムの後、講演がありました。
藤沢市教育文化センター 主任研究員 目黒 悟先生のお話です。
テーマは 「人を育てること・教えることとは」
~教育的なかかわりの本質を考える~
というもので、どんな先生が来るのかな?と思っていたら、ロン毛のどこか茫洋とした風貌の人が現れました。
そして、ホワイトボード2枚の前に立って、いきなり話し始めたその声と語り口にびっくり。
なんだか、かわいい声でペタペタっとした感じで、妙にフレンドリー・・
で、嫌な感じかと言うとそうではなくて、いきなり眠気が覚めて引き込まれるような話に。
おもしろい。
こういう先生、いるんだぁ・・・。っていう感じです。
もともと、学校の先生の指導をされていたようですが、いつの頃からか、看護学校の先生も指導するようになり、さらに現場の指導者の教育指導などをされるようになったとか。
先生は、看護教育に当たって看護論なども読み漁って、其の看護の本質の中に、実際の教育の本質を見出されたそうです。
看護論をそのまま、「教える人」と「学習者」に置き換えると、それは指導その物であると気が付いたそうです。
「看護婦が看護婦であるゆえんは、そもそも看護婦の援助を必要としている患者の存在があるからである。そこではまず患者と知り合う事から始めなければならない。
患者を理解し、患者の(援助へのへのニード)(need-for-help)を理解することによって、看護婦の役割や患者ケアにおける看護婦の責務はおのずから明らかになってくるのであろう。」(アーネスティン・ウィーデンバック)
って、習ったのかもしれないけど、全然覚えていないし・・。
けれどその内容は、私たちに沁みついて物でもあります。
そして、その看護婦を教える人に、患者を教えられる対象者に置き換えると、それが指導になると言う事など、いくつかの例を用いて説明していました。
なるほどな~。
なんか、聴けば「そうそう」とおもっても、それをひとに言語化して説明しようとすると、なんだかわけがわからなくなってしまいますよね。
指導者としてのまなざしが、上から目線になるということは、認知症の老人に幼児言葉をいつの間にか使っている人と同じなのだそうです。
相手が、圧倒的無力だと感じた時に、これを出来るようにしたいと本能的に思い、時として赤ちゃん言葉となってでる。
引き上げてあげるのだという上から目線の言葉。
そんな話から、とても興味深くて、しかも納得できるお話を聴くことができました。
そのあとは、レインボーホールでのでした。
すぐ隣は、大人な感じのネオンがいいムードを醸し出しているマリンタワー。
デートコースですわ~
お料理は中華。 美味しい。
港の夜景はきれいだけれど、どうしてもガラスが映り込んで、きれいに撮れず・・
いつか、カメラ教室にでも通おうかと思いました・・・。
帰りは、一人で夜のドライブ。
ランドマークが夜の空にそびえたち・・。
運転中で、せっかくの夜景はとれず・・。
せめてもと、もみじ坂へ入る橋の上で窓からとった写真です。
もっとゆっくりこの辺散策したりして、もっと上手に写真が撮れたらな~。
とため息交じりで帰宅しました。
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前を向いて、今やるべきことを、頑張らないと・・ね。
いつか、のーんびりしてやるぞ~!