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~球児たちの あしあと~

沖縄慰霊の日 17歳 詩に託す平和

2010-06-24 | 春夏秋冬 こつ こつ と...日記

昨日23日、沖縄では65年前の太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本軍の組織的戦闘が終結したとされる
65周年沖縄慰霊の日を迎えられた。


沖縄県内各地で慰霊式や追悼式があり、糸満市の「ひめゆり平和祈念資料館」前では、
沖縄戦で負傷兵の看護などに動員され、多くが犠牲になったひめゆり学徒隊の慰霊祭が営まれ、
元学徒や同窓生、遺族ら約500人が参列され、犠牲者のご冥福を祈られました。


宜野湾市の県立普天間高校3年、名嘉司央里(なかしおり)さんは、追悼式で自作の詩「変えてゆく」を朗読されました。

沖縄普天間基地移設・・・「変えてゆくのは難しい」現実にもどかしさを感じる一方で、

「私たちの世代から変えていかないと何も変えられないし、平和は願うだけでは来ない」

と思い、題名を「変えてゆく」に決めたそうです。

一人一人が意識を変えれば「基地の島」を変えていけると訴え・・・

犠牲になられた方々のご冥福をお祈りすると共に、名嘉司央里さんの詩を紹介したいと思います。

                    『 変えてゆく 』   

              沖縄県立普天間高校3年 名嘉司央里

今日もまたはじまる いつもの日常 当たり前に食事をして 当たり前に好きなことを学んで
当たり前に安心して眠りにつく そんな普通の一日


今日もまたはじまる いつもの日常 当たり前に基地があって 当たり前にヘリが飛んでいて
当たり前に爆弾実験が行われている そんな普通の一日

一見「平和」に思えるこの小さな島 そこにいつの間にか当たり前ではない 当たり前であってはならないものが 入り込んでしまっていた

普通なら受け入れられない現実を 当たり前に受け入れてしまっていた

これで本当にいいのだろうか

平凡な幸せを感じながら ただただ「平和」を望む今 簡単にこの違和感を 無視していいのだろうか

黒いたくさんの礎 刻まれるたくさんの名前 そこで思い知る 戦争が残した傷跡の大きさ深さ
何も幸せなど生まれなかった 何も手に入れたものなど無かった すべて失ったものばかりだった

忘れてはならない この島であった悲しい記憶 目を背けてはならない 悲しい負の遺産 
それを負から正に変えてゆく それがこの遺産を背負い生きてゆく 私達にできること

変えてゆくのは難しい しかし一人一人が心から 負である「戦争」を忌み嫌い 正である「平和」を深く愛する 
そんな世界になれば きっと正の連鎖がはじまるはずだ

六月二十三日 慰霊の日 あの黒いたくさんの礎には たくさんの人々が訪れる 
そして その一つ一つの名前に触れ 涙を浮かべながら語りかける

「今年も会いに来たよ」と 手を合わせ目を瞑(つぶ)り祈りを捧(ささ)げる その訪れた人々に 「平和」を願わないものはいない

「一度あった事は二度ある」 そんな言葉を聞いたことがある しかし こんな悲惨な出来事は もう繰り返してはならない 
だから…… 「一度あった事は二度とない」に 変えてゆこう 平和で塗りつぶしていこう

その想(おも)いはきっと届いているはずだから



琉球新報 ~慰霊の日 軍隊は住民を守らない 今こそ沖縄戦の教訓後世に・・・ 
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-163926-storytopic-11.html

 


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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はい〓 (実柚)
2010-06-25 20:35:35

見たいお城は、いぱーぃあります〓

お城好きなのに、姫路城に大阪城くらいしかいったことないんです

出石城も行きましたが天守はないんですょね

次は彦根城にひこにゃんに逢いに行くつもりです☆


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そのうちに・・・ (yama)
2010-06-25 19:00:19
実柚さん
こんばんは

