MARUMUSHI

映画とかTwitterとかとか。

『夫婦フーフー日記』。

2015-05-31 22:45:27 | 映画日記
『夫婦フーフー日記』を観てきた。

映画の感想を、僕の体験と交えて書く。
いや、告白、と言った方が良いかもしれない。

僕の母は、癌で死んだ。
おおよそ半年、闘病した。
その様子は、【僕は、犬】でも書いた。
母の死んでいく様子と、作中で妻が死んでいく様子は、驚くほど重なった。
それまでは何ともないのに突然、寒い寒いと震え出す。
汗をかいているのに、寒がる。
全く食べなかったのに、死に近づくほど食欲が増す。
など。


人が死ぬのは、とても面倒くさい。
「辛いのはわかるけれど、ちゃんと看病してあげな」なんてのは奇麗事のど真ん中だった。



白状する。
「早く、母が楽になってくれた方が、お互いの為じゃないか?」という、考えが頭を何度もよぎった。

いや、これも嘘だ。
僕は、死に往く母に「早く終わってくれ、死んでくれ」、と思った。



母が逝ってしまうと、その考えは償えない咎として自分に突き刺さった。
葬式や骨上げなどが終わって、役所の手続きなどで父を少し手伝って、それらが終わって、僕は自分のアパートに戻り、ひと月ほど自分の部屋に引篭った。
こたつの中で、寝て、起きて、何かを食べ、ネットして。これをひたすら続けていた。
もう、涙は出なかった。



「嘘を書くことで、自分を救ってたんだよね」
男の前に現れた亡き妻は、そう言う。
「わたしも、その嘘に救われてたんだよ」と。

僕は母に嘘をついていた。
癌を告知しなかった。父がそう決めたからだ。
「そんな事実にあいつは耐えられない」と父は言った。
でも、分かっていた。父も僕も自分を救うためだけに嘘をついたのだ。
自分たちが、あと半年早く異変に気付いていたら、母は死ななかったかもしれない。
僕と父は、母を殺したのだ。僕の嘘は母を全く救えなかった。

「死ぬねん」
「え?」
「死ぬ」
ホスピスに入った母は僕にそう言った。
そのとき、母は衰弱からか痴呆のような状態になっていた。だから、「なに言うてるねん」とだけ答えた。
そして、そのあと、父の薦めもあり、僕は自分のアパートに帰った。
「あまり、長くお前がいると、お母さんも心配するだろう」と。
病室のドアが閉まる瞬間に見えた母の横顔を今でもはっきり覚えている。
母は、僕に行かないで欲しかったのかも知れない。だから、自分の死期を僕にだけ話したのかもしれない。
それから2日後に、母は死んだ。

父から連絡があり、タクシーで一時間半程度。
そこから、病院の裏口から走って病室に向かった。
寒い季節なのに。深夜なのに。嘘みたいに病室は明るく温かかった。
ホスピスの先生が「まだ、微かに心臓が動いています」と言って臨終の宣告を待ってくれたらしい。
母の手は温かかった。
そして、臨終を宣告された。
チューブが取られていく。母の身体は、母の身体だけになった。
傍らの椅子に座り、母の手を撫でる。
はっきりと、信じられないぐらいの速さで、母の手は冷たくなっていった。
僕は、しゃくりあげながら、泣いた。


人は、人を立ち止まらせるために死ぬ。と僕は思っている。
大事な人を亡くすと、人は立ち止まる。死者をスクリーンとして自分の人生を投影し見つめなおす。
それは苦痛を伴う行為だ。時間もかかる。
この作品のように死者が助けてくれることもない。
だが、助けがあろうが無かろうが、残された者は生きていかなければならない。どんな形であれ。
”最終章”は自分が死ぬときまで取っておくものだ。
最愛の人の死。
その後は”それから”がふさわしい。



こうやって、映画の評論をしていても、何の意味も無い。
そんな場面で、自分の咎を告解したって母に赦されることは無い。
では、読む誰かがいるかというと、高が知れている。いや、読まれるかどうか、それも怪しい。
結局、空虚な文章なのだ。
「おまえがいないのに、こんな物書いたって、何の意味も無いんだよ!」

