82歳からの旅

私の記録

  ~ 高齢者の生活は ~

2013年01月17日 22時17分51秒 | 日記
  1月17日曜日   
 私は腰痛・家内は膝の痛みの為に、毎日整骨院に通っています。その為に生活
のスケジュールが乱れてしまいます。整骨院が予約制の為に、生活が乱れるので
す。予約がこちらの希望時間に、取れないのです。

 整形外科や総合病院に行くと、医師から「加齢によるものです。」と言われる
のです。それで諦めていたのですが、一昨年から整骨院で治療を始めました。
 その結果腰の曲がりは治りましたが、腰痛は中々治りません。 根気よく病院
通いを続ける他に、方法がないのです。頑張って頑張って………

 社会のお荷物である私達高齢者は、成るべく社会に迷惑をかけない様に生きる
事です。そう覚悟を決めて整骨院に通っています。
 
 整骨院は悪いところを、切り取って「これで良くなりました」とは治療法が異なりま
す。患者さんが言う悪いところを電気器具を使ったり、手触りで整体したりして治す
様です。一朝一夕で治るような治療ではないのです。

 それでも先生は毎日必ず、「今日は体の具合はどうですか?」と尋ねます。私の答え
は「マーマーですね・いくらか良いようですね・変わりません等」先生との会話です。
 
 言うなれば暇人の行くところです、忙しい人には向かない治療です。それで私の生
活を吟味して、四捨五入の生活を始めたのです。
 その為に生活に色々な面で、歪が出てき来ました。でも病気で動けない人や、入院
生活をしている人に比べると良い方だと思うこの頃です。だから(これも感謝・感謝の
生活かな?」と決めているのです。………
 
 こう成って初めて弱い人の気持ちが、分かるように成りました。月謝を一円も払は
ないのに分かるのです、まるで手品の様に…………嘘ではありませんよ………そうで
しょう………




      
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一昨日の出来事

2013年01月16日 13時52分18秒 | 日記
   1月16日水曜日   

 スーパーで買い物をしている時に、小さな餅があった。これを酢餅にし
たら、丁度良い大きさである。何十年ぶりかで酢餅を食べて見ようと思っ
て一袋買って帰った。 
 一昨日の朝その餅をお湯で柔らかくし、酢餅を作った。久し振りに子供
の頃の餅つきを、思い出して大変懐かしく美味しくいただいた。


 
 その頃は暮れに成ると、翌年一年間食べる餅をついていました。一軒
で一俵(60キロ)以上は搗いていたように思います。アラレにする餅・カ
キ餅・小餅(小さく丸めた)餅等、8人家族で食べる分です。それを三軒が、
順番に搗くので大変でした。
 3家族が一緒になって朝の5時ごろより、昼過ぎまでかかっていました。
もち米を蒸して搗き始めるのは、5時ごろでした私たちは餅搗きの音で
目を覚まし起きました。終わるのは午後の3時くらいだった様に思います。
 朝ごはんの代わりに大好きな、酢餅を作ってもらいました。酢餅にいれ
る「酢」は子供が屋敷にある、みかんの木から取ってきました。子供たち
は皆起きて来て、賑やかに酢餅を私も・私もと言いながら食べていました。


 
 さて一昨日の朝酢餅を食べているときに、入れ歯がガリット音を立てて
口の中で餅と一緒に出て来ました。良く見ると小さな入れ歯でした、すぐ
家内に見せて「子供の歯のようだ」と言って捨てさせました。そして「可笑
しいね・可笑しいね」とそれから夜と朝歯磨きをしましたが、別に異常は感
じませんでした。
 二日目の夕食の時に口触りが少し変なので、触ってみると前歯が二本あ
りません。昨日の歯は自分の歯だったのか、少し呆けて来たなあーと家内
と笑いながら夕食をたべました。

 

