7月16日、福岡市で北朝鮮に拉致された日本人救出の為の集会と国民大行進が行われ、拉致被害家族の方々を始め500名が結集した。熊本からも救う会熊本を中心に10数名で駆けつけた。この集会実行の中心者の一人は福岡の黎明社代表の辻幸男氏であったが、辻氏は先月肝臓の3分の1を摘出する手術を行われたばかりだったが、車椅子で行進され、マイクを握って切々と訴えられていた。この行進に参加できるように逆算して手術を行われたとの事であった。
私も、辻さんから依頼を受けて、行進の際の広報車のマイク係を担い、町行く人々への訴えと行進全体のシュプレヒコールの先導を行った。学生時代からデモの先導をしたりしていたので、その役を仰せつかった訳だが、最近は日頃そのような腹の底からの大声は出していないので喉が直に枯れてしまったが、広報車に同乗していた女性の方が麦茶を汲んでくださり、何とか行進の間声を発し続ける事が出来た。渡辺通りから天神そして警固公園へと拉致被害者奪還、北朝鮮糾弾の声が響き渡った。行進に参加していた九州以外の、救う会神奈川や山口・広島・京都の方々からも自分の拠点で行進を行いたいとの決意が語られていた。
私が学生であった昭和50年前後には、この警固公園では極左による「反天皇集会」などが開かれ、私達は歯噛みをしたものだった。それから30年余が過ぎ今や、毎年、北朝鮮拉致事件を糾弾する我々の集会が、多くの市民の参加を得て500名規模で開かれるようになったのである。時代は変わった。そして国民の意識も大きく変わったのである。継続は力なりとの思いを愈々深くした。
私も、辻さんから依頼を受けて、行進の際の広報車のマイク係を担い、町行く人々への訴えと行進全体のシュプレヒコールの先導を行った。学生時代からデモの先導をしたりしていたので、その役を仰せつかった訳だが、最近は日頃そのような腹の底からの大声は出していないので喉が直に枯れてしまったが、広報車に同乗していた女性の方が麦茶を汲んでくださり、何とか行進の間声を発し続ける事が出来た。渡辺通りから天神そして警固公園へと拉致被害者奪還、北朝鮮糾弾の声が響き渡った。行進に参加していた九州以外の、救う会神奈川や山口・広島・京都の方々からも自分の拠点で行進を行いたいとの決意が語られていた。
私が学生であった昭和50年前後には、この警固公園では極左による「反天皇集会」などが開かれ、私達は歯噛みをしたものだった。それから30年余が過ぎ今や、毎年、北朝鮮拉致事件を糾弾する我々の集会が、多くの市民の参加を得て500名規模で開かれるようになったのである。時代は変わった。そして国民の意識も大きく変わったのである。継続は力なりとの思いを愈々深くした。
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