今回は作品の論評にならなかった。

僕の告解になってしまった。



2015年05月30日のつぶやき

2015-05-31 00:00:00 | twitter



  • 人類最古の殺人事件か? 43万年前の頭蓋骨、凶器で2回殴打痕 スペインの洞窟で発見 http://t.co/4eqSmFDfua @Sankei_newsから
    Posted at 08:36 PM




  • RT @good_stripes: 『グッド・ストライプス』の舞台挨拶にお越しいただいた皆様、ありがとうございました!おかげさまで満席でした! たくさんの方にご覧いただけて嬉しいです♪新宿武蔵野館には菊池さんの等身大パネルもありますので、一緒に写真を撮ってくださいね。 http…
    Posted at 06:15 PM




  • 辻元さんを馬鹿にはしてないだろうけど、日本の国会が、ただの学級会レベルだということを馬鹿にしてるのは分かった。 https://t.co/nHE4wW12Cj
    Posted at 06:14 PM




  • くそー。。。
    改造品掴まされてた。。。

    Posted at 06:10 PM




  • 割と良いかも。 http://t.co/vO4kifR3fk
    Posted at 05:15 PM




  • レンズが古すぎて、ニコンプラザでも一時間の長考に入った!
    そりゃ、俺にもカメラ屋のオッチャンにも分からんはずだ!

    Posted at 01:15 PM




  • いや、斬新な映画のチケット。
    手書きかー。 http://t.co/leEnESlLhX

    Posted at 09:26 AM




  • RT @syuzo_weather: 鹿児島口永良部島の噴火は修造のせいではありません。
    Posted at 01:14 AM




  • RT @syuzo_weather: 地震は修造のせいではありません。
    Posted at 01:13 AM




  • 必死に生きるということにおいて、休むということは切実な問題だ。
    Posted at 01:09 AM




  • スイスチーズの穴の謎解明、100年ごしの研究(AFP=時事) - Yahoo!ニュース http://t.co/LWWvUZkstU
    Posted at 01:07 AM



  • https://twitter.com/kaoritokuyama





『グッド・ストライプス』。

2015-05-30 14:33:47 | 映画日記
『グッド・ストライプス』を観てきた。

チラシを見たとき、ドキュメンタリー作品かな、と思うぐらい、何か自然な結婚式の2人が写ってたので。


マンネリ気味の2人。

趣味も、考え方も食い違う。これはマンネリの所為?それとも別れの兆候?

が、突然の妊娠。

そこから、本当の2人の関係が見えてくる。


結婚する。ということは、お互いの親族と関わる中で、これまでの人生を知るということだ。
「彼女はどうしてこうなんだろう?」
「彼はどうしてこうなんだろう?」
と思うことでも、「ああ、だからか」とコトリと納得する。


慮る

という言葉がある。
本当はどうか知らないけれど、僕はこの言葉の意味を、相手の気持ちを「想い」、その重さを「量る」から、「おもんぱかる」なのだと思っている。

慮ることが互いに出来る。それが夫婦なんだと思う。


もし、自分のこれまでの人生が好きでなくとも、消してしまいたい過去があっても、それを2人足したら、割といい具合になるときもあるんだろう。

補い合うとか、2人で力を併せて、とか積極的な行動ではなく、フワッと、何となく、いい具合になっていく。


2人は今後も、ぶつかることがあるだろうし、事によっては離婚してしまうかもしれない。

離婚は悲しい事なんだろうけれど、お互いの酸いも甘いも知り尽くした上での結論なら、それは考えようによっては、最強のパートナーと言えるかもしれない。彼の両親のように。


結局、元は他人の2人。

夫婦になったからといって、互いの考え方が同じになることは、ない。

でも、それでいい。


時に喧嘩し、時に慮り。
フワッとなんとなく一緒にいるのがいい。

『グッド・ストライプス』。

平行だけど、それで良いのだ。



2015年05月28日のつぶやき

2015-05-29 00:00:00 | twitter