『くちづけ』を観てきた。
良い映画。
好いじゃない。良いだ。
知的障害者が暮らすグループハウスが舞台。
そこに一組の親娘が暮らし始めるところから物語ははじまる。
人は自分のことで手一杯だ。
日々の生活、生きるために必死だ。
誰かを助ける余裕なんて無い。それが普通だ。
その一方で、助けが必要な人達、助けを求める人達が沢山いるのも事実だ。
この乖離は著しく酷い。
日本は民主主義国家だ。
多の意見が、少の意見を無視する。
聞こえが良い民主主義、その基本にある多数決とはそういうことだ。
この国の全ての法律は多数の意見に基づき、さらに憲法に抵触する事もないよう作られている。
だけど、少数の意見に基づき、憲法に抵触しない法律は存在しない。
だから少を守る法律は非常に少ない。
「弱い者はそいつが悪いんだから、当然だ。みんなが出来ることが出来ない方が悪い」
そう言う人もいるだろう。でも、それは資本主義の考えであって、民主主義とは違う。
多数が少数を助けない。そんなのは多数に属する者の傲りだと思う。
物語は悲劇的だが、現実的な終わり方を迎える。
愛する我が子を、いや、我が子を愛するが故、自分の手で殺す。
親にとって、子にとって、こんなに残酷なことがあるだろうか。
そんなことがしばしば起こるというのは、異常じゃないのか?
親子が願う結末は、マンガで描かれる。幸せな結末は架空の世界であるマンガでしか描きようがなかったのだ。
この作品では、知的障害者たちを描いているが、老人介護、老老介護やシングルペアレントなどでも同じ構図の問題が出てきている。
つまり、同様の問題があちこちから噴出している。
多数派だと思っていた自分が、いつの間にか少数派(だと思っていた)に回っている。
そうなった時「弱い者はそいつが悪い」と言える人は皆無だろう。
この作品で描かれる世界は、絵空事の世界ではない。
良い映画。
好いじゃない。良いだ。
知的障害者が暮らすグループハウスが舞台。
そこに一組の親娘が暮らし始めるところから物語ははじまる。
人は自分のことで手一杯だ。
日々の生活、生きるために必死だ。
誰かを助ける余裕なんて無い。それが普通だ。
その一方で、助けが必要な人達、助けを求める人達が沢山いるのも事実だ。
この乖離は著しく酷い。
日本は民主主義国家だ。
多の意見が、少の意見を無視する。
聞こえが良い民主主義、その基本にある多数決とはそういうことだ。
この国の全ての法律は多数の意見に基づき、さらに憲法に抵触する事もないよう作られている。
だけど、少数の意見に基づき、憲法に抵触しない法律は存在しない。
だから少を守る法律は非常に少ない。
「弱い者はそいつが悪いんだから、当然だ。みんなが出来ることが出来ない方が悪い」
そう言う人もいるだろう。でも、それは資本主義の考えであって、民主主義とは違う。
多数が少数を助けない。そんなのは多数に属する者の傲りだと思う。
物語は悲劇的だが、現実的な終わり方を迎える。
愛する我が子を、いや、我が子を愛するが故、自分の手で殺す。
親にとって、子にとって、こんなに残酷なことがあるだろうか。
そんなことがしばしば起こるというのは、異常じゃないのか?
親子が願う結末は、マンガで描かれる。幸せな結末は架空の世界であるマンガでしか描きようがなかったのだ。
この作品では、知的障害者たちを描いているが、老人介護、老老介護やシングルペアレントなどでも同じ構図の問題が出てきている。
つまり、同様の問題があちこちから噴出している。
多数派だと思っていた自分が、いつの間にか少数派(だと思っていた)に回っている。
そうなった時「弱い者はそいつが悪い」と言える人は皆無だろう。
この作品で描かれる世界は、絵空事の世界ではない。