 歯医者に行くと先生から、「先生に笑われるよ恥ずかしい」と家内は不満
そうにでも笑いながら言いました。
 教え子の営む歯医者に行って、私は「可笑しさをこらえきれずに笑いなが
ら」話しました一同皆笑いました。田舎にいる妹に電話で話すと雑煮餅を食
べるとき入れ歯は抜いておかないと「入れ歯に雑煮がくっついて抜けますよ」
と言われました。……そうだったのか「知らなかった」…… 
 治療が終わってから「先生マスク」は有りますか?、と尋ねられ「ないで
すよと」答えました。先生「恰好悪いからあげますよ」と帰りに受付でマス
クを二つ用意してくれました。
 教師をして24年も過ぎスッカリ爺さんになった此の私に、こんなに大事
にしてくれる教え子よ「本当に本当に有難う~有難う」と感謝の心を片時も
忘れずに生きて行こうと心あらたにして。




   
 
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教育の場における、指導と体罰のかかわりについて 

2013年01月15日 07時54分44秒 | 教育
     1月15日火曜日   
 教育の実践をしている教師は、毎日毎時間指導の目当てを立てて、子供たち
に児童しています。教育を受ける子供たちは、それぞれ能力差があり受け止め
方も千差万別です。

 理解の度合いや認識にも、それぞれ違いがあります。運動の場合は能力に個
人差が有るとともに、関わり方にも特性や理解に個人差があります。
 知識・理解面を中心に考えて見ます・・・・・・・・・・
仮に一クラス35人の子供を指導するとした場面で、45分の授業の中で一つの
目標について、授業する前か理解している子・僅かな指導で理解できる子45分で
目標を達成できる子・45分では理解できない子・どうにもならない子等等…

 ここからが問題です。教師の対応の仕方がいわゆる指導技術の良しあしです。
45分の指導時間の中で教師は悪戦苦闘し、一人一人の子供に思いやりながら指
導をするのです。
 45分の授業の中には色々な事が起こります、教師はそれを一方で取捨選択しな
がら目標達成に邁進するのです。

 6年生の担任の時にYと言う子何処がいました。その子は授業中奇声を発する
のです。担任を一人占めしたいのですから、45分の間がもてないのです。
 教室から抜け出して、私が呼びに行くとある一定の間隔を保ちながら逃げるの
です。又 ある時は教室から抜け出して屋上に上がり、その端に出て奇声を出す
のです。もうこうなっては授業どころではありません。クラスの子供を放り出し
て,Yにかかるのです命に危険があるからです。
 何回も児童相談所に行きましたが、その頃は未だ受け入れられませんでした。
 
 一年生の担任の時に…体育の時間に以前は肋木(3メートル位の高さ)があり、そ
れで遊んでいました。其の時に知恵おくれの子どもが、ちょっと目を離した間に肋
木の上に立って「先生怖いよう」と…。ぞっとしましたが、私が上がって何とか一
緒に降りて解決しました。危うく一命を……

 
 授業中には色々な、ハプニングが起こるのです。前のような予測の出来る場合は
事前に対策が建てられます。然し35人もいると何時何が起こるかわかりません。
 教師の頭の中は一年間の指導の時間の、何分の一時間の授業ですのでそれ
に時間を費やすかどうかを判断し乍授業をするのです。
 此処で教師は混乱するのです、問題に何時間もかけても解決出来ないような
ときに・・・・・

 授業に妨げになるから、後ろに立たせたり・教室から出て廊下に……これが
体罰になる恐れが有るのです。いろいろのケースによって…、教師は子供と保
護者に信頼がないと……。
 
 
 子供の能力に応じて指導すると言う事は、並大抵で出来る事ではありません。
 保護者から子供のことで電話があったので、何気なしに「またね」と担任が
答えました。その後保護者は、其の先生を信頼しなくなったのです。

