白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 44
21世紀の終わりは新監督率いる育英が1993年 第75回大会から10年ぶりの優勝。
決勝の対戦相手は実に63年の時を超えて決勝の舞台に立った関西学院。
これから9年後、このブログを書くきっかけとなった関西学院の70年ぶりの優勝がやってくる。
21世紀の始まりは、日本で生まれ東洋大姫路と人生運命の出逢いをしたスーパー1年生の活躍もあり
第80回記念大会西兵庫の覇者が3年ぶりの優勝。
第82回大会(2000年)
~育英・藤村、就任1年でV~
第82回大会決勝で関学を下し、夏の甲子園出場を決めた育英の藤村雅美監督
名門校が新たな時代を迎えた。
2000(平成12)年の第82回大会を制した育英の監督、藤村雅美は
ミスタータイガースと称された藤村富美男の次男。
三田学園出身で育英のOBではない指揮官が、就任1年で歓喜を引き寄せた。
春の選抜大会出場校として臨んだ兵庫大会は圧倒的な強さを見せた。
準決勝で神戸国際大付を9-3で退け、決勝は戦前以来、61年ぶりの優勝を目指した関学に11-0で大勝。
後に西武に入団する2年生の3番栗山巧は大会通算打率5割をマークし、大器の片りんを見せた。
捕手の藤村光司は監督の長男で、祖父の富美男を含めた3世代での甲子園が脚光を浴びた。
さらに選抜大会に続いて開幕試合を引き当てた上野浩一主将が開会式で選手宣誓。
さまざまな話題を集め、20世紀最後の夏の甲子園を盛り上げた。
第83回大会(2001年)
~東洋大姫路、アン躍動~
第83回大会で鮮烈にデビューした東洋大姫路の1年生、グエン・トラン・フォク・アン投手
異色の左腕が彗星(すいせい)のように現れた。
東洋大姫路が3年ぶりの頂点に立った2001(平成13)年の第83回大会は、
ベトナム難民の両親を持つグエン・トラン・フォク・アンが快投。
入学間もない1年生が甲子園へけん引した。
3回戦の市神港戦で公式戦初先発し、七回途中まで零封。
小気味のいい投球と切れのある直球を武器に、エース畑山侑作との継投で進撃を支えた。
後にドラフト1位で巨人入りする好右腕、真田裕貴を擁した姫路工との決勝でも先発。
兵庫大会6試合3失点で優勝の原動力となった。
アンの両親はベトナム出身のボートピープル。
難民として日本に入国後、アンは誕生した。
社会性に富む生い立ちと当時の高校野球界では珍しかったカタカナの名前。
甲子園大会で脚光を浴び、ベスト16まで勝ち上がった。
神戸新聞 松本大輔氏
兵庫球児100年のあしあと 1~20
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兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)
兵庫球児100年のあしあと 41
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