隊長が好きな「ダンス」を紹介するシリーズの第1回は、『アン・ドゥ・トロワ』をお送りします。
「プロフィール」 にも書いてありますが、中国上海に赴任してしばらく経って、余裕が出てきた2004年の初め頃に、日本で習っていたヒップ・ホップ・ダンスのレッスンを受けたくなってきました。
今はそんなことはないのでしょうが、当時は他の日本人駐在員に聞いても、現地の日本語のタウン紙を見ても、ヒップ・ホップ・ダンスを教えてくれるところがわかりませんでした。諦めかけていたところ、英語が出来る中国人から、英語のタウン紙にダンス・スクールの広告が載っていると教えてもらいました。
ダンス・スクールは、上海地下鉄2号線「南京西路駅」から歩いて7~8分の石門一路と威海路交差点の近くの廃校になった中学校の校舎の中にありました。近くには、上海四季酒店(For Seasons Hotel Shanghai)は有るけれど、古い街並みが続く一帯です。
(今年の5月に駐在時代の部下の中国人女性の結婚式に参列するために、上海に行った時に、ダンス・スクールが有った場所のすぐそばの上海中凱豪生酒店(Howard Johnson Business Center Hotel Shanghai)に泊まりました。あたりは、再開発の為に、古い街並みが壊されていました。もちろん、あのダンス・スクールも消えていました。)
ヒップ・ホップ・ダンスの他には、ベリーダンスやズンバ等のクラスが有って、レッスンでインストラクターが話す言葉は全て英語。以前は中学校の教室だった場所でのダンスレッスン。インストラクターは、「マイケル」と言う、フランス人で、黒人で、身長190センチのおネエー系の男の老師(先生)。
生徒のほとんどは、アメリカ人、フランス人、ドイツ人、スウェーデン人、等の外国人で、外資系の会社に勤務していて英語が話せる中国人が少数でした。
ある日の事、ダンスのリズム取りを、いつもの様に、One・Two・Three・Fourと行っていた時に、一人のフランス人生徒がフランス語でマイケルに質問し、マイケルはフランス語で答えました。リズム取りに戻った時に、マイケルの口から出たのは、“Un・Deux・Trois・Quartre”とフランス語でした。これには、生徒一同が大笑いしました。
帰国する前の年の2007年になると、米国資本のフィットネス・クラブが上海の街に何箇所かオープンしました。その内の1箇所の会員になって、ヒップ・ホップ・ダンスやエアロビクスのクラスに参加していました。会員のほとんどが中国人で、インストラクターも中国人。レッスンでのカウント取りは、当然 “イー・アル・サン・スー”だった。。。。
『アン・ドゥ・トロワ』中国語版はこちらです⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/a2f69e5d605a8f72a21d7d7517993c4e
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