『 加古川北センバツへ 』
28日、加古川の街に春の嬉しい知らせが駆け廻りました
2008年夏の選手権大会に続き2度目の出場、センバツは初出場です。
兵庫の公立校のセンバツ出場は2004年 社高校以来途絶えていましたので
今回の加古川北校の選出は大変嬉しいものがありますね。
昨秋、秋季県大会では夏の県覇者、夏の甲子園4強の報徳学園を破り決勝の舞台まで駆け上がり準優勝。
近畿大会では、大阪1位の大阪桐蔭に完封勝利し、準々決勝 近畿覇者となった天理戦でも
最後まで諦めない全員野球でベスト8と、強豪私立に臆することなく快進撃を見せてくれました。
選出には6枠目、PL学園と競ったようですが、秋季大会準優勝・大阪桐蔭戦の勝利が大きく
甲子園きっぷを引き寄せたのでしょう。
地元紙にも「加古川北運命の一戦」と題し、近畿大会 大阪桐蔭戦での福村監督さんと都倉主将の
気持ちを現わした記事がありました。
『 2回表の衝撃 』
2010年 秋季近畿大会 1回戦
1 2 3 4 5 6 7 8 9
加古川北 0 1 0 0 0 1 0 0 0 2
大阪桐蔭 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
「やっぱりでかいな・・」
2回表、戦闘で打席に入った加古川北の5番 都倉健司は、左肩越しにマウンドの相手投手を見上げた。
大阪桐蔭の先発は身長195センチ。
対する都倉は170センチ。
チームでは平均的な上背でも、体格差は歴然としていた。
だが、都倉は臆するどころか、トップクラスの対戦を喜んでいた。
「楽しくてし仕方ない」 まるで気負いはなかった。
都倉は2球目を思い切りよく振り抜いた。
狙っていた直球だった。
「どんぴしゃ」
真芯でとらえた打球は紀三井寺球場の空に放物線描き、左翼フェンスを軽々と越えた。
大阪桐蔭に衝撃を与えた先制パンチは、都倉にとって公式戦初本塁打だった。
試合前日、夕食前に宿舎で行ったミーティングで、福村順一監督は53人の部員を前に言った。
「自分たちの力を出し切れば、負ける要素はない」
大阪桐蔭は2008年夏に甲子園を制した全国屈指の強豪私立で、西岡 剛(現ツインズ)中田 翔(現日ハム)らの母校。
一方、公立の加古川北は同年夏に甲子園に初出場したものの初戦で姿を消している。
前評判では大阪桐蔭が優位。
過去の実績の違いに、対戦校の多くが「名前負けする」
公立校とすればなおさらだ。
しかし、福村監督は大言壮語を掲げた。
「負ける要素はない」
強気な発言にも選手たちに迷いはなかった。
気持ちは大阪桐蔭と対等だった。
主将でもある都倉がいう。
「先輩たちが私学互角にやってきた。だから僕たちも『やればできる』と思うようになった」
07年夏の兵庫県大会で育英に0-1で惜敗。
同年秋の県大会は報徳に1-2
09年、10年の夏は神戸国際大付にいづれも1点差負け。
県内の名門私学と毎年のように僅差の勝負を繰り広げてきた。
就任8年目の福村監督は力を込める。
「なぜ強豪と戦え、なぜ勝てなかったのか。そういった話は生徒たちにもよく話してきた」
「ひとつひとつの積み重ねが大阪桐蔭戦につながった」
秋の県大会準決勝で、昨夏の甲子園4強の報徳学園に5-1で快勝。
大きな壁を乗り越えたナインは自信がみなぎっていた。
「大阪桐蔭のユニホームは怖くない」
先制弾を放った都倉主将はそう感じていた。
神戸新聞スポーツ記事より
ひとつひとつの積み重ね・・・
加古川北の2010年7月末から同年11月末までに行った試合は練習試合、公式戦含め76試合。
51勝19負6引き分けという成績を残しています。
この多くの対戦での経験の中で 「自信」 という2文字を掴み
一気に近畿大会8強まで駆け上ってきた加古川北校。
初めての春の甲子園。
夢の大舞台に立つ加古川北高校の春を応援したいと思います