#planetarian_anime
『planetarian ~星の人~』を観てきた。
「動物とラーメンは数字を取る」とテレビ業界では言うらしいけど、ロボット物は涙を誘うというのも結構定番。
でも、すごく良い話。
ロボットはどこまでいっても機械。スペック以上の力は出ないし設計以上のことはしない。これは今もそうだしこれからもそうだと思う。
でも、ロボットは僕らにどこまでも尽くすだろう。持てる全てを使って。まるで忠実な犬のように。
ロボットと聞くと『ターミネータ』シリーズのような世界を思うかもしれないけれど、たぶんああいう世界になるのは人がそう望むからで、望まなければならないと思う。
そう願った人間が作ったロボットは世界を焦土と化し、そう願わなかった人間が作った“ほしのゆめみ”だった。
世界を壊したロボットは残った人間を殺すために待ち続け、
奇跡のロボット、ゆめみはそこでずっと客を待ち続けていた。
「人に喜んでもらうのが幸せ」と思いながら。
ロボットは魂がない。あったとしてもそれは膨大な記憶データとその処理能力だけ。
でも、人を喜ばせる仕事に人の笑顔や、少し照れた男の子の姿があったとして、それを幸せと感じるのは、ただの演算結果なんだろうか?
250万人目にギリギリ届かないところでやってきた客に「250万人目のお客様です」と嘘をついて出迎えてまで人を喜ばせようとするのは、ただの演出なんだろうか?
ゆめみと一緒にプラネタリアンをやるという、星の人の魂は、ただの気の迷いではない。彼の願いだし、生きる希望でもあった。
ゆめみの最後の150秒に残した言葉は、嘘の言葉はゆめみを喜ばせようとする希望の言葉だった。自分が叶える夢ための言葉だった。
魂のある者とない者とで、神は入口を分けなかった。
入口にあったのは2人の心の在処。
2人の星を見せる者。心の在処は、あのプラネタリウム。もちろん“イエナさん”もいる。
planetarian
2人はそこで星の夢を見続ける。
『planetarian ~星の人~』を観てきた。
「動物とラーメンは数字を取る」とテレビ業界では言うらしいけど、ロボット物は涙を誘うというのも結構定番。
でも、すごく良い話。
ロボットはどこまでいっても機械。スペック以上の力は出ないし設計以上のことはしない。これは今もそうだしこれからもそうだと思う。
でも、ロボットは僕らにどこまでも尽くすだろう。持てる全てを使って。まるで忠実な犬のように。
ロボットと聞くと『ターミネータ』シリーズのような世界を思うかもしれないけれど、たぶんああいう世界になるのは人がそう望むからで、望まなければならないと思う。
そう願った人間が作ったロボットは世界を焦土と化し、そう願わなかった人間が作った“ほしのゆめみ”だった。
世界を壊したロボットは残った人間を殺すために待ち続け、
奇跡のロボット、ゆめみはそこでずっと客を待ち続けていた。
「人に喜んでもらうのが幸せ」と思いながら。
ロボットは魂がない。あったとしてもそれは膨大な記憶データとその処理能力だけ。
でも、人を喜ばせる仕事に人の笑顔や、少し照れた男の子の姿があったとして、それを幸せと感じるのは、ただの演算結果なんだろうか?
250万人目にギリギリ届かないところでやってきた客に「250万人目のお客様です」と嘘をついて出迎えてまで人を喜ばせようとするのは、ただの演出なんだろうか?
ゆめみと一緒にプラネタリアンをやるという、星の人の魂は、ただの気の迷いではない。彼の願いだし、生きる希望でもあった。
ゆめみの最後の150秒に残した言葉は、嘘の言葉はゆめみを喜ばせようとする希望の言葉だった。自分が叶える夢ための言葉だった。
魂のある者とない者とで、神は入口を分けなかった。
入口にあったのは2人の心の在処。
2人の星を見せる者。心の在処は、あのプラネタリウム。もちろん“イエナさん”もいる。
planetarian
2人はそこで星の夢を見続ける。