えつこのマンマダイアリー

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夏の平和行事2017 ~東京新聞に載りました~

2017年08月21日 | 雑記

 こちらの過去記事で紹介した「稲城 平和を語り継ぐ三世代の会」主催の夏の行事が無事終わりました。

 

 

 2017年8月20日付の東京新聞朝刊の多摩版で、19日に開いた集い(トップ画像(↑))について紹介してもらいました。その記事を引用します。 

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 歌に込められた不戦の願い
     「平和百人一首」テーマに稲城で集い

 終戦後、新憲法制定を記念して全国から募った「平和百人一首」について語る集いが19日、稲城市内で開かれた。これらの歌を紹介する書籍の編者大竹桂子さん(80)=武蔵野市=が、歌に込められた不戦の願いを伝えた。(栗原 淳)

 平和百人一首は憲法施行翌年の1948年、民間団体「平和の鐘楼建立会」が「平和思想普及のため」として公募。全国から約2万3千首の応募があり、入選した全百首を編さんした本が49年2月に刊行された。大竹さんの夫の祖母が入選作の作者で、「現代に歌をよみがえらせたい」と2008年に「百のうた 千の想い(おもい)てらいんく刊)として再編した。
 この日の集いは市民団体「稲城 平和を語り継ぐ三世代の会」が主催し、約20人が集まった。地元の朗読愛好グループによる朗読もあった。
     夢にさへ恋やまざりし青畳 ただうれしくて足伸ばしけり
 大竹さんが、心に残る一首として紹介した歌だ。
 「青畳」などの言葉からさわやかな印象を受けるが、作者は手記で、南方戦線で戦友が「不忠の臣でもいい、畳の上で死にたい」と言い残して餓死したことを明かしている。大竹さんは「想像を絶する戦場の悲惨さ」が裏に詠みこまれていると解説した。
 さらに「戦争の恐ろしさ、平和への願いはいつまでも庶民の心にある。平和憲法を守るため、平和百人一首の真意をこれからも伝えたい」と話した。

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 この集いに先立って開いた『百のうた 千の想い(おもい) ~甦る平和百人一首の原画展で、会場を訪れた方々に、心に残った歌を選んでもらいました。獲得数の多かった歌を紹介します(過去記事のあるものはリンクしています)。

  「かへり来ぬ人のいのちの恋ひしきに なほ祈らるるいくさなき世を」
  「内海の島のいくつも行くふねも みなむらさきに匂ふしづけさ」
  「新なる国興さむと二千尺 坑底深く鶴嘴ふるふ」
  「焼け果てし街に環へりて大工我れ まごころ込めて握るのみかも」
  「みどりよりみどりに暮るるわが家は 草ぶきなれど心やすけし」
  「さむざむと舗道に孤児の佇つ見れば ふたたびかかるいくさなからしめ」
  「還り来し父に抱かれ眠る子の やすけきみれば思ふことなし」
  「わが明日の命なりけりみどり児に 頬おしあてて憂は思はず」
  「幾千万のいのちやすらぎおほらかに 新憲法は史をかぎるなり」
  「地の上に永遠の平和祈るかな 戦に病みし命生きつつ」
  「新しき日を迎いたりいまさらに 世界につづく海のひろさよ」
  「ふたたびはくりかえさじと悔深く 軍事法廷の記事を読みつぐ」
  「雪原は早春のひかりにかがやきて 見わたす限り動くものなし」
  「兵となる事しあらねばすこやけく 吾子育てつつ安けし母は」

  なお、このブログで連載開始から4年7ヶ月の間に載せてきた95首について(オリジナルの歌に解説があるものはその解説も)は、ブログ左帯にある「平和百人一首」ジャンルで読むことができます。

 

                                        

 

 毎年、展示会や集いを通じていろいろな出会いがありますが、この記事の書き手である栗原氏とも不思議なご縁があることがわかりました。お子さんが、私や妹の子どもたちの小学校の後輩であったり、ご本人が、私の高校の同級生と同じ職場(社会部)にいて、顔見知りであったり…。回を重ねるごとにこうしたご縁が積み重なっていく喜びを感じます(#^.^#)v

 


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