MARUMUSHI

映画とかTwitterとかとか。

『薄暮』

2019-08-17 20:45:15 | 映画日記
#薄暮
『薄暮』を観てきた。
とても落ち着いていて、これが日常なんだ、これでいいんだと思わせてくれた。
普通に学校に行き、普通にクラブ活動に励み、普通に家に帰ってご飯を食べて風呂に入って、お母さんやお姉ちゃんとバカ話をしながら笑い、ちょっとの間静かな時間を過ごして眠る。
そう、普通なのだ。仮にそこに東日本大震災と原発事故の影があったとしても。これから先、何十年もトラウマになるであろう震災の記憶。あまりにもそのトラウマ反応が繰り返され自然に目にしているから、もう高次の記憶にまで押し上げられてしまい、要は慣れてしまっている。それは僥倖と言ってもいい。人は変わるのだ。
薄暮。夕日が暗闇に変わる短い時間。その時間が彼女の人生にそこに少しだけ、色を付ける。恋が実る。心が乱れ喜び彼女たちは日々を過ごしていく。
空に向かってバイオリンを奏でる。その横で緑を描き、紙の中に封じ込める。
少しずつ彼女たちは成長する。彼女たちを取り巻く環境も変わっていく。そんな中でこの恋がいつまでも続くだろうか。バス停でどちらかがどちらかを待つように、2人は寄り添っていくだろうか。それはずっと先の話だし物語の余白の中で語られていく物語だ。

5月26日にイオンシネマ茨木で試写会に参加。半分完成しているかどうか、ラッシュと呼ばれる状態での試写になった。この責任を取り監督の山本寛さんは「今後作品を作らない」と引退を発表。そこで一つ言いたいんだけれど、じゃぁ、他に何ができるのかなー、と…。もう良くも悪くもアニメの世界にどっぷり浸かっているわけで、その中で足掻いていってほしいな。


 

終戦の日。

2019-08-15 17:35:39 | インポート
#終戦の日

婆ちゃんから直接話を聞けたわけじゃない。父や親戚から聞いた話だ。
去年の三月に亡くなった婆ちゃんは、昭和20年8月15日満州にいた。
婆ちゃんの本当の戦争はこの日から始まった。

ソ連軍が満州に侵攻。条約の整理も何も待たず日本はポツダム宣言を受諾したのだから、と入ってきたのだ。
男は殺されるか労働力として持っていかれ、女、子供は殺されるか犯された上で殺されるかといった様子だったらしい。

当時、結婚していた夫は「子供をおいて逃げよう」と言ったらしいが、婆ちゃんは「何があっても連れて日本に逃げる」といい、別々に逃げたようだ。
婆ちゃんは二人の娘を丸刈りにして、自分も丸刈りになった。そうすると遠目には男として見えるからだ。ちょっとでも女として見られないために。
悟られにくいようにお札を縫い込んだ服をいくらかかばんに詰め、婆ちゃんたちは逃げ出した。
途中でソ連兵に出くわし、物陰で息を潜めてやり過ごしたこともあるらしい。
逃げている間の話はこれぐらいしかわからない。たぶん、覚える暇もなかったか思い出したくなかったかだろう。
本当に命からがら婆ちゃんと娘二人は日本の九州にきた。その日付とかもわからないけれど8月下旬か遅くとも9月あたまだと思う。
話はぼやけていて断片になっているけれど、これだけ聞いても壮絶だ。

娘二人を守りきった婆ちゃん。婆ちゃんたちの戦争が終わったのはその日になる。
終戦の日も昭和20年9月2日降伏文書調印の日も関係ない。国が始めた戦争は個人が終わらせるしかなかったんだなと思う。無責任な話だし、国が守るのは国であって国民とは限らないのだなと思ってしまう。

目印を付けておかなければ人は忘れてしまう。だから8月15日を終戦の日と決めた。戦争で命を落とした人々を想い平和を守ることを誓う日にした。でもそれは後から決めただけのことでそれ以後も戦争は続いていた。
終戦の日に昭和20年8月15日に終われなかった戦争にも少し思いを巡らせてもいい思う。


【墜落遺体 -御巣鷹山の日航機123便】

2019-08-11 01:20:32 | インポート
【墜落遺体 -御巣鷹山の日航機123便】を読んだ。
#墜落遺体

根性論だけで頑張ると組織がどうなるか?それを記録した本。
前半は使命感で動き、中盤は感情的に、後半はあり得ないミスやあり得ない行動を起こす。
そして相手は肉塊の鑑定。体が無事な遺体などなく、腕や足などのパーツが集まる。肉塊を広げていくと少女の遺体。それが日常になる。警察、医師、看護師などでも消耗していく。
PTSDにならなくとも絶対にトラウマになっただろうなと思う。

少し過去を美化し、己を称賛した部分はあるように感じたが、極限に置かれた人がどうなるのかがわかりやすく書いてある。
たぶん、色々な災害現場ではこれに似た光景が広がっているだろうし、考えたくはないが、戦争になればさらに凄惨な事態が展開されるだろう。