「道の学問・心の学問」第三十七回(令和3年2月5日)
伊藤仁斎に学ぶ⑩
「多言は憎みを取る。多動は謗りを招く。多学は徳を害す。多説は理を乱る。」
(「同志会筆記」2)
論語には、「巧言令色鮮し仁」(学而篇)「剛毅朴訥仁に近し」(子路篇)の様に、口数は少なく朴訥な者を高く評価してある。「仁者」と雄家とは関係が無い。仁斎は博学の持主だったが、日頃はそれを表さず、口数も少なかった。仁斎は、「多すぎる」事を嫌った。仁斎は、ここに紹介している言葉で自ら同学の門人達を戒めている。
「言葉が多すぎると人の怨みを買う。こせこせ動き回ると人の誹りを受ける様になる。むやみやたらと学習の領域を広げると人間の最も大事な徳を阻害する様になる。様々な説に触れて惑いが生じれば世の中の理が見えなくなってしまう。」「多言」「多動」「多学」「多説」によって生じる人間精神の分裂を警告しているのである。
更に多言の害について次の様に述べている。「徳は人を感化する本であり、言葉は言い争いの基になる。それ故、道を識(し)る者は徳を養う事を務めて言葉巧みになる事などは気にもかけない。もし徳を磨く事を務めなくて、徒に言葉を使って人を服従させようなどと思うのは、惑いの甚だしさを表している。」
東洋哲学の大家である安岡正篤氏は「知識・見識・胆識」を指摘して、単なる知識が、世の中を見通す見識となり、更には万難を排してそれを実行する胆識、肝の据わった見識まで磨き上げる事を教えた。胆識とは、微動だにしない心の据わりを指している。山岡鉄舟の事を評したと言われる西郷南洲遺訓の「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」に言う「始末に困る」人物も、「胆識」の人物を指している。いかにすれば、その様な人物に成れるのか。その修養の一歩として、仁斎のこの言葉を我々は実行すべきだと思う。
不必要な言葉は語らず、必要最低限の言葉を真心こめて発する、本心に無い修辞上の美言・美文は記さない事を守って行く事が大切である。先日、安岡氏の書を観賞する中で「龍見黙雷」という言葉を学んだ。『荘子』の中の言葉で、何もしないでじっとしているかと思うと、俄かに龍の如く現われ、静かに口数少なく黙っているかと思うと、忽ち雷の様な声を響かせるとの意味で、常人の如く見えて、非常の力量を備えている事を表す言葉だと言う。多言、多動、多学、多説を排し、不惑一貫の道を歩んで行きたい。
伊藤仁斎に学ぶ⑩
「多言は憎みを取る。多動は謗りを招く。多学は徳を害す。多説は理を乱る。」
(「同志会筆記」2)
論語には、「巧言令色鮮し仁」(学而篇)「剛毅朴訥仁に近し」(子路篇)の様に、口数は少なく朴訥な者を高く評価してある。「仁者」と雄家とは関係が無い。仁斎は博学の持主だったが、日頃はそれを表さず、口数も少なかった。仁斎は、「多すぎる」事を嫌った。仁斎は、ここに紹介している言葉で自ら同学の門人達を戒めている。
「言葉が多すぎると人の怨みを買う。こせこせ動き回ると人の誹りを受ける様になる。むやみやたらと学習の領域を広げると人間の最も大事な徳を阻害する様になる。様々な説に触れて惑いが生じれば世の中の理が見えなくなってしまう。」「多言」「多動」「多学」「多説」によって生じる人間精神の分裂を警告しているのである。
更に多言の害について次の様に述べている。「徳は人を感化する本であり、言葉は言い争いの基になる。それ故、道を識(し)る者は徳を養う事を務めて言葉巧みになる事などは気にもかけない。もし徳を磨く事を務めなくて、徒に言葉を使って人を服従させようなどと思うのは、惑いの甚だしさを表している。」
東洋哲学の大家である安岡正篤氏は「知識・見識・胆識」を指摘して、単なる知識が、世の中を見通す見識となり、更には万難を排してそれを実行する胆識、肝の据わった見識まで磨き上げる事を教えた。胆識とは、微動だにしない心の据わりを指している。山岡鉄舟の事を評したと言われる西郷南洲遺訓の「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」に言う「始末に困る」人物も、「胆識」の人物を指している。いかにすれば、その様な人物に成れるのか。その修養の一歩として、仁斎のこの言葉を我々は実行すべきだと思う。
不必要な言葉は語らず、必要最低限の言葉を真心こめて発する、本心に無い修辞上の美言・美文は記さない事を守って行く事が大切である。先日、安岡氏の書を観賞する中で「龍見黙雷」という言葉を学んだ。『荘子』の中の言葉で、何もしないでじっとしているかと思うと、俄かに龍の如く現われ、静かに口数少なく黙っているかと思うと、忽ち雷の様な声を響かせるとの意味で、常人の如く見えて、非常の力量を備えている事を表す言葉だと言う。多言、多動、多学、多説を排し、不惑一貫の道を歩んで行きたい。
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