このサイトが始まって、約一年が経ちました。
たぶん、経ったみたいです。
『diary』のページが動き出したのが、記録では11月13日になっています。ページ自体が動き出したのが、それよりも、少し前だったと記憶していますから、一年が経ったのでしょう。
あまり更新もせずに、グータラノンベンダラリとここまで続けてきました。
ですが、俺が一番やりたかった小説は数が増えましたし(最初は確か6、7作品だった)、悪くない進化を遂げたんじゃないかなと思っています。
俺は、小説をもともと人に見せようと書いているわけじゃありませんでした。
見せられるようなものを書いているつもりもありませんでした。
しかし、ある人が、その理由がただの暇つぶしだったにしろ、俺の書いたものを読みたい。と言ってくれました。
そして、その人は、嘘・世辞だったにしろ、おもしろかった。と言ってくれました。
そのころから、ある程度ですが、『読者』の存在を考えるようになりました。
人数は少ないけれども、作品を読んでくれる人が、確かにこのネットワークの向こうにいる。
このことが、書くときのドライビングフォースに多少なっているわけです。
このドライビングフォースが、もっともっと大きなものになるよう、俺はこのサイトを発展させていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m
たぶん、経ったみたいです。
『diary』のページが動き出したのが、記録では11月13日になっています。ページ自体が動き出したのが、それよりも、少し前だったと記憶していますから、一年が経ったのでしょう。
あまり更新もせずに、グータラノンベンダラリとここまで続けてきました。
ですが、俺が一番やりたかった小説は数が増えましたし(最初は確か6、7作品だった)、悪くない進化を遂げたんじゃないかなと思っています。
俺は、小説をもともと人に見せようと書いているわけじゃありませんでした。
見せられるようなものを書いているつもりもありませんでした。
しかし、ある人が、その理由がただの暇つぶしだったにしろ、俺の書いたものを読みたい。と言ってくれました。
そして、その人は、嘘・世辞だったにしろ、おもしろかった。と言ってくれました。
そのころから、ある程度ですが、『読者』の存在を考えるようになりました。
人数は少ないけれども、作品を読んでくれる人が、確かにこのネットワークの向こうにいる。
このことが、書くときのドライビングフォースに多少なっているわけです。
このドライビングフォースが、もっともっと大きなものになるよう、俺はこのサイトを発展させていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m