そのうち、一緒にお城巡りと共に、昔のこと勉強しに行きましょう。

明日は雨模様ですね

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パールハーバーは見ました。 (実柚)
2010-06-25 10:26:21
私は多分新しい方の映画だったと思いますが...。
戦争を描きながらも恋愛ものだったような...。


映画は戦争を描かれたものもいくつか見ました。

実際の資料を見るよりは受け入れやすいと思って見ています。

だから沖縄のことに関しては硫黄島からの手紙だったかな?(タイトルをはっきりと覚えていません)を見ましたよ。


私自身歴史はとても好きなのですが戦争は近代の出来事でとても近すぎて怖く感じるんですよね

昨年夏休みの宿題で息子の平和学習の手伝いをしているときにネットから広島の原爆に関する資料をたくさん探して二人で見て、レポートに纏めたんです。

修学旅行に行くための準備勉強だったので、せっかくだからシッカリと学んできてほしいと思って、私が目を背けていたらいけないと思って気合を入れて資料の制作をしました。

私にとっては戦争について原爆だけをテーマに置いてだったけど真剣に取り組んだのは初めてのことで、大人になってからの新しいショックでしたね

私も息子も想像を働かせすぎて気分がどんよりしたのを思い出します。

世界大戦から世界中が学んだことは大きいと思います。

その過ちに近い時代を生きる者として、これからの歴史は過ちを繰り返さないための歴史学習ではなく後世の子供たちが羨むような時代にしていくのも今を生きる人間の務めなのかも知れないですね。

とか思いながらも、やっぱりどこか逃げ腰な私ですけど....









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語り継ぐ大事さ・・・ (yama)
2010-06-25 08:09:16
実柚さん
おはようございます。

戦争を経験しない私たち世代には、見て、聞いて知る中でも、経験された方々の気持ちや、戦争の残酷さは計りしれないものがありますね。

私は、戦争というものに、すごく感心があり、当時の状況を知りたいという気持ちがあって、
色々な資料を見たり、実際に資料館にも行き、知らなかった当時の悲惨な現実を知りました。

子供の卒業旅行は沖縄へ連れて行き、一番に『ひめゆり平和祈念資料館』『沖縄平和祈念資料館』へ連れて行きました。

子供たちは、息子さんと同じで、あまりの非現実的な資料や写真、映像から怖すぎて目を背けていましたね。

子供たちにとって、自分たちが暮らす国で起こった出来事と、頭では理解出来ても連動は出来ないのだと思います。

それは仕方ないことだとも思います。
でも、そんな悲惨な戦争があったからこそ、後世は『二度と繰り返してはいけないこと』と思い考えるようになれたことを勉強して来ました。

これからも、これから生まれてくる子供たちにも語り継ぐことで、平和な生活が続くのだと思います。

私が戦争に感心を持つようになったきっかけは『パールハーバー』という映画からです。
随分昔の映画で、2001年に制作されたマイケルベイ監督のパールハーバーとは違う作品ですが・・・

今は残っているか分かりませんが、真珠湾攻撃が起こった原因や、日本とアメリカ両方から見たあの戦争を知ることが出来る映画でした。
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胸が痛いです。 (実柚)
2010-06-24 22:52:55
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。」というリンク先の文章を読んで、自分はやっぱりどこか戦争って他人事っぽかったなと反省しました

両親も戦争を知らない世代で、私も学校で学習するくらいしか戦争について知ることもなかったし、敢えて目を向けてこなかったです。

でも、自分自身が子を持つ母になって少しずつ戦争に目を向けてはきたつもりですがなるべく見たくないって気持ちから目を背けてきました。

残酷でなるべくなら見たくない知りたくない世界ですよね。

「変えていこう。」その一言にとっても深い想いが詰まっていますね。

子供が学校で歴史って生活に必要ないのにどうして勉強するのって質問したらしいんです。

小学6年の時に平和学習として広島のことを学ぶ機会があったんですが、うちの息子も戦争の残酷な写真や話を嫌がったんです。

でも先生は「同じ過ちを繰り返さないための学習です。」と子供に話をしてくれました。

子供も学習しているんですよね。
大人の私も少し学習してみたいと思います。




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