「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

武士道の言葉 その26 「山川健次郎」その2

2014-09-11 08:47:39 | 【連載】武士道の言葉
山川健次郎 その二 (『祖国と青年』26年9月号掲載)

総選挙の投票「権」は、投票「剣」であり、世の中を正す為に使おう

我等はこの投票剣を抜いて正しく行使する事により、破邪顕正の実を挙げなければならぬ。
(「総選挙に際し教化運動関係者諸君の奮起を望む」昭和5年)

 東京帝大を大正九年に退職した山川健次郎は、それ以降積極的に国民教化活動の為に全国を行脚している。

大正十二年十一月「国民精神作興に関する詔書」が渙発された。大正天皇は、浮華放縦・軽佻詭激の風を憂えられ、質実剛健・醇厚中正の人倫を明らかにする事を仰せになられていた。その大御心を受けて、各教化団体は共同一致すべく、中央教化団体聯合会を翌年一月に発足させた。山川は顧問に就任し、更に翌年、一木喜徳郎会長の宮内大臣就任に伴い、後任を懇願され会長となった。七十二歳の時である。

爾来、以前にも増して全国を行脚し、日本精神の作興を訴えて回っている。講演テーマは「徳育に就いて」「忠君愛国」「乃木将軍の心事」「大和民族の使命」「共産主義者につき」「武士道」などである。山川は地方出張すれば、必ず当地の最も高い社格の神社に正式参拝している。敬神愛国を、身を以て実践し続けた。

 山川は、昭和五年の総選挙に際し、教化関係者に呼びかけた。

「今日天皇の政治に参与する権義を与えられているものは、いわば昔日の武士に均しい。即ち参政権を有する我等公民は、佩刀に代えるに投票権を持っている。権は恰も剣に通じ、一票は即ち一剣であるから、我等はこの投票剣を抜いて正しく行使する事により、破邪顕正の実を挙げなければならぬ。されば我々の有する投票権には、我が君国を護り、育て行くべき大和魂が宿る。即ち護国の魂は国民大衆の投票権に宿るのである。さうして総選挙はこの魂を発揮し、赤誠を以て君意に答へ、穢れたる大地を清め、国政浄化の大事を行うべき絶好の機会である。」と。

 「投票権」は「投票剣」であると称した山川の例えの中に、昭和時代になっても頑なに武士道を貫き通している老武士の姿を窺う事が出来る。




武士道を構成する八つの徳目

斯の如く武士道といふものは忠・孝・勇・義・礼・信・恕・清といふやうな八つの徳目を強調しまして、立つて居つたのであります。
(「武士道に就いて」昭和4年12月28日)

 山川は国民精神興隆行脚の講演では、何度も「武士道」に触れている。

 大正十五年の講演の内容を紹介しよう。

「私の知って居る武士道と云うものは、そんな難しい理屈は言わぬ。極簡単なもので、唯単簡な或る徳目を挙げて、そうして之を実行せよと云うことが、私の申上げる武士道である。何も難しい理屈はございませぬ。」と。そして六つの徳目と、それを完全に実行する為の「勇気の涵養」とを述べている。

六つの徳目とは次のものである。

第一 忠君 → 愛国・統一(共同一致)・遵法

第二 孝行 → 祖先を大切・家名を汚さぬ・親属を相忘れない・兄弟に友・夫婦相和す

第三 皎潔(金銭・名誉或は脅迫等の為めに、自分の主義・主張を枉げない。何処までも自分の信ずる所に従って進む) → 慎み・報恩

第四 信義(一旦口外したことは必ず行う) → 責任

第五 忠恕(思い遣り) → 武士の情・弱を助け強を挫く・老幼婦女を憐れむ・博愛礼儀

第六 礼儀 → 国の秩序維持・言葉を崩さない

更に、次の様に述べる。

「此の六ツの徳目を完全に行う為には、勇気がなければならぬ。それから常に心掛けて宜しく勇気を養うべしということは、武士道に於て大切なこととされて居るのであります。」(「武士道」大正15年3月21日)

 昭和四年十二月二十八日に行われた「武士道に就いて」の中では、「斯の如く武士道というものは忠・孝・勇・義・礼・信・恕・清というような八つの徳目を強調しまして、立って居ったのであります。」と述べている。

時代によって徳目の数は違うが、内容は全く同じである。

特に皎潔=清を徳目の一つに掲げている所に山川武士道の特徴がある。高潔なる生涯を貫いている人物だけが掲げる事の出来る徳目である。更には徳目実践の為の勇気の涵養が別に述べられ強調されている。

幕末期の吉田松陰先生も「勇は義によりて行われ、勇は義によりて長ず」(士規七則)と述べられている様に、正義実践の裏づけこそが勇気であり、丈夫の資格は勇気の有無にあると言っても過言ではないであろう。
 



