「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

武士道の言葉 その34 大東亜戦争・アジア解放 その3

2015-06-08 23:21:17 | 【連載】武士道の言葉
「武士道の言葉」第三十四回 大東亜戦争・アジア解放 その3(『祖国と青年』27年5月号掲載) ベトナム独立を支援し続けた日本人実業家 大南公司はベトナム人のための企業であり、その利益はベトナムの独立運動の為に使う(大南公司創設者松下光廣の言葉)  十六世紀後半から十七世紀にかけて東南アジアには多くの日本人が進出し、マニラに約三千人、タイには山田長政を始め約千五百人が住んで日本人町を形成し、ベト . . . 本文を読む

武士道の言葉 その33 大東亜戦争の武士道・アジア解放その2

2015-04-06 21:38:05 | 【連載】武士道の言葉
「武士道の言葉」第三十三回 大東亜戦争・アジア解放 その2(『祖国と青年』27年4月号掲載) 混乱する中国に平穏な状態をもたらし、アジアの安定ひいては世界平和を実現する 期する所は、中國を保全、而て東亞久安の策を定め、宇内永和の計を立つるに在り(東亜同文書院「興學要旨」)  日本はアジアの東端に位置している。それ故、アジアの安定と平和は、わが国が生存して行く為にも無視する事の出来ない重要な課 . . . 本文を読む

武士道の言葉 その32 大東亜戦争の武士道・アジア解放その1

2015-04-03 11:14:09 | 【連載】武士道の言葉
「武士道の言葉」第三十二回  大東亜戦争・アジア解放 その1(『祖国と青年』27年3月号掲載) 世界中をわが家族と為して、平和に導かん 往け八紘を宇となし、四海の人を導きて 正しき平和打ち立てむ(「愛国行進曲」)  大東亜戦争は自存自衛の為に、已むを得ずして起ち上がった防衛戦争だが、戦士たちの多くは、敵国である米英のアジア支配を打ち破り、アジアを今こそ解放できる好機との強い使命感を抱いていた。 . . . 本文を読む

武士道の言葉 その31 佐々友房

2015-02-08 15:06:33 | 【連載】武士道の言葉
「武士道の言葉」第三十一回  佐々友房 (『祖国と青年』27年2月号掲載) 二十歳で郷土を興し、三十歳で国を興し、四十歳五十歳で天下を興して、六十歳七十歳の時には世界に及ぼして行く 吾れ年二十にて能く郷を興し、三十にて能く国を興し、四十五十にて能く天下を興さんと欲す。而して六十七十年にて宇内に及ぼさん。 (吾年二十能興郷、三十能興国、四十五十欲能興天下、而六十七十年及宇内也。)(『克堂佐々先 . . . 本文を読む

「武士道の言葉」その30 「頭山満」その2

2014-12-28 13:49:41 | 【連載】武士道の言葉
「武士道の言葉」第三十回 頭山 満 その二 (『祖国と青年』27年1月号掲載) 若い時は個性が強すぎる位で丁度良い 青年には圭角がなければならぬ。                     (「青年に訓ふ」)  玄洋社は、筑前(福岡)の地で有為なる青年を育て、東京には頭山満等が居て政治に睨みを利かせていた。青年の精神を育み人材を生み出す場が福岡であり、その精神を国家に役立てて行く実践の場が東京だ . . . 本文を読む

武士道の言葉 その29 「頭山満」その1

2014-12-23 16:11:16 | 【連載】武士道の言葉
「武士道の言葉」第二十九回  頭山 満 その一(『祖国と青年』平成26年12月号掲載) 日本人全てを武士の様に 民権を固守して、日本人民をすべて確りとした武士にしたいと云うのが、おのれどもの志だった                                         (晩年・『玄洋社憲則』について)  明治の日本人は、日本の独立だけでなく西欧列強に抑圧されているアジア諸国の解放を真 . . . 本文を読む

武士道の言葉 その28 「河原操子」その2

2014-11-10 11:43:35 | 【連載】武士道の言葉
河原操子 その二 (『祖国と青年』平成26年11月号掲載) 天命と信じて日支親善に尽さん この重任を天の使命と信じて、あらん限りの力を尽すべき(蒙古土産)  十二月二十一日、河原操子はカラチン王府に到着した。翌日操子は王妃に会って、女学校設立の具体的な構想を語った。王妃は約一ヶ月余の準備期間での開校を勧めたが、操子は「時日を先延ばししている内に様々な困難が生じて私の任務遂行が難しくなる事も . . . 本文を読む

武士道の言葉 その27 「河原操子」その1

2014-10-17 08:48:53 | 【連載】武士道の言葉
河原操子 その一(『祖国と青年』平成26年10月号掲載) 万一の時は、国家の為に身を捧げたものと思って下さい。 万一の事これあり候節は、女なれども国家の為に身を捧げたるものと思召下され度候。(『蒙古土産』)  日露戦争の直前、内蒙古のカラチン王家から招かれて、たった一人で現地に赴き女子教育に尽力すると共に、日露戦争に際して、日本軍の諜報活動や対露秘密作戦を支援した若き日本人女性が居た。   . . . 本文を読む

武士道の言葉 その26 「山川健次郎」その2

2014-09-11 08:47:39 | 【連載】武士道の言葉
山川健次郎 その二 (『祖国と青年』26年9月号掲載) 総選挙の投票「権」は、投票「剣」であり、世の中を正す為に使おう 我等はこの投票剣を抜いて正しく行使する事により、破邪顕正の実を挙げなければならぬ。 (「総選挙に際し教化運動関係者諸君の奮起を望む」昭和5年)  東京帝大を大正九年に退職した山川健次郎は、それ以降積極的に国民教化活動の為に全国を行脚している。 大正十二年十一月「国民精神作 . . . 本文を読む

武士道の言葉 その25 「山川健次郎」その1

2014-08-17 21:14:00 | 【連載】武士道の言葉
山川健次郎 その一 (『祖国と青年』平成26年8月号掲載) 文武両道の双璧乃木大将と山川総長 「フロックコートを着た乃木将軍」 (『男爵山川先生傳』)  会津白虎隊出身の山川健次郎は、十七歳でアメリカに留学、エール大学で物理学を学び、日本人として初めて学位を取得した。帰国後は、東京大学教授、理学博士となり、わが国の物理化学の発展に寄与する。巷間で話題となっている理化学研究所の創設(大正六年 . . . 本文を読む