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えつこのマンマダイアリー

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最近の新聞記事より ~「働き方改革」について~

2018年02月19日 | 雑記

 日本国民が平昌オリンピックに湧き、気を取られている一方で、国会では「働き方改革」関連の法案が論議を呼んでいます。これに関して、最近の新聞記事より2篇のコラムを紹介します。

 

 1つ目は、2018年2月11日付東京新聞朝刊の「時代を読む」欄に掲載された内山 節(たかし)氏のコラムです。

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 「『働き方改革』を問う」 内山 節(哲学者)

 18世紀から19世紀にかけてヨーロッパで産業革命がおこり資本主義が生まれていったとき、労働者の多くは、この新しい経済と労働のかたちに批判的だった。当時は長時間労働がまん延していた。
 だがその頃の労働者たちが書いたものを読むと、批判の軸になっていたのは低賃金や長時間労働ではなかったことがわかる。誇りをもてない労働、自分を一定時間の消耗にさらすだけの労働、監視されながら命令に従うだけの労働。そういう労働のあり方に対して、労働者たちは怒りをもっていたのである。
 それは当然であったのかもしれない。なぜなら資本主義が生まれる前の社会では、普通の人々は農民や職人、商人として働いている。いわば自営で仕事をし、一人一人が自分の仕事スタイルをもっていた。その仕事スタイルは、それぞれの考え方や自分がもっている技などからつくられてくるもので、人々は自分がつくりだす労働に誇りをもっていたのである。
 ところが資本主義の時代になると、安価に大量生産されてくる工場生産物によって、職人たちは仕事を奪われていった。仕事を失った職人は、工場で働くようになる。そして勤めるようになった企業で感じたものは、誇りをもてない労働、人間性を奪われた労働、働きがいのない労働だったのである。
 仕事帰りに1杯の酒が飲めることとの引き換えに、誇りのない、苦痛なだけの労働に従事しなければならないのか。当時の労働者たちは、そんなことを訴える文章をよく書いていた。

 現代の人々も同じようなことを感じているのかもしれない。社会のなかでは長時間労働がまん延し、格差社会のもとでの低賃金労働も構造化されている。だがそれ以上に問題なのは、誇りをもてない労働、働きがいのない労働の広がりである。
 自分の労働は、お金と引き換えにおこなう精神的、肉体的消耗にすぎないと感じている人もいるだろう。社会に役立っているのかどうかもわからないままに、ノルマや数字に追われる労働をしている。そんな感覚も今日の労働の世界には広がっている。
 現在の労働の問題点は、働きがいのない労働に長時間従事しなければならないことや、働きがいのない低賃金労働が広がっていることにあるといってもよい。逆に言えば労働のなかに誇りや楽しみ、働きがいを感じられる仕事なら、私たちは少々労働時間が延びても、その仕事をやり遂げようとするものである。もちろんあまりにも長い労働時間は、よいことではないのだが。

 現在語られている「働き方改革」に、疑問を感じる人はけっこう多い。その理由は、労働の質を問うていないからである。労働が働きがいのあるものになるためには、自分の仕事に社会的有用性が感じられ、労働の価値を認めてくれる職場や取引先、消費者などとの関係が重要なはずだ。とすればそれは、経済のあり方、企業のあり方の改革でなければならないはずなのである。そういう根本的な視点をもたずに残業時間を減らせと言っているだけなら、働く側にとっては、残業代が減るだけのことになってしまう。
 資本主義形成期の労働者たちは、働きがいがなくなった労働を問題にしていた。そして今日もなお、同じ問題が問われている。

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 2つ目は、2018年2月18日付東京新聞朝刊の「本音のコラム」欄に掲載された山口 二郎氏のコラムです。

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 「まやかしの政治」 山口 二郎(法政大教授)

 平昌オリンピックで最も恩恵を受けているのは、安倍晋三首相だろう。日本勢の活躍もあって、テレビのニュースはオリンピック関連の情報に大きな時間を割いている。そうなると、政治の動きに関するニュースはどうしても手薄になる。

 オリンピックの陰で、日本の国会ではとんでもないことが次々と起こっている政府は「働き方改革」の柱として裁量労働制の拡大を内容とする法改正を準備している。
 それを正当化するための根拠として、裁量労働制の下で働く人の方が、始業・終業時間を定めた働き方をするよりも労働時間が短いと安倍首相が述べた
 研究者が不審に思い、野党が国会で追及した結果、そのようなデータは存在しないことが明らかとなり、首相は答弁の撤回に追い込まれた
 オリンピックがなければこれは新聞各紙一面に載る大ニュースである。この通常国会の最大目玉法案について、首相が架空の数字を使って売り込みを図ったのである。

 朝日新聞の捏造(ねつぞう)はけしからんと国会審議で攻撃を加えた安倍首相は、自分自身の捏造についてどう責任を取るのだろうか。答弁資料を用意した役人が悪いと言い逃れをするのかもしれないが、捏造に踊らされた政治指導者は、悪意はなくても、愚かである働き方改革については、一度出直すべきである。

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 (※両コラムとも、段落のブロック分けと文中の太字化は、ブログ管理人によります。)

 

 安倍首相の国会答弁の撤回を受け、首相が根拠とした資料を作成した厚労省も、本日19日、不適切なデータ比較・分析だったと誤りを認め、謝罪しましたね。これら一連の事件を、どれほどの国民が重大と受け止めているのか、まやかしに気づいているのか…次の世論調査に表われることでしょう。

 話が飛びますが、フランクフルトにいる娘たちは、オリンピックをほとんど観ていないそうです。それは、TVのチャンネル数が異常に多いのと新聞を取っていないがために、どのチャンネルでオリンピックが観られるのかを彼らが把握していないことに起因するようですが、少なくとも婿の職場でも、今年開催のサッカーワールドカップが話題に上りこそすれ、オリンピックの話題はほとんど出ないのだそうです。現在ドイツのメダル獲得数が上から2番目であるにも拘わらず…です。
 かく申す私…オリンピックを観ていないかといえば、全くそんなことはなく、むしろ日々楽しみ、励まされ、癒されております(^^; 相撲と格闘技以外はスポーツ観戦が好きですし、特にフィギュアスケートに関する番組はすべて録画した上でじっくり観ますし、息子に影響されてサッカーの試合もかなり観ております。
 オリンピック競技も残すところ1週間足らずとなりました。政治にも目を光らせながら、最後まで楽しみたいと思う&別途オリンピックについての雑感を記事にしたいと考えているtakuetsu@管理人でした。

 

 最後までご高覧くださり、ありがとうございましたm(__)m

 


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