えつこのマンマダイアリー

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お寺の大仏壁画 ~三橋國民のフレスコ画~

2016年10月30日 | アート

( ↑ 「勝楽寺」の 「釈迦堂」)

 

 今月中旬のことですが、友人の属する陶芸グループ「創作陶芸 紅土会」の展示会(第6回 創展)@「町田市文化交流センター」を鑑賞しました。

      (大きくなりません)

 友人は、アマチュア陶芸家ながら、「町田市教育委員長賞」や「町田市長賞」など、輝かしい受賞歴のある才気煥発な女性です。毎年、彼女の“産みの苦しみ”と師の厳しい指導を垣間見ているだけに、彼女の力作にはより感銘を受けます。

 その後、会場の近くにある「勝楽寺」Wikipedia)の「釈迦堂」内にある「三橋國民 鎮魂祈念館」に足を伸ばし、彼女たちに「厳しい指導」をする師である、会の顧問の三橋國民(みつはし くにたみ)氏の作品を拝観しました。
 氏は、創作活動を通じ、ニューギニアの戦地に散った戦友の鎮魂をライフワークとしていて、96歳の現在でも幅広く現役活動を続ける意気軒高な造形美術家です。「勝楽寺」の総代でもあり、当寺も含め、寺院の壁画や天井画なども手がけています。また、TVにも数多く出演し、戦争体験を伝える活動をしています。

 自身の「近作素描集」とこちらのサイトに記載されている略歴を抜粋引用します。
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  1920年、東京都町田市に生まれる。
  太平洋戦争中、一兵士としてニューギニア島戦線に参加、敗戦時所属した高射砲独立中隊
  40人中2人の生き残りとして、重傷を負いつつも生還。
  帰国後、東京学芸大学名誉教授 海野建夫(ブログ管理人によるルビ:うんのたけお)に師事し、
  さまざまな美術表現技法(彫金・絵画・彫刻・石造・木工・鋳金・鍛造・鍛金・モザイク・
  書作・蝋型・印金・漆芸・陶芸・ガラス)を導入修得する。
  以来、70年間に亘り、生業の造形美術を通じて、南溟(なんめい)の土くれと化した僚友たちへの
  「鎮魂」をライフワークとし、著作・講演会・制作品展示を推進。
  日展内閣総理大臣賞など13の賞を受賞。文部科学大臣地域文化功労者・東京都文化功労者・
  町田市「名誉市民」。
  美術作品集に『南溟の友に』『忘れじのニューギニア』等。著書にニューギニアでの体験を綴った
  『鳥の詩 死の島からの生還』がある。
  NHK TV番組「三橋國民 鎮魂のかたち」、NHKラジオ深夜便「死の島 ニューギニアからの生還」、
  民放TV14回出演。
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 ※  ご参考までに…:
  「三つの名を生きた兵士たち ~台湾先住民“高砂族”の20世紀~」 (BSプレミアム)
    NHK「戦争証言 アーカイブス」より
  「遥かなるニューギニア・鎮魂60年」「NHKラジオ深夜便」 CDセレクション)   

 

 以下にコラージュ形式で紹介します(★これより下の画像をクリックすると、大きい画像が見られます。★撮影日は2016年10月13日です。)

  

 

 

 「勝楽寺」の「釈迦堂」の外観です。

     

 この「釈迦堂」は、法要施設・ギャラリー・納骨堂が入った複合施設で、その名称は三橋氏作の釈迦如来像(通称「潮音大仏」)壁画に由来しています。
 常設ギャラリー「三橋國民 鎮魂祈念館」には氏の作品が展示されており、作品の主題は太平洋戦争で散った兵士たちへの鎮魂です。また、各階の展示コーナーには、釈迦の十大弟子が一人一人描かれた墨絵が展示されています(↓の左下画像は4階展示の十大弟子尊像)。
 ↑の「定礎」の文字も氏によるものです。

 

 「釈迦堂」内の「潮音大仏」壁画。

      
        (撮影・ブログ掲載の許可を勝楽寺から得ています。)

 「潮音大仏」は建物の中央3階分(2~4階まで)の吹き抜けを貫く高さ9mの巨大壁画で、漆喰壁8枚にフレスコ画法で描かれています。氏が90代に入ってからの作品で、着工から完成まで2年かかったそうです。

 フレスコ画とは、くだんのサイトより引用すると、「生乾きの漆喰を壁に薄く塗り、それが乾燥しないうちに水で溶いた顔料で描く壁画技法です。壁が乾くにつれ、漆喰中の石灰水が蒸発し空気中の炭酸ガスと触れ半透明の被膜を作ります。こうした原理により接着剤の成分を含まない絵の具を壁面に定着させることが出来ます。」
 つまり、土台の漆喰がまだ生乾き="フレスコ(新鮮) "(英語のfresh)の状態で描く壁画技法で、「豊かな歴史性と高度な技術を要する古典技法」だそうです。

 「潮音」とは、goo辞書によると、
海の波の音。潮声。海潮音。
仏・菩薩 (ぼさつ) の広大な慈悲を大海の波音にたとえていう語。海潮音。
だそうです。

 壁画の足許に水が流れているのは、こうした理由によるのですね。また、三橋氏の生前からすでに決まっている戒名にも、「潮音」が使われているそうです。

 

 画像がなくて残念ですが、ロビー階のギャラリーに展示された鎮魂の作品にも心を打たれました。90歳を過ぎてもなおこれだけの創作活動ができるとは、本当に驚きです。異国で無為に散らざるを得なかった仲間への想いや、生き残ることができたことへの感謝の念や責任感などが、氏を長きにわたって駆り立てているということでしょうか…。
 三橋氏は私の亡き父の1つ年上…。私の父も中国戦線に参加し、700名の隊のうちわずか10名の生還者となった経験を持ち、仲間の鎮魂のために慰霊碑を現地に建てたり、大学教員の退官を待って、戦争体験記の執筆にとりかかったりしました。それが生き残った者の使命だといつも言っていました。表わした形は違えど、三橋氏と同じ想いだったのだと思います。
 亡くなった尊い命のためにも、三橋氏や私の父のような人のためにも、その想いを次世代につなげていかなくてはいけない…その想いを新たにしたのでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  

 

 こちらはおまけ…  


 町田の「薬師池公園」にある市制施行40周年記念モニュメント「自由民権の像」。これも三橋氏の制作。そうとはつゆ気づかず、3年前に撮っていた画像です(^_^;

 

 脱線ついでに…
 Wikipediaによると、「1964年4月5日、勝楽寺のすぐ近くに米軍機が墜落し多数の死傷者が出るという事故があった。この時には犠牲者は勝楽寺に安置され合同で通夜が営まれた。(町田米軍機墜落事故)」だそうです。

 


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