『東のエデン 劇場版Ⅱ Paradise Lost』を観てきた。
一応、この作品はテレビ版から全部観てみた。
100億円が入った携帯電話を渡された12人の日本人。
彼らは、”セレソンゲーム”というゲームに強制的に参加させられた。
その100億円を使って、日本を正しい方向に導くこと。
それがゲームの基本的なルール。
今の日本社会の状況を反映しているので、浮世離れした設定だけど、すごく現実的な印象を受ける。
「戦後の日本は、アメリカの言いなりとなり、東シナ海にただ浮かんでいただけだ」
という言葉が『亡国のイージス』に出てくる。
確かにその通りだ。
テレビでもこれに似たセリフをコメンテーターと呼ばれるやんごとなき方々が放っているのを聞いたこともある。
けれど、ではどうするべきだったのか?という問いに対して答えを持っている人はいない。
そして、これからどうするべきなのか?という問いに対しても、大抵は局所的な問題に対しての回答しかえられない。
少し前のことだけれど『KY』という言葉が流行った。
『空気読む』ではなくて、『空気読めない』が『KY』と略されるところが日本らしい。
日本人は空気を読むことに非常に特化した民族だ。
だから、この国にはカリスマが登場したことがない。
なんとなく、こっちのほうに皆が向いていたから、自分もそっちに向かっている。
そのくせ、その方向が間違っていたら”悪いのは誰のせいだ?”とすぐに責任論を持ち出し、自分は安全なところにいる。
全体としてみた時の国民性は最低なのかもしれない。
この『東のエデン』の中での主人公は、自分をテロリストと称することで日本を変えようとする。
わざと、損な役回りを引き受けることで、日本を正しい方向へと導こうとする。
その結果、日本が劇的に良くなるわけじゃない。
100億円で国を変えることが出来るなら、苦労はないのだ。そんな端金では何も変える事は出来ない。
けれど国を、そして自分を取り巻く世界を変える方法は、物凄く簡単なのだ。
世界を変えるのではなく、自分を変えればいい。
一人がそれをやるだけなら、単なる自己啓発で終わってしまうだろうけれど、それを100万人が行ったとしたらどうだろう?
きっと、世界は変化するはずだ。