 クラブ活動の場合には様々な問題が、交錯して其の解決は大半です。公立校
の場合と私立校(私立)の場合は体罰に対する基本は同じでも、対応は異なって
いました。

 公立校の場合
  音楽「マーチング」クラブの例
 私の家の近くで夕方遅くまで、毎日の様に練習をしていました。暗くなると
自動車のライトで照らして、遅くまで練習をするのです。保護者も子供を迎え
に来て待っているのです、指導する教師の方では目標があってそれまではやめ
られません。
 何回も何回も練習を繰り返します、そこから指導者や顧問の教師が・・・
公立校では指導する教師が、限られてきます。時間外ですので特別に手当てが
有るわけではありません…それでも指導しています。
 これを批判するだけでは、県大会や全国大会への出場のクラブの指導は成り
立たないでしょう。
 あらかじめクラブでするときに、家庭の都合で遅くまで練習出来ない子は参
加しないようにしていると思いますが、子供の方は出たい一心で参加している
のです。
 待っている保護者にも積極的に、応援する立場の保護者と受験を控えて塾に
通わせる子を持つ保護者は少し違うようです。
 
              私立校の場合
 私は勤務していないのではっきりとは言えません。公立校よりか私立校の
方が圧倒的に、クラブ活動は強いです。それはクラブの名声で学校の宣伝を
しているその様に素人の私には見えるのです。断言はできませんのでお許し
下さい。
 その為にクラブの監督やコーチ・顧問の先生に実績のある人または有名な
人を学校の方で選任していると思います。

 そう言う人が指導することについて、部外者が意見を述べる余地はないと
思います。其れについて意見を言えるのは、校長先生ではないでしょうか。
でも私立の場合には学校の、創立者がいますがこんな時には出て来ません
其処が難しいのです。副顧問とか教頭先生では意見は、言えないでしょう。

 問題の本質は卑しくも学校でする指導は、教育の一環でしているのです。
其のことを指導者は肝に銘じて、指導に当たってほしいのです。
 素晴らしい監督は言っています、一人一人の人間を育てる事でチームが纏
まり実力以上の力を発揮するのです。と良い監督はよい社会人を育てる…



 文意一貫性がなく、口足らずの処も多々あると思いますが、80過ぎの老人の
戯言と、お聞き流して下さい。


 文面の子供と表記していますが、児童(小学生)生徒(中学生・高校生)と書かな
ければいけないのです。  



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 ~ 体罰による指導について考える ~

2013年01月13日 11時18分31秒 | 教育
   1月13日日曜日  
 昔は家庭で躾をするときに、忙しくて教える暇がない・教え方の未熟さ
等から子供に手を当てて躾けていました。
 子供が何か悪いことをしたとき等に、厳しい躾けをする時に体罰をして
いました。
 例 よその家のなり果物(柿・桃・梨・西瓜)等をを取り、何度も同じ事
を繰り返す。そんな時に体罰をして二度としないように言い聞かせていま
した。
 肉親だからと言っても、許されることではありません。弱い子供の人権
を守る為に、児童憲章や児童福祉法等の法律で保護されているのです。
 
 教育の専門職である教師が、指導技術の未熟さから体罰で指導するこ
とは許される筈はありません。
 
 学校教育法 第11条 (学生生徒の懲戒) 校長及び教員は、教育上必
要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び
児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。

 中学校や高校などのクラブ活動(僅か3年間・実質2年半)で、効果を上
げる指導者の気持ち。子供の為にと言う名目で、遂体罰をの気持ちも判り
ますがしてはいけないのです。

 一概に体罰が悪いと言っても、色々の事例があり指導する教師は大変困
な現実だと推察いたします。悪い事をしたときに時間をかけて、「分かる
ように指導すれば良い」がそれに時間をかける訳にはいかない現実がある
のです。教える教材が・そして受験が、差し迫っているのです。

 そのような毎日の教育実践を、どう解決していくか教師は指導の途中で
1つ1つ事例に即して判断をするのです。山口県の吉兼先生でも、厳しい
スパルタ教育実践の後に指導法を変えたのです。指導する現場に居る教師
は大変な事と思います。

