私が研修局長として担当の責任者になって昭和62年8月に創始した「富士宮学生青年研鑽合宿(富士河口湖学生青年研鑽合宿)」が第100回を迎え、九州・近畿・首都圏から29名の大学生が参加して、8月上旬に開催された。
合宿4日目の8月4日、キャラバン隊長を一時交代して、合宿所へと向かった。100回記念に是非話をしてくれと依頼され、キャラバン隊の途中だから困ったが、野崎氏がこの日の隊長に駆けつけてくださり、交代して行くことが出来た。
100回記念の講義だから、テーマを「わが人生の師 吉田松陰」と題して、これまでの自分の人生と松陰先生を師と仰いで来た事について2時間、全力で講義を行った。その後、班別討論会にも参加して、戻り、夜のキャラバン隊行事に合流した。自分としても全力で話をしたのだと思う。帰路の新幹線の中で疲れて居眠りしてしまった。
研鑽合宿は5日に終了し、有志で5日深夜から富士登山を行っている。100回を越した研鑽合宿、愈々200回へ向けた歩みが始まる。
私は、第1回研鑽合宿の閉会式で、参加者に次の歌を送った。
巣立ち行く学びの友よ仰ぎ見し富士の如くに立てよ御国(みくに)に
今も、この思いは変わらない。
富士宮研修所から、日本を担う人材が陸続と生まれん事を期待している。
これまで、研修所を様々に支えてくださった全国の同志に心より感謝申し上げる。
尚、この合宿の最中の8月3日に、現在の研修所担当の清家君に長男が誕生した。奥さんは実家の福岡で無事出産された。心からおめでとうと申し上げる。100回記念の研鑽合宿の最中に生まれられた息子さんの名前を「百太郎」「研鑽太郎」にしようかなどと本人は冗談を言っていたが、今頃は福岡で奥さんと息子さんと対面している事だろう。
合宿4日目の8月4日、キャラバン隊長を一時交代して、合宿所へと向かった。100回記念に是非話をしてくれと依頼され、キャラバン隊の途中だから困ったが、野崎氏がこの日の隊長に駆けつけてくださり、交代して行くことが出来た。
100回記念の講義だから、テーマを「わが人生の師 吉田松陰」と題して、これまでの自分の人生と松陰先生を師と仰いで来た事について2時間、全力で講義を行った。その後、班別討論会にも参加して、戻り、夜のキャラバン隊行事に合流した。自分としても全力で話をしたのだと思う。帰路の新幹線の中で疲れて居眠りしてしまった。
研鑽合宿は5日に終了し、有志で5日深夜から富士登山を行っている。100回を越した研鑽合宿、愈々200回へ向けた歩みが始まる。
私は、第1回研鑽合宿の閉会式で、参加者に次の歌を送った。
巣立ち行く学びの友よ仰ぎ見し富士の如くに立てよ御国(みくに)に
今も、この思いは変わらない。
富士宮研修所から、日本を担う人材が陸続と生まれん事を期待している。
これまで、研修所を様々に支えてくださった全国の同志に心より感謝申し上げる。
尚、この合宿の最中の8月3日に、現在の研修所担当の清家君に長男が誕生した。奥さんは実家の福岡で無事出産された。心からおめでとうと申し上げる。100回記念の研鑽合宿の最中に生まれられた息子さんの名前を「百太郎」「研鑽太郎」にしようかなどと本人は冗談を言っていたが、今頃は福岡で奥さんと息子さんと対面している事だろう。
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