はるかなる甲子園 第一部 熱血甲子園2010 其の1. 2 . 3より
其の一 興南高校 我喜屋優監督が目指す「選手の育て方」
其の二 興南高校 春夏連覇 間一髪の野球と周到な準備
其の三 2010年決勝 投げ合った二人のエース
高校野球 沖縄の歴史は奥深い・・・。
1958年夏の甲子園
以前読んだ、首里高校が初めて甲子園へ立った時の切ない時代を書いた
甲子園の鼓動 ~ 球児たちの涙に染みた土 ~のこともこの著書の中で触れられているが、
長い長い時を越えて、2010年 第92回大会 沖縄に深紅の大優勝旗が初めて渡った夏が書かれている。
春夏連覇を果たした沖縄興南高校の選手たちは、あの夏どんな想いで沖縄へと帰ったのだろう・・・。
1968年 第50回大会へ出場をした時の主将 我喜屋勝選手が42年の時を越えて
興南の監督として甲子園へ立ち、大優勝旗を掲げる教え子をどんな想いを重ねて見つめていたのだろう・・・。
我喜屋監督さんの野球道は意外なところからスタートをしている。
小さな頃から野球少年だったのかと思っていたが、中学では陸上部で名を馳せた選手で
その活躍があり興南高校へ入学したという経歴にまず驚く。
入学後、1人で棒を持って走っているよりも、大きな目標に向かった方がいいかな・・・という発想で野球を始められたという。
その時の逆転の発想がなければ、あの瞬間、教え子たちが大優勝旗を手にする姿を甲子園で監督として
見ることはなかったんだと思うと、感慨深いものがある。
興南を卒業後、静岡の大昭和製紙、北海道の大昭和製紙白老での野球道を経て、
2007年 興南の監督さんとして母校へ戻られた。
監督就任から僅か3ヶ月で24年ぶりに甲子園へと導かれた裏には、北海道でのご経験も大きく
逆転の発想、逆境からの気付き、創意工夫が大きく影響していることが分かる。
その我喜屋監督さんが持たれておられる逆転の発想、逆境を味方に・・・という考えの根っこが、
あの大偉業を達成した興南の基盤となっていることが読み取れた。
我喜屋監督さんの信念にある「小言が大事を成す」
小さいところに気付く子は大きな仕事ができる・・・ということ。
普段は目立つ選手でも、小さいことに気付かない選手は大きなところで、大きな試合で必ず大きな失敗をする。
逆を言うと、小さなことに気付く選手は大きなところで、大きな試合で成功する・・・ということだろう。
ご就任になられてカルチャーショックを受けたという選手たちの生活態度。
椅子は片手で引かない、お皿の片付けには間に指を入れて運ぶといった
日常生活をする上で、チーム内にはたくさんの約束事があるそうだ。
例えばお皿の間に指を入れて運ぶという約束には、
全員がきれいに食べるということや、運ぶ時の音も軽減される。
お皿をきれいにすることで、洗う水の節約にも繋がる。
こういう細かい約束事の中には意味があり、その意味を理解し行うことで次々と「気付き」が生まれ、
野球をする上でも大切な、気配り、心配り、思いやりの心が育つ。
野球より前に人として身につけなければいけないことから一つひとつ選手たちの生活から整えて行かれる中で、
その一つに、自分たちを応援してもらえるような環境作りを作るためにも、
出来ることから始めようと行われたゴミ拾い、朝の散歩の後の「気付き」を言葉にする1分間スピーチ。
今も受け継がれて興南の選手たちは行っている。
ゴミ拾いができるようになればバントもできるようになってくると我喜屋監督さんは言われる。
その根拠は・・・バントが出来れば、人の有り難さが分かるようになり、
自分が出来ることで、後の人が楽になる・・・
自分がバントを決めることで、後ろのバッターはホームに近づける。
こういう気持ち、考えで多くの高校球児たちは「バント」をしているだろうか・・・。
1分間スピーチにも意味があり、日々の中での「気付き」が野球へ繋がる「気付き」となっていく。
基本というのは次を支えてくれるのが基本で、基本の在り方、精神力の使い方だと、
我喜屋監督さんの教えは野球にも繋がっているが、その先の選手たちの未来で
人として・・・を大事に想い、様々な事へ意識を持ち行動出来るようにと願う気持ちが込められているのだと思う。
なかなか家庭教育の中でも伝えきれない大切なことを、
我喜屋監督さんから教わることができている選手たちは、幸せな時を過ごせていますよね。
