「日本の誇り」復活―その戦ひと精神(八)
有識者会議に甦る「八・一五革命説」の亡霊
皇室典範に関する有識者会議の答申の中に流れる思想は、ただ単に皇室が続けばその中身は問ふ所では無いとの考へ方である。ある委員は次のやうに放言したといふ。「皇室がなくなっても日本はどうにもなりはしない。戦争が終わって日本は百八十度まるっきり変わったんです。皇統の維持は文化財保存の問題と同じで、政治の問題ではありません。」(小堀桂一郎他著『「女系天皇論」の大罪』で八木秀次氏が紹介、『週刊文春』平成十七年十二月八日号に掲載されてゐたとの事)
宮中祭祀の厳守やご公務に対する尋常ならざるご努力など天皇皇后両陛下及びご皇族の方々のお姿の一端を伺ふものにとつて、皇室を「文化財」よばはりするこの委員の発言は例え無知がなせる業とは言へ、怒髪天を突く許すまじき暴言である。この程度の者を「有識者」と崇める小泉首相の見識のなさには呆れてものが言へない。
更に私は、この発言を読んで、敗戦占領下に東京大学宮沢俊義教授が提唱した「八・一五革命説」が今や日本の「有識者」と言はれる人々にまで深く浸透してゐる事に唖然とさせられた。この「八・一五革命」説はポツダム宣言受諾により、国民の自由に表明せる意思によつて日本の政府を選ぶ事が出来る様になつた訳だから、日本の国体は根本から革命的に変はつたとする説である。国体を護持せんと死力を尽くして戦ひ抜き、終戦の大詔の「朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ」との御言葉に安堵して矛を収めた大多数の国民にとつては、到底受け入れられない異端学説だつた。それが占領政策の庇護下に徐々に東大を始めとする教育界を汚染し広がつて来たのである。
有識者会議の議論を率ゐた園部逸夫著『皇室法概論』によれば、日本国憲法第二条に規定された「世襲」による継承を巡つて二つの見方があるといふ。「歴史的・伝統的存在である『天皇』の地位のこれまでの継承の在り方を基に定めた確認的な規定」と見る見方と「憲法第一条で創設的にあるいは確認的に『象徴』という地位に置かれた天皇の地位の継承の仕方として、新たに創設的に定められた規定」と見る見方があるといふ。勿論吾々は、前者の立場をとるが有識者会議は後者の立場を取つた。だからロボット学者の吉川弘行座長は「吾々が新しい皇室を設計する」との妄言を平然と述べたのである。反天皇の憲法学者横田耕一(元九州大学教授・私も受講した事がある)によると憲法学会には「連続説(戦前も戦後も天皇といふ存在は連続してゐる)」と「断絶説(名は同じでも別物)」があり、断絶説を採る場合は「(皇室の)伝統といふのは基本的に考慮する必要はない」と言ふ。連続説の立場を取るものが男系維持派であり、断絶説の立場を取るのが女系容認派である。
戦後の象徴天皇を巡つては、天皇は「象徴であらせられる」と捉へるのか「象徴でしかない」と捉へるのかによつて根本的な対立が生まれてくる。これまで日本青年協議会が推進してきた元号法制定・公的行事としての大嘗祭の実現・国旗国歌法制定等は全て、「象徴天皇でしかない」として天皇を国民から切り離す反天皇勢力に対し、「天皇は象徴であらせられる」という立場による「日本国体」回復の戦ひであつた。
しかし、本来既にこの問題は昭和四十一年の「建国記念の日」制定時に決着が着いてゐる問題なのである。「建国記念の日」として自民党は二月十一日を(『日本書紀』の神武建国伝承に基づく)、民社党は四月三日を(聖徳太子十七条憲法制定日)、社会党は五月三日(日本国憲法施行日)を、公明党は四月二十八日(講和独立の日)をそれぞれ主張した(共産党は「真の建国は将来人民が戦い取るべきもの」との立場)。圧倒的大多数の国民は自民党の神武建国由来を支持した。日本国は戦後数十年程度の国家ではなく、神武建国以来二千数百年の歴史に由来する国家である事が確認されたのである。
