10.
その日の晩、夫は帰宅するや否や、珍しく自分から訊いてきた。「今日セカンドオピニオンを聞いてきたんだろう?」 その様子から、口には出さずとも、治療の方向が定まるのを彼も心待ちにしていたのだろうと私は悟った。
この3週間、何が一番辛かったかと言えば、自分の向かうべき方角が見えないことだった。セカンドオピニオンを経てようやく先が見えた途端、憑き物が落ちたように気分が楽になったことで、そのことを実感していた。夫とて、気持ちは同じだったのかもしれない。いや、むしろ、本人である私は主体的に動くことができたが、彼は見守ることしかできなかった分、私より先が見えにくく辛かったのかもしれない。―意地っ張りで、可愛いげがなくて、悪かったかな…―
夫にも子供たちにも、治療方針を決めたことを伝えた。このままN医科大学付属病院で治療を受けること、入院と手術の段取り、退院予定日を知らせ、留守を頼んだ。
留守中にそれぞれの実家から連絡があった場合は、不在理由をでっち上げてごまかし通すように頼んだ。「みんなで口裏を合わせておかないとだめだからね。よろしくね」と、母親にあるまじき願い事を子供たちに強要した。あくまでも親たちには隠し通すつもりだった。
手術日が息子の入学式と見事に重なっていたので、「お母さんがいなくても、別に問題ないでしょう?」と息子に訊くと、「まぁね。どうせ一人で行くつもりだったし…」との返事。入学を前にバラ色の日々を過ごしながらも、常に私の様子を気づかい、時折優しい言葉をかけてくれていた息子だった。最初の動揺ぶりを思い出すにつけ、彼も彼なりに事態に順応したのだろうと思う。
家事のかなりの部分を預けることになる娘には、予め労を労っておく。この3週間、息子とは対照的な態度で私に接してくれていた。優しい言葉がけなどない代わりに、頼んだ家事は黙々と、淡々と、着実にこなしてくれていた。内心では負担に思っているのかもしれないが、この際甘えさせてもらおうと思った。
懸案の夫の海外赴任はいまだ具体化せず、私の入院中はまだ日本にいられそうだった。私にとってはありがたいことだが、拍子抜けもいいところだ。あの2度の喧嘩と涙は一体なんのためだったのだろうと、半分恨めしくもあった。誰のせいでもないのだけれども…。
その日の晩、湯船の中で私はいつもより饒舌だった。N先生との対話を事細かに話して聞かせた。夫も安心して聞いているようだった。―もう大丈夫! もうメソメソしないからね…―
その日の晩、夫は帰宅するや否や、珍しく自分から訊いてきた。「今日セカンドオピニオンを聞いてきたんだろう?」 その様子から、口には出さずとも、治療の方向が定まるのを彼も心待ちにしていたのだろうと私は悟った。
この3週間、何が一番辛かったかと言えば、自分の向かうべき方角が見えないことだった。セカンドオピニオンを経てようやく先が見えた途端、憑き物が落ちたように気分が楽になったことで、そのことを実感していた。夫とて、気持ちは同じだったのかもしれない。いや、むしろ、本人である私は主体的に動くことができたが、彼は見守ることしかできなかった分、私より先が見えにくく辛かったのかもしれない。―意地っ張りで、可愛いげがなくて、悪かったかな…―
夫にも子供たちにも、治療方針を決めたことを伝えた。このままN医科大学付属病院で治療を受けること、入院と手術の段取り、退院予定日を知らせ、留守を頼んだ。
留守中にそれぞれの実家から連絡があった場合は、不在理由をでっち上げてごまかし通すように頼んだ。「みんなで口裏を合わせておかないとだめだからね。よろしくね」と、母親にあるまじき願い事を子供たちに強要した。あくまでも親たちには隠し通すつもりだった。
手術日が息子の入学式と見事に重なっていたので、「お母さんがいなくても、別に問題ないでしょう?」と息子に訊くと、「まぁね。どうせ一人で行くつもりだったし…」との返事。入学を前にバラ色の日々を過ごしながらも、常に私の様子を気づかい、時折優しい言葉をかけてくれていた息子だった。最初の動揺ぶりを思い出すにつけ、彼も彼なりに事態に順応したのだろうと思う。
家事のかなりの部分を預けることになる娘には、予め労を労っておく。この3週間、息子とは対照的な態度で私に接してくれていた。優しい言葉がけなどない代わりに、頼んだ家事は黙々と、淡々と、着実にこなしてくれていた。内心では負担に思っているのかもしれないが、この際甘えさせてもらおうと思った。
懸案の夫の海外赴任はいまだ具体化せず、私の入院中はまだ日本にいられそうだった。私にとってはありがたいことだが、拍子抜けもいいところだ。あの2度の喧嘩と涙は一体なんのためだったのだろうと、半分恨めしくもあった。誰のせいでもないのだけれども…。
その日の晩、湯船の中で私はいつもより饒舌だった。N先生との対話を事細かに話して聞かせた。夫も安心して聞いているようだった。―もう大丈夫! もうメソメソしないからね…―