国民運動を志す吾々には、常に新しい価値を運動の中に付与し積み重ねていく責務が課せられてゐる。国民運動とは、無から有を生み出す戦ひであり、創造していく戦ひなのである。 . . . 本文を読む
明治時代の基督(きりすと)教指導者達にとつて、日本人としての誇りを抱き国を愛する事と、基督者として生きる事には矛盾は無かつた。その代表的な人物が内村鑑三である。内村は、大正四年七月十日刊の『聖書之研究』の中で、「我が信仰の友」と題して源信 . . . 本文を読む
皇室典範改正問題は、地方に住む多くの勤皇の人々の意識を喚起しつつある。熊本では、二月十八日に皇室の伝統を守る県民集会が開催され約八百名が集まつた。土曜夜の集会であつたが、女性の方も多く . . . 本文を読む
皇室典範に関する有識者会議の答申の中に流れる思想は、ただ単に皇室が続けばその中身は問ふ所では無いとの考へ方である。ある委員は次のやうに放言したといふ。「皇室がなくなっても日本はどうにもなりはしない。 . . . 本文を読む
年頭に天皇皇后両陛下のサイパン行幸啓時の御製・御歌が発表された。その直後の一月三日から六日にかけて、日本会議熊本ではサイパン・テニアン戦跡慰霊巡拝を行なつた。現地の新聞でも連日、 . . . 本文を読む
十一月二十七日、日本海海戦勝利百周年の日から丁度半年が経つたこの日、私の父が息を引き取つた。八十二年の生涯だつた。熊本師範学校から昭和十九年九月に学徒出陣、第十五期海軍飛行予備学生として土浦航空隊に入営 . . . 本文を読む
十月二十一日午後三時、熊本市の辛島公園に防衛協力諸団体及び日本会議の有志合はせて約七〇〇名が集ひ、熊本に本部を置く第8師団(熊本・鹿児島・宮崎)から派遣される「第8次イラク人道復興支援群」の『派遣壮行旗パレード』を行つた。その出発式で私は . . . 本文を読む
今年五月に熊本日日新聞で、憲法九条に対する私のインタヴュー記事が掲載された事が契機となり、熊本県弁護士会から同会主催の「憲法問題シンポジウム」のパネリストとしての登壇依頼があつた。 . . . 本文を読む
「戦没の父にとどけよこのおもい!
戦後60年父の生きた『とし』を私は倍も生きました。たった一人、ひとつぶの私も子3人孫3人にめぐまれ、本日こうして父のことばかりを思って泣くことが供養だと。つくづく感謝いたします。」
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