だが「八・一五革命説」は消滅する事なく日本の連続性を断ち切らんとして幾度も表れて来るのである。
秋篠宮妃ご懐妊によつて、小泉首相による伝統無視の拙速なる皇室典範改正は凍結され、この問題は次の首相の手に委ねられる事となつた。一月下旬に伊勢の地に集まり拙速なる改悪の断固阻止を胸に誓つた日本協議会の同志にとつて、ご懐妊の報は神風であると共に、先延ばしされた決戦に対しての戦線の再構築・強化の為の用意の時に他ならない。昨春の結成大会から一年に満たない中で生起したこの皇室典範改正問題は、日本協議会が真に日本を支えうる「幹」たる事が出来るかどうかの試金石である。日本の神々は日本を支えうる力量の有無を吾々に問はれてゐるのである。
九州では、既に昨年十二月十六日に日本会議九州ブロック専従者会議を緊急で開催、①国会議員への働きかけ、②3月県議会での意見書提出対策、③県民統一戦線の構築による阻止のための県民集会の開催、を決定した。私が理事長を拝命する日本会議熊本では、この問題を憂慮される多くの方々のご協力により、四回に及ぶ国会議員への陳情、地元紙熊本日日新聞朝刊(38万部)への5段の意見広告(2月15日)、県議会議員の学習会・3月県議会での意見書提出対策、全国に先駆けての県民集会(2月18日・八百名参加)の開催など次々と対策を講じてゐる。その中でご皇室防衛の県民統一戦線は確実に構築されつつある。今回の問題は戦後教育の欠陥に起因しており、ご皇室の真実を伝へる為の大々的な啓蒙活動に取り組むと共に、夏や秋にも講演会や集会を開催し、更には平成二十一年のご即位二十年奉祝を展望して行きたいと考えてゐる。戦後の皇室無視の教育が瀰漫する中にあつて、皇室の正しい伝統を護持せんと志す吾らが任務は重い。幕末越前の国学者橘曙覧の次の歌を心に刻み付けて戦ひ抜きたい。
大皇(おほきみ)の醜(しこ)の御盾(みたて)といふ物は如(か)此(か)る物ぞと進め真前(まさき)に
有識者会議に甦る「八・一五革命説」の亡霊
皇室典範に関する有識者会議の答申の中に流れる思想は、ただ単に皇室が続けばその中身は問ふ所では無いとの考へ方である。ある委員は次のやうに放言したといふ。「皇室がなくなっても日本はどうにもなりはしない。戦争が終わって日本は百八十度まるっきり変わったんです。皇統の維持は文化財保存の問題と同じで、政治の問題ではありません。」(小堀桂一郎他著『「女系天皇論」の大罪』で八木秀次氏が紹介、『週刊文春』平成十七年十二月八日号に掲載されてゐたとの事)
宮中祭祀の厳守やご公務に対する尋常ならざるご努力など天皇皇后両陛下及びご皇族の方々のお姿の一端を伺ふものにとつて、皇室を「文化財」よばはりするこの委員の発言は例え無知がなせる業とは言へ、怒髪天を突く許すまじき暴言である。この程度の者を「有識者」と崇める小泉首相の見識のなさには呆れてものが言へない。
更に私は、この発言を読んで、敗戦占領下に東京大学宮沢俊義教授が提唱した「八・一五革命説」が今や日本の「有識者」と言はれる人々にまで深く浸透してゐる事に唖然とさせられた。この「八・一五革命」説はポツダム宣言受諾により、国民の自由に表明せる意思によつて日本の政府を選ぶ事が出来る様になつた訳だから、日本の国体は根本から革命的に変はつたとする説である。国体を護持せんと死力を尽くして戦ひ抜き、終戦の大詔の「朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ」との御言葉に安堵して矛を収めた大多数の国民にとつては、到底受け入れられない異端学説だつた。それが占領政策の庇護下に徐々に東大を始めとする教育界を汚染し広がつて来たのである。
