盂蘭盆の7月14日、昨秋亡くなった父の初盆法要を行い、翌15日の夜に精霊流しをして父を見送った。熊本市は盂蘭盆の7月にお盆を行う所が多い。だが、熊本市中心部での精霊流しは、終戦後途絶え、昨年の終戦60年を期して有志の手によって復活し、今年は2年目という事であった。この精霊流し復活の為に中心的役割を果たした方々の一人は、済々黌高校時代の同期生であった。
精霊流しは、熊本市役所の前を流れている坪井川で行われた。坪井川はかつて熊本城の内堀であった。日の暮れた午後7時半から受付順に流され、私の父の精霊船は171番目であった。一つ一つの船が流される度に故人の名前が2回読み上げられた。父の順番までの間に、日本会議熊本の副会長だった故岩田健一氏と故石原光太郎氏の名前が読み上げられ、お世話になった当時を思い感慨深くかつ悲しみが再び湧いてきた。戦後60年にして、伝統的な行事が復活された事に感謝しつつ、父の御霊を送らせて戴いた。
尚、この日、パレアでは日本青年協議会熊本『祖国と青年』の会主催による「日出る国日本」青年シンポジウムが開催され、100名を越す参加者が集った。テーマは皇室典範問題と皇室の伝統であり、30歳代の講師3人によるパネルディスカッションは非常に好評だったと言う。私は、参加できなかった訳だが、青年シンポジウム成功に尽力された方々に心から感謝の意を表する。
精霊流しは、熊本市役所の前を流れている坪井川で行われた。坪井川はかつて熊本城の内堀であった。日の暮れた午後7時半から受付順に流され、私の父の精霊船は171番目であった。一つ一つの船が流される度に故人の名前が2回読み上げられた。父の順番までの間に、日本会議熊本の副会長だった故岩田健一氏と故石原光太郎氏の名前が読み上げられ、お世話になった当時を思い感慨深くかつ悲しみが再び湧いてきた。戦後60年にして、伝統的な行事が復活された事に感謝しつつ、父の御霊を送らせて戴いた。
尚、この日、パレアでは日本青年協議会熊本『祖国と青年』の会主催による「日出る国日本」青年シンポジウムが開催され、100名を越す参加者が集った。テーマは皇室典範問題と皇室の伝統であり、30歳代の講師3人によるパネルディスカッションは非常に好評だったと言う。私は、参加できなかった訳だが、青年シンポジウム成功に尽力された方々に心から感謝の意を表する。
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