災害よりも恐るべきは国民精神の頽廃である

心せよ。災害は恐しい、だがそれよりも更に怖るべきものは国民精神の頽廃であり、民心の弛緩である。(「あゝ記憶すべき九月一日」昭和4年9月1日)

 大正十二年九月一日に起った関東大震災は、物質文明と大正デモクラシーを謳歌する人々の心に深刻な反省を迫るものであった。

中央教化団体聯合会発足の契機となった「国民精神作興に関する詔書」は大震災直後の十一月十日に出されている。山川は大震災から六年後の昭和四年九月一日、「あゝ記憶すべき九月一日」と題する文章を認めている。

それには、一、あゝ思ひ起す九月一日! 二、恐るべきは平素の不用意 三、大覚醒を要す 四、如何にして我等の将来を建設すべきか 五、現在及び将来の問題 六、一致協力して難局を打開せよ との中見出しが記されてある。

山川は震災から六年しか経っていないのに国民が早くも当時の苦難を忘れて奢侈と安楽に耽る様を歎き、往時を回顧して大震災では地震そのものよりも火災の被害が大きかった事、それは国民の非常時に対する訓練が十分でなかった為に地震で驚愕狼狽して七輪の火やガス栓を開いたまま、街に飛び出してしまった事、西洋家屋では窓を開けっぱなしにしていた事が火を呼び起こした事、更には水源地からの水が堤防の決壊や鉄管の破裂で止まってしまった事などを記し、防火の観点からでさえ様々な欠陥が見出されると共に、個々の家屋・公共の建築、道路、橋梁、通信運輸、被服食糧の貯蔵に於て統制・責任ある用意に欠けており「精神的用意としての非常時に於ける共同救済に対する鍛錬も、思慮分別の働かせ方」も不十分だった事、を述べている。

そしてこれらの一切の準備が社会全体として完成されねばならないことを訴え、その基礎としての各自の精神的覚醒・精神的教養の必要性を述べている。

山川は言う。

「われ等は年々この九月一日を向うる毎に、冷静に、真剣に、同時にまた熱意を以てわれ等の使命を完うするに全努力を捧げなくてはならぬ。(略)われ等はこの記憶すべき日にあたって、重ねて声高らかに諸君に呼びかける。

心せよ。

 災害は恐しい、だがそれよりも更に怖るべきものは国民精神の頽廃であり、民心の弛緩である。

起てよ国民!!進んで難局と戦え!省りみて不断に備えよ! 」

 東日本大震災から三年半、我々にとっても肝に銘ずべき言葉である。






共産主義は科学などでは全くない

マルクス主義を科学であるなどと云ふのは、甚だ間違つたことである。
(明治専門学校「第十八回卒業式に於ける講演」昭和5年3月9日)

 大正十一年七月、ソビエト連邦の世界革命運動の機関であるコミンテルンの日本支部として、ソ連の資金によって日本共産党が結成された。

日本共産党は天皇制打倒を公然と掲げ、わが国の国体に真っ向から叛旗を翻したのである。共産主義の理論であるマルクス主義は史的唯物論・科学的社会主義を標榜してインテリ層に浸透して行った。

 世界を知り、わが国初の理学博士である山川には共産主義のいかがわしさが見えていた。山川は言う。

「共産党の本尊たるマルクス主義は、サイエンス即ち科学であるから真理であるなどと云って居る人もある様だが、是は大なる間違である。一体科学と云うものは、或る争う可からざる真理が基礎となって、此の基礎から厳密な論理で築き上げられた学問を云う。(略)然るにマルクス主義の土台はと云うに、争う可からざる真理でなく、唯物史観・余剰価値論・階級闘争論の如きマルクス主義の土台は間違って居ると論じて居る学者が少なくない。即ちマルクス主義の土台は争う可からざる真理でない。故に、マルクス主義を科学であるなどと云うのは、甚だ間違ったことである。」と。

 更に共産主義者の運動に警鐘を鳴らす。共産主義者は二つの武器を活用している。それは「一ツは宣伝である。自分達の立場を甘く説明して真理でもあるかの様に説いて、未だ素養の充分ならん人を迷わして己が味方に引き入れる。宣伝には彼等は非常に力を入れて居る様に聞き及んで居る。モ一ツの武器は協同一致である。彼等は彼等の共通の敵である国家主義者の敵であるなら、誰でも是に協同することを憚らん。」と。

そして山川は訴える。「此の時に当り正義の士は砲より強き舌、剣より鋭き筆を使用して、之を撃ち、鏖戦して孑遺あらざらしむ可し。」と。

 今尚、共産党は党勢拡大の為に集団的自衛権や九条の会を利用して、悪辣なる宣伝戦と共同戦線構築に力を入れている。憲法を巡る言論戦は、イデオロギーに基づく彼等の虚偽宣伝に対し、歴史と世界の現実を直視して日本の未来を切り拓くのか、日本人の知性が試されている戦いに他ならない。

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