そういう教えが今も受け継がれて選手たちが行うことで、興南の選手たちを多くの人たちが応援してくれるようになったという。
ゴミ拾いをしたからといって野球が強くなるものではないのだろうけど、
その意味を理解し行うことで、感謝の気持ちが芽生えたり、人とのコミュニケーションを図れるようになったり、
人の心を惹きつけ応援してもらえるようになることで、選手たちのやる気、頑張りへと繋がり
それが野球へ繋がることでチームは強くなっていく。
誰かが自分たちを応援してくれているということは、選手たちの大きな力へと変わるのだろう。
興南の選手たちは、それを自分たちの手で行い得て行き、あの優勝旗を手にできたのだろうと感じる。
2010年の夏、我喜屋監督さんの教えが繋がった瞬間、
選手たちの姿が逞しく見えただろうし、本当嬉しかったことだろうと思う。
されどゴミ拾い・・・。
誰かのために何かをしてみようという気持ちが選手たちの心を強くし、
気付くことで考えや視野広がり心を豊かにする。
小さな気付きが大きな心を育てる・・・素晴らしい教えだ。
2007年の主将 宮里主将は言う。
ちょうど監督が就任されたのが僕の2年生の時、確かにだらしない部分があり、
野球のことより、まず生活をきちんとしなければ何も始まらないということで、
そういった部分から意識を徹底的に変えて行った。
散歩の後の1分間スピーチも、とにかく朝のニュースや新聞などからも話すテーマを見つけ、
社会で何が起こっているのか、それまで新聞なども目を通すことはあまりなく理解もしていなかった。
スピーチがきっかけで新聞にも目を通すようになり、野球ももちろん大切ですが、
様々な面に意識をもって学んでいくことの大切さを凄く感じた。
そういう習慣が今とても自分にとって大きなものになっている。
自分に対する生き方の指針みたいなものがはっきりあるように思う。
そういったものを与えてもらったことに感謝していると。
野球より前に人として・・・ゴミ拾いもスピーチも、椅子の運び方も、
そこからの気付き、意識の持ち方が野球へと繋がり、
そして社会へと旅立った時の根っこへとなり繋がっている。
我喜屋監督さんの教えは、子供たちが社会へ立った時に人として・・・を大事にできる人になってもらいたいと、
そこを1番大切に目標とされご指導されておられるのだと感じる。
読みながら、自分は息子たちをこういう導き方ができただろうか?と振り返りながら、
子育ても終わりに近付きつつある私であるが、もうすぐ社会へと旅立つ息子たちが
このように想う生き方ができるように、あと少しの子育ての中で、
このような導き方をしながら大切なことを伝えていこうと思う。
我喜屋監督さんの目指す選手の育て方・・・育ち方は、
その後の興南の野球で大きく花を咲かせ2010年 春夏連覇へと繋がって行く。
其の二 興南高校 春夏連覇 間一髪の野球と周到な準備では、
あの夏の中に居る興南の選手たちが、「相手の気持ちで常に考え人のために尽くす」という
監督さんの教えを野球に変えて行く様があり、気付きから生まれるプレイに興味深いものがあった。
其の三 2010年決勝 投げ合った二人のエースでは、
優勝投手 島袋投手の創意工夫から得た強さを知ることとができる。
また、2010年選抜甲子園決勝で投げ合った東海大相模のエース 一二三投手の苦悩の日々と門馬監督さん、
また、東海大相模と準決勝で対戦し投げ合った成田高校のエース中川投手と尾島監督さん
選手と監督さんとの絆と想い・・・
誰もが辿り着ける場所ではない甲子園へ立つ選手たちは、一様に華やかに見えるが、
様々なものを乗り越えてこそのあの場所だったことを知り、胸が熱くなった。
2010年 夏
多くの3年生の球児たちが高校野球から引退となるが、この夏のドラマはみんなで作り出したもの。
そのがんばりに自信を持って、誇りを持って次の一歩を踏み出して欲しい。
みんなの思いは私も含め、多くの人の心を捕らえたのだから・・・と締め括られている。
そこには、日々選手たちと向き合っておられる監督さんという大きな存在がある。
監督=父と、選手=息子たちが創り出す野球から、感動を与えてもらっていることに感謝の気持ちが溢れた。
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