『だれも知らない建築のはなし』を観てきた。
戦後日本の建築の歴史と建築家たちの物語。
正直、話についていけなかった。。。
建築家と言うのは、芸術家なんだなと映画を見ていて思った。
だから、具体的な話でなく抽象的な概念としての建築の話となると全くついていけない。
でも、一つだけ分かったことがある。
70年代以降、バブルというアドレナリン全開の時代を経て、今の日本の建築業界は歪だと言うこと。
一つ目の歪み。
建築家になりたい人たちは沢山いて、もちろん建築家も沢山いる。
でも、それを建てる人がいない。所謂、大工、左官、塗装などのプロフェッショナルがどんどん減っていっている。
なり手がいない、という話なんだろうけれど、バブル期に大手の建築企業が仕事を取り捲ったせいもあるんじゃないだろうか。バブル崩壊とともにそれらの企業も潰れちゃったんだろうけれど。
このバブル期には、公的資金を使ったハコモノも沢山含まれているようだ。それも今では都市の財政の足枷になってしまっている。その最たるものが北海道の夕張、という事になるんだろうけれど。
二つ目の歪み。
建築家も政治家も世論ですら、理念を失ってしまったこと。
それは今の2020年東京オリンピック準備の様子を見れば分かる。
安藤忠雄が新国立競技場の建設費が「何故こんなに膨らんだのか、分からない」と言っていることからも、理念がなくなっちゃったんだなと感じる。
900億円も膨らんだそうだ。900億円あれば、東京スカイツリーがもう一本立つ。
たぶん、どこかから吸い上げがあるんだろうと思う。誰かが金儲けのために吊り上げたのだろう。
先の東京オリンピックには理念があった。
日本の戦後からの復興だ。だから、ビジョンが凄く明確に築けた。大阪万国博覧会もそうだ。明確なビジョンの下に設計を作っていくことが出来た。
でも、今はそれがない。何をアピールしたいのか、どういう理念を持ったオリンピックなのか、よく分からないのだ。
「お・も・て・な・し」?
何を言っているんだ?
そんな中、ビジョンだけが先行する。こんな都市設計にしたい。こんな競技場にしたい。いきなりそんな話が出てくる。
理念がない。今の日本はこんな立派な姿なのだ、と示せるネタすらない。
建築家は芸術家だ。
でも同時に市民である。彼らの作る建物には経済、法律、政治、そして社会などが絡みに絡んでいる。
その間で彼らは今、苦悩する。
「我々は、本当に社会に貢献しているのだろうか」と。
日本の凡庸な建築物を見た、ある海外の建築家は言う。
「それらの建物は注意を引こうともせず主張しようともしない。ただ、正しい時間に正しい光が差し込む。そういった美しさがあった」
建築業界の歪は、この先致命的な亀裂としてその地盤を砕くことになるような気がする。
そうなったとき、日本人は日本人の手で都市を作っていけるのだろうか。
戦後日本の建築の歴史と建築家たちの物語。
正直、話についていけなかった。。。
建築家と言うのは、芸術家なんだなと映画を見ていて思った。
だから、具体的な話でなく抽象的な概念としての建築の話となると全くついていけない。
でも、一つだけ分かったことがある。
70年代以降、バブルというアドレナリン全開の時代を経て、今の日本の建築業界は歪だと言うこと。
一つ目の歪み。
建築家になりたい人たちは沢山いて、もちろん建築家も沢山いる。
でも、それを建てる人がいない。所謂、大工、左官、塗装などのプロフェッショナルがどんどん減っていっている。
なり手がいない、という話なんだろうけれど、バブル期に大手の建築企業が仕事を取り捲ったせいもあるんじゃないだろうか。バブル崩壊とともにそれらの企業も潰れちゃったんだろうけれど。
このバブル期には、公的資金を使ったハコモノも沢山含まれているようだ。それも今では都市の財政の足枷になってしまっている。その最たるものが北海道の夕張、という事になるんだろうけれど。
二つ目の歪み。
建築家も政治家も世論ですら、理念を失ってしまったこと。
それは今の2020年東京オリンピック準備の様子を見れば分かる。
安藤忠雄が新国立競技場の建設費が「何故こんなに膨らんだのか、分からない」と言っていることからも、理念がなくなっちゃったんだなと感じる。
900億円も膨らんだそうだ。900億円あれば、東京スカイツリーがもう一本立つ。
たぶん、どこかから吸い上げがあるんだろうと思う。誰かが金儲けのために吊り上げたのだろう。
先の東京オリンピックには理念があった。
日本の戦後からの復興だ。だから、ビジョンが凄く明確に築けた。大阪万国博覧会もそうだ。明確なビジョンの下に設計を作っていくことが出来た。
でも、今はそれがない。何をアピールしたいのか、どういう理念を持ったオリンピックなのか、よく分からないのだ。
「お・も・て・な・し」?
何を言っているんだ?
そんな中、ビジョンだけが先行する。こんな都市設計にしたい。こんな競技場にしたい。いきなりそんな話が出てくる。
理念がない。今の日本はこんな立派な姿なのだ、と示せるネタすらない。
建築家は芸術家だ。
でも同時に市民である。彼らの作る建物には経済、法律、政治、そして社会などが絡みに絡んでいる。
その間で彼らは今、苦悩する。
「我々は、本当に社会に貢献しているのだろうか」と。
日本の凡庸な建築物を見た、ある海外の建築家は言う。
「それらの建物は注意を引こうともせず主張しようともしない。ただ、正しい時間に正しい光が差し込む。そういった美しさがあった」
建築業界の歪は、この先致命的な亀裂としてその地盤を砕くことになるような気がする。
そうなったとき、日本人は日本人の手で都市を作っていけるのだろうか。