昨日、病院で診察→エコー検査→輸液→吐き気止め注射
と、あれこれやったちび。
「これで明日も食べてくれなかったら、連れて来て下さい」
と、先生に言われていた。
昨晩は体調不良+診察疲れもあってか、帰宅後も隠れてぐったり。
明けて朝。
どうやら吐き気止めの注射が効いたのか
水飲んでも吐いていたのが、落ち着いたらしい。
ただ問題は「吐き気が治まったものの、まだ具合が悪いのか?判断できない」のです。
理由 ↓
何故なら、機嫌が悪いから
病院連れてったり、食べたくないのに食べ物出されたり
ちびが嫌な事、しまくったせいで、すっかり嫌われた私。
私を避けて、近くで気配するとくノ一のように移動。
物陰で睨んで、こっち来るなオーラ出しまくり
:;(∩´﹏`∩);:
おかげで食べ物にも近づかない💦
食べたくないのか? 私が嫌で食べないのか?
いちおう長い付き合いの私の判断は「まだ食欲出ない」なんだなぁ。
って事は、ほんとは病院へ行かなくちゃいけないんだけど
それよりも、まずやった事は・・・
一定の距離を保つ事を第一にしてみた
そりゃ体調心配だし、強引に通院もやろうと思えばできるんだけど
ちびの場合、なんか違うと思った。
もう、とにかくほっとく。
ちびの意思でそうしたいなら、すればいい。
するとさっき・・・
ようやく許してくれたっぽい
例え病気が悪化して、食べられなくなっても
強制給餌は、ちびは拒否するんだろうな。
「私はこうしたい」「嫌なもんは嫌」が、ちびはものすごくハッキリしている。
プライドっつーか、猫としての誇りが高い。もうエベレスト級。
飼い主としては、体を思えば食べてくれないと。と思うんだけど
ちびは我が道を行く。
輸液とか吐き気止めの薬とかは、辛そうならやるけど
それ以上は、ちびにしてみりゃ
「余計なお世話!」
なんだな~と、改めて思い知らされた。
かっこいいけどさ、あんまり心配させないでくれ~💦
私は2匹目の先代猫を失った時に、それをうんと考えてしまいました
飼い主としてはうんと長く一緒に過ごしたい、たとえ1分でも…と思うんだけど、無理して努力させて可哀想だったな、本来ならば自分で「これが最後」と思う瞬間があったにもかかわらず、時間を伸ばしてしまった、自分の時を曲げられたんだねと…それは私の希望であって猫の希望ではなかったはずなのに、失う時が来るのを長引かせて何がしたかったんだろうと感じてしまいました…
プライドの高い猫族だからこそ、自分の時も自分で束ねて生きていると思うことが多いから、この問題はどこまで考えてもなかなか折り合いがつかない、気持ちがしんどいやつですよね。
高齢になって飼い主が好かれと思ってあれやこれやをするけれど、それが正しい選択なのかどうなのかすらわからない。しっかり自分を持っているからこそ、尊厳という選択をするのか?それとも飼い主のワガママを通して合わせてもらうのか?…未だに答えが見つからないでいます。
チビちゃんも、まだまだ遠い先のことだけど、苦渋の選択になることは間違いなしだろうから、今回の事は準備体操だったかな…(;´・ω・)ウーン・・・
『 私が後悔したくないから』という気持ちをどこまで実行してしまうか?という怖さが、私の中でのずっとの課題のままです。
・・それでも悩みますね。
私もモカを見送った時、散々私の執着につきあわせてしまい、なにもあそこまでする事なかった。辛い思いさせてしまったなぁ。と後悔したのも事実。
ちびは坂道を転がるように調子を崩しておりますが
目力は健在で、その子の性格にもよりますが
ちびには「無理強いしない」がいいのかな、と。
ただここで私のワガママ、執着炸裂で
「で、でも輸液くらいはさせてよ。ちょっとは楽になったりするかもよ?」
と、願望を込めて言うのだけど、逆鱗に触れております(´;ω;`)ウゥゥ