 外野席にいる保護者や私たちは、先ず子供を守る事を第一にし其れと共
に学校も守り育てる事も大切です。

 新聞や報道機関に携わる人々は、先ずこの様な指導をすればよいと分か
り易く代案を示して後、問題点を示したらどうですか?。今の新聞やテレビ等
報道が公権力を使っての批判することだけは止めtr欲しいと思います。

 










 
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  体罰問題について ~ 参考の新聞記事を ~ 毎日新聞の記事より

2013年01月12日 08時55分45秒 | 教育
   1月12日 土曜日  
 昨年の2月4日(土曜)毎日新聞の北九州版の記事を抜粋しますので
参考にしてください。
  なぜ強い2011年度の高校スポーツ界で全国優勝に導
いた監督に日本一の秘訣を探るシリーズ2回目は、高校総体、国
体2冠の山口県立華陵高女子ハンドボール部の吉兼監督(50).90年代にも
他校の男子チームで4度、日本一となった名監督が心がけた事は ー 再
び掴み取った栄冠の背景には、スパルタからの転向があった。

 優勝が義務付けられた地元・山口国体の初戦4日前、練習を取材に行くと、
予想外の光景が広がっていた。アップ時には、ポップスが流れ、和やかなム
ード最後には監督が「あと何本やりたい?」と問いかけ、選手たちが「3本
やります」と回答を決める。いわゆる伝統校では考えられない雰囲気であった。

 「選手に任せれば『やらされている』と思わないので、手を抜かない。ロボット
では、選手は指導者を超えられない。スパルタは指導者を満足させるだけの
練習です」 
 
         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 以下新聞文面概略説明 今では温厚な監督ですが昔は違った。…・選手が
自分の要求どうり動かなければ声を荒げた。「今日はここまでやる」と決めた水
準に達しなければ何時間でも練習を続けた。深夜12時を回る事もあった。長男の
出産日にも病院へ行かず、父の葬式の翌日には練習を再開した。・・・・・・・・・・・・
「24歳で伝統校を任され、結果を出さなければと思い、余裕がなかった。・・・・・・・・・・・

 きっかけは能力の高い選手が集まらず…・選手の為に・・指導が負担になっ
ていることに気づいた。
 「一人一人の元のレベルは違う。少しでもうまくなれば褒めるようになった。」
 今でも怒ることはある。でも理由が変わった。「以前はミスと言う結果に対して
怒っていたが、今は過程を見る。集中力のないミスは怒るが、チャレンジのミス
は怒らない。練習はミスをして学ぶ場所。・・・・・・・

 『高校2年半で結果を求めるならば、スパルタの方が簡単かもしれない。でも其
処が人生のゴールではない。…・社会に出た時に魅力ある人間になって欲しい。
その為には、自分で考えて行動できる『自立』が必要」
 必要な事は選手たちをよく見る事。…・話かけるタイミング…略

………遠征で新幹線内で静かにしていた選手達を見て、すかさず「さすが日本一
のチーム」と褒めた。気が緩みかける帰りの車内で、選手たちがお互いに注意して
静粛を保った。等々

「今の目標は選手を育てる事ではなく、指導者を育てる事」将来の地域の宝になる
・・・・・・・・・・・・省略・・・・・・・・・・・・・
 学習には今の自分より高い目標を持たせ、それに向かってチャレンジさせる。其
処には抵抗があり、それを如何にして乗り越えさせるか?。其処に指導者がどの様
に関わって行くか、が問題である。
 
 子供にやる気を起こさせる…楽しみながら練習をする…自分の目標を持つ・練習
計画を…気付いた事はお互いに教え合う…判らないことは尋ねる…等々そうして自
分を向上させる自分がいる、その自分を育てる事が教育の根本であると私は思う。

                  未完
 
 
       ont>




 
 











   
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