「道の学問・心の学問」第五十七回(令和3年6月15日)
貝原益軒に学ぶ⑯
「なまじひのつたなき詩歌を作り出して、心をくるしめ人にわらはれんよりは、古人のつくれるよき詩歌の、其時とその事にかなへるを吟ぜば、心をつくして悪しき詩歌を作らんよりは、はるかにまさりてたのしみふかゝるべし。」
(「文武訓」文訓上之末)
全ての武士の為に益軒は「文武訓」を著した。「文訓」(上・上之末・下・下之末)と「武訓」(上・下)からなっている。執筆年代は不明だが、他の十訓と同じく晩年の著作である。益軒は儒学者なので、漢詩や和歌の作品が残っているだろうと思い、全集を調べた事がある。しかし、漢詩は「存齋遺集」(存斎は益軒の兄)、和歌は「和軒吟草」「和軒續吟草」(和軒は益軒の兄楽軒の次男)が掲載されているだけで、本人の詩歌は無かった。
その理由が「文訓」の中の次の訓えで理解できた。「なまじ拙い詩歌を作り出して人に笑われるより、古人が作った素晴らしい詩歌を覚えて、それに適合する様な時や物事に出会った際に、その詩歌を吟じたならば、心を労してまずい詩歌を作るより、はるかに優れ、楽しみも深いