ステンシルと同様、版画も好きな私。過去にも、新潟の風景を版画にしている尾身伝吉氏の作品を、何度か紹介しているくらいです。
先日こちらで触れたように、今月前半に日本橋高島屋で開かれていた「川瀬巴水展 ―郷愁の日本風景―」を、先週の連休中に観てきました。NHKのEテレの番組「日曜美術館」のアンコール放送でこの展覧会を知り、滅多に行くことのない都会に足を運ぶことにしたのです。
会場には、想像以上の数の作品と、想像の何倍もの人、人、人...連休中とはいえ、「侮るなかれ、NHK!」という感じでした。あ、いえ、本題は川瀬巴水(はすい)の版画です(^_^; 巴水の描いた美しく抒情的な日本の原風景を満喫してきました。
くだんのWikipediaのサイトから引用します:
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大正・昭和期の浮世絵師、版画家。本名は川瀬 文治郎(かわせ ぶんじろう)。
衰退した日本の浮世絵版画を復興すべく吉田博らとともに新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物として知られる。近代風景版画の第一人者であり、日本各地を旅行し旅先で写生した絵を原画とした版画作品を数多く発表、日本的な美しい風景を叙情豊かに表現し「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれる。アメリカの鑑定家ロバート・ミューラーの紹介によって欧米で広く知られ、国内よりもむしろ海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気がある*。
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そもそも浮世絵版画とは、原画を描く絵師・彫師(ほりし)・摺師(すりし)・版元が協働して生み出す総合芸術です。
巴水の版画が“新版画”と称されるゆえんは、「浮世絵の技法を受け継ぐ彫師、摺師の熟練した技術を用いながら、すりむらやバレン跡をそのまま生かすなど、浮世絵の常識を打ち破り、新時代の版画を生み出そうというものだった」(「日曜美術館」オフィシャルサイトより引用)
そして、版元となったのが、“新版画”という新しい試みに挑んでいた版画店の店主渡邊庄三郎で、その出会いが巴水の画家人生を変えたというわけです。
すでにリンクが切れてしまっていますが、くだんの展覧会のサイトには、このように記されていました:
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大正から昭和にかけて活躍し、生誕130年を迎えた版画家・川瀬巴水(1883−1957)の回顧展を開催いたします。
巴水は幼いころから絵を好み、画家の道を志しますが本格的な修業の開始は遅くすでに27歳になっていました。 転機が訪れたのは大正7年(1918)。 同門の伊東深水が手がけた作品を見て、木版画の魅力に打たれます。 以後、旅にでてはスケッチをし、東京に戻っては版画を作る暮らしを続けました。 巴水の旅は日本全国におよびました。 巴水が選んだのは、かつて日本のどこにでもあった風景です。 生涯に残した木版画は600点を超え、「昭和の広重」とも称えられています。本展では、木版作品のほか写生帖や原画などもあわせ展示し、旅先での足取りや版画制作の過程にも焦点をあてていきます。
今やどこにも存在しない、しかし懐かしい風景−「日本再発見」の旅を、どうぞお楽しみください。
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* くだんの番組では、故スティーブ・ジョブズの1980年代のエピソードが披露されていました。あるとき訪れた銀座の画廊で巴水の作品が大いに気に入り、作品を買い占めたいと後日申し出た、という逸話です。
後日追記(2015.12.15):2015年7月に旅行した北米ワシントン州シアトルで、巴水の塗り絵帳を見つけたときは驚きました。街のおもちゃ屋さんにあったのです。巴水の人気ぶりがうかがえますね。
展覧会のサイトに掲載されていた画像のうち、2枚だけコピーしてありました。
(リンク画像はありません)
左の金色堂が絶筆です。下絵にはない僧侶の後ろ姿を参道のどこに描き入れるか悩み、何度も描き替えられました。巴水の死後、版画として完成、発表されました。
私の感想を以下に記します。絵心皆無の私が感想を載せるのも恥さらしですが、これも記録なのでご勘弁くださいm(__)m
写生しながら全国を旅することで、日本列島の自然美を全身で感じていたに違いない巴水の作品には、自然の美しさが闊達に、ときには精緻に、また、過酷さが素直に、あるときは強調的に、描かれていると感じました。
また、既述したように、浮世絵式の版画はグループによる総合芸術ですから、巴水はパートナー達にも恵まれたと言えるのかもしれません。何せ、1枚に40版以上の刷りを行うというのですから、膨大な労力の要る作業です。
▼特徴的なブルー
歌川広重の描く空や水の色は“広重ブルー”と称されますが、巴水も広重同様、
さまざまな水や空を特徴的なブルーで描いていて、“巴水ブルー”と呼ばれています。
同じブルーでも、色彩のバリエーション、空と水の色の使い分け、時間帯による
色の使い分けが見事であると同時に、広重の描くそれらとは手法も印象も明らかに
異なるものです。
夜の空や月に照らされた水辺の絵が多いのも特徴で、暗いブルー、時には
黒に近いブルーが使われているのですが、夜陰に浮かぶ月とそれに照らされた
水面の美しさは印象的でした。
▼水の描き方
海・川・池など、巴水の絵には多くの水が生き生きと描かれていますが、
雨や雪が多いのも特徴です。しかも、その描き方が半端じゃないと言いますか、
徹底的に描かれているのです。また、雨上がりの道や地面の様子も積極的に
描かれていて、印象に残りました。
▼雲の描き方
巴水は雲も多く描いています。何点か、版画と下絵や原画とが併展されていたので
わかったことですが、下絵より力強く、あるいは形や色を強調して雲を描いています。
▼光と影の描き分け
光と影の描き分けの美しさやメリハリが印象深いです。たとえ、深々と降る雪景色
でさえも、微かに射している薄日の方角がわかるような、色使いの微妙な濃淡が
実に見事で、巴水の特徴でもあると感じました。
▼多色を使わず
江戸時代の浮世絵というと、人物画などは鮮やかな多色使いの絵が思い浮かび
ますが、巴水の絵は、基調となる色数を抑えた絵が多いと思いました。
▼モノトーンの中の挿し色
色数を抑えた絵では、使われた色同士のコントラストがとても美しく、また効果的だと
思いました。たとえば、暗色の中の挿し色(紅色・朱色・光を表す色等)が、
建物・人の服・灯りの色として用いられ、際立っていました。
▼人工物と自然の風物の描き分け
建物のような人工物と自然の風物との描き分けも、印象に残っています。
人工物の直線を活かして細やかに描く一方で、木々や枝葉を大胆に包括的に、
あるいはリズミカルに描くことで、両者の対比が鮮明になっていると感じる作品が
いくつかありました。
▼構図の取り方
縦の構図の絵が圧倒的に多く、奥行きを出すのに成功しています。
また、手前の建物等の間口から見える遠景を覗くような構図がとても印象的でした。
広重の構図は個性的なものが多く、私は写真を撮るときの参考にしていますが、
巴水の構図もユニークです。たとえば、金色でもなく、建物のごく一部しか描かれて
いない金閣寺。添え書きがなければ、それとはまず認識できないような構図、切り取り方
なのです。
上述の金色堂も、絵にせよ写真にせよ、こんなふうに(↓)建物にフォーカスして画角を
取るのが凡人のすることだと思います。雪の参道に主眼を置いているところが非凡
ですよね。
(2013年10月に私自身が撮影したもの。トリミングやレタッチを加えていません。)
求めて帰ったポストカードを、後日、クラスターフォトフレームに入れて紹介します。お楽しみに!
こちらは、大田区の新馬込橋に展示されている巴水の陶版作品案内のチラシです。
代表的名作12点の陶版が橋の高欄に埋め込まれ、展示されているという、異色の展示です。巴水が昭和初期から大田区に移り住んだというゆかりに基づいています。
(表) (裏)
↓ (一部拡大)
(どれも、リンク画像をご覧ください。)
この橋は昭和14年に環七通りに架けられましたが、阪神・淡路大震災を踏まえ、平成23年から架け替え工事が行われ、昨年6月に完成しました。陶版として現代の橋に甦った巴水作品も、一度見てみたいものです。