心温まる素敵な祝賀会でした。
発起人を代表して、
「シンクロ日本代表チームコーチ」
井村雅代さんのあいさつにはじまり、
夜10時過ぎまで祝賀会は続きました。
『比嘉昇先生・冶代先生ご夫婦 私たち夫婦が尊敬するおふたりです』
井村さんの中国でのコーチ時代のお話や
日本の選手の指導を通しての
現在の日本の若者の心の変化について、
たくさんのエピソードを取り入れてのスピーチに、
会場の皆さんは聞き入っていました。
「こころのシャッターを下ろす選手(日本の若者)
が増えている。」という言葉を何度も使われていた
のがとても印象的でした。
『昇先生と井村コーチ 昇先生が私の紹介をして下さっている写真です』
お祝いのことばでは、
島田病院院長の島田永和先生のジョークいっぱいの
お話に会場は笑いに包まれていました。
久しぶりの再会に、
互いに駆け寄りのハグでした。
昔と変わらない(出会って40年近く)人柄に接し、
人はこうあるべきだと感激したしだいです。
『日本のスポーツ整形の先駆者的存在です 20歳代前半に出会いました
互いに年を重ねました』
私もスピーチさせていただく機会を与えられ、
比嘉ご夫婦との初めての出会いの話(私が高校1年生時)。
息子をたまたまあずけた保育園(25年前)の
園長さんが偶然にも冶代先生であったこと。
妻が冶代先生とふるさとがおなじであること。
『スピーチさせていただいたこと 光栄に思っています』
子育てで悩んでいるお母さんに、
昇先生の著書「こうして彼らは 不登校から翔びだった」を
お渡ししたところ、感銘し、こころの支えにしたこと。
時間をかけ、こどもに向かう姿勢を考え直して行くうちに、
こどもに変化が訪れ、こころを開くようになったという
お話をしました。
高校時代(天王寺商業)の恩師や先輩をはじめ、
教師時代によく飲み歩いた加藤先生
(あべの翔学高等学校・入試広報室教頭)
ご夫婦にも出会えました。
バスケ顧問時代に選手たちがリハビリでお世話になった
鈴木秀雄氏(npo法人シニアライフゆめ・からだ・しごと
応援協会理事長)との再会は30数年ぶりの再会でした。
『鈴木氏との30数年ぶりの再会 スポーツトレーナーという職業は
当時日本ではあまり存在しない時代でした』
今回の祝賀会で私が強く感じたことは、
「みのるほど こうべをたれる いなほかな」でした。
比嘉ご夫婦をはじめ、
地位名声があっても、素敵な人たちはみな謙虚である
ということ。
『昇先生とお別れ時の再度のハグです』
先を走るものは、常に周りを大切する気配りがあること
でした。
昇先生の弟さんの比嘉悟氏(高校大学の先輩
現芦屋短大・大学学長)と再会の約束(おいしい酒を飲みながら
おいしい話をしょう)をし、会場を後にしました。
『お忙しいからだですが 体調管理はくれぐれも ぜひ次回は
語り明かしましょう』
比嘉昇・冶代先生、こども館の関係者のみなさん、
誠におめでとうございました。
そして、ありがとうございました。