えつこのマンマダイアリー

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広島旅行(1) ~私の見たヒロシマ~

2007年11月16日 | 旅行
 11/9-10と初めて広島を訪れました。妹の絵本『ピンク色の雲 おばあちゃんのヒロシマ』の出版をきっかけに集った仲間5名で、絵本の普及@広島市と、戦時中の母の軌跡を辿る旅@呉市を目的としたもので...そう、観光目的ではありませんでした。絵本を出版しただけでは自己満足に終わってしまう、次につなげようというわけで、その第一歩としての旅でした。
 3回に分けてご紹介します。(★画像をクリックすると、大きい画像や別の画像が見られます。)

   

 初日は、幟町中学校→本川小学校→NHK広島→中国新聞社→原爆の子の像&原爆ドーム→広島平和記念公園→広島平和記念資料館広島原爆死没者追悼平和祈念館→爆心地(島外科)と回りました。

 爆心地に最も近い中学校、広島市立幟町(のぼりまち)中学校。原爆症を患いながら折り鶴を折り続けた佐々木禎子さんが1年間在籍した学校です。闘病のため入院していたので、通学は叶いませんでした。

 「原爆の子の像」@平和記念公園の4分の1大の像(オリジナル像は後で見られます)
 
 福岡県宗像市から贈られた銅版の折り鶴

 「折り鶴の碑」 全国&諸外国から禎子さんのために寄せられる折り鶴にこめられた思いを毎年心新たにするため、禎子さんの命日だけに黒御影石の台の上に大きな折り鶴が置かれます。黒御影石にしたのは、「原爆の子の像」の台と同じにするためです。

 被爆樹木のエノキ@幟町中学の敷地。樹齢40年のときに被爆、現在樹齢100余年です。熱線を浴びた面だけが焼け焦げ、えぐられましたが、逞しくも生き延び、健全だった面が巻き込んで覆いかぶさるようにしながら生長してきました。

 樹木医が保護・管理を行っています。

 折り鶴文字@幟町中学 

 爆心地に最も近い小学校、広島市立本川小学校(旧本川国民学校)にある平和資料館。広島で初めて建てられた鉄筋3階建ての校舎で、被爆の証としてそのまま保存されています。

 米軍機撮影による原子雲

 焼けただれた配電盤

 「西平和大橋」@太田川より。原爆投下直後屍の海と化したとは思えない穏やかさです。

 「教師と子どもの碑」

 「嵐の中の母子像」

 「平和の像 若葉・湯川秀樹歌碑」 「まがつび*よ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここは」 *災害・凶事を起こす神

 「広島平和記念資料館」前

 「平和大橋」@元安川

 「平和大橋」より。「原爆ドーム」が見えています。

 NHK広島

 中国新聞社

 「原爆の子の像」 2歳で被爆、10年後に白血病を発症した禎子さんの死をきっかけに、同級生が中心となって建てられました。私の生まれる直前に完成しています。

 折り鶴献呈所@「原爆の子の像」脇。平和を願い、禎子さんに想いを馳せながら折られた鶴が全国から寄せられています。私たちも、8月に開いた企画で参加者に折ってもらった折り鶴を献呈しました。

 「原爆の子の像」脇から望んだ「原爆ドーム」

 「平和の灯」@「広島平和記念資料館」

 「原爆慰霊碑」@「広島平和記念資料館」

 時計@「広島平和記念資料館」。原爆投下からの日数と最後の核実験からの日数がカウントされています。

 広島平和記念資料館内

 図書コーナー@「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」。寄贈した絵本が置かれていました。

 爆心地の島外科


 次回は、広島のその他の名所や名物をご紹介します。
















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