有識者会議の議論を率ゐた園部逸夫著『皇室法概論』によれば、日本国憲法第二条に規定された「世襲」による継承を巡つて二つの見方があるといふ。「歴史的・伝統的存在である『天皇』の地位のこれまでの継承の在り方を基に定めた確認的な規定」と見る見方と「憲法第一条で創設的にあるいは確認的に『象徴』という地位に置かれた天皇の地位の継承の仕方として、新たに創設的に定められた規定」と見る見方があるといふ。勿論吾々は、前者の立場をとるが有識者会議は後者の立場を取つた。だからロボット学者の吉川弘行座長は「吾々が新しい皇室を設計する」との妄言を平然と述べたのである。反天皇の憲法学者横田耕一(元九州大学教授・私も受講した事がある)によると憲法学会には「連続説(戦前も戦後も天皇といふ存在は連続してゐる)」と「断絶説(名は同じでも別物)」があり、断絶説を採る場合は「(皇室の)伝統といふのは基本的に考慮する必要はない」と言ふ。連続説の立場を取るものが男系維持派であり、断絶説の立場を取るのが女系容認派である。
戦後の象徴天皇を巡つては、天皇は「象徴であらせられる」と捉へるのか「象徴でしかない」と捉へるのかによつて根本的な対立が生まれてくる。これまで日本青年協議会が推進してきた元号法制定・公的行事としての大嘗祭の実現・国旗国歌法制定等は全て、「象徴天皇でしかない」として天皇を国民から切り離す反天皇勢力に対し、「天皇は象徴であらせられる」という立場による「日本国体」回復の戦ひであつた。
しかし、本来既にこの問題は昭和四十一年の「建国記念の日」制定時に決着が着いてゐる問題なのである。「建国記念の日」として自民党は二月十一日を(『日本書紀』の神武建国伝承に基づく)、民社党は四月三日を(聖徳太子十七条憲法制定日)、社会党は五月三日(日本国憲法施行日)を、公明党は四月二十八日(講和独立の日)をそれぞれ主張した(共産党は「真の建国は将来人民が戦い取るべきもの」との立場)。圧倒的大多数の国民は自民党の神武建国由来を支持した。日本国は戦後数十年程度の国家ではなく、神武建国以来二千数百年の歴史に由来する国家である事が確認されたのである。
だが「八・一五革命説」は消滅する事なく日本の連続性を断ち切らんとして幾度も表れて来るのである。
秋篠宮妃ご懐妊によつて、小泉首相による伝統無視の拙速なる皇室典範改正は凍結され、この問題は次の首相の手に委ねられる事となつた。一月下旬に伊勢の地に集まり拙速なる改悪の断固阻止を胸に誓つた日本協議会の同志にとつて、ご懐妊の報は神風であると共に、先延ばしされた決戦に対しての戦線の再構築・強化の為の用意の時に他ならない。昨春の結成大会から一年に満たない中で生起したこの皇室典範改正問題は、日本協議会が真に日本を支えうる「幹」たる事が出来るかどうかの試金石である。日本の神々は日本を支えうる力量の有無を吾々に問はれてゐるのである。
九州では、既に昨年十二月十六日に日本会議九州ブロック専従者会議を緊急で開催、①国会議員への働きかけ、②3月県議会での意見書提出対策、③県民統一戦線の構築による阻止のための県民集会の開催、を決定した。私が理事長を拝命する日本会議熊本では、この問題を憂慮される多くの方々のご協力により、四回に及ぶ国会議員への陳情、地元紙熊本日日新聞朝刊(38万部)への5段の意見広告(2月15日)、県議会議員の学習会・3月県議会での意見書提出対策、全国に先駆けての県民集会(2月18日・八百名参加)の開催など次々と対策を講じてゐる。その中でご皇室防衛の県民統一戦線は確実に構築されつつある。今回の問題は戦後教育の欠陥に起因しており、ご皇室の真実を伝へる為の大々的な啓蒙活動に取り組むと共に、夏や秋にも講演会や集会を開催し、更には平成二十一年のご即位二十年奉祝を展望して行きたいと考えてゐる。戦後の皇室無視の教育が瀰漫する中にあつて、皇室の正しい伝統を護持せんと志す吾らが任務は重い。幕末越前の国学者橘曙覧の次の歌を心に刻み付けて戦ひ抜きたい。
大皇(おほきみ)の醜(しこ)の御盾(みたて)といふ物は如(か)此(か)る物ぞと進め真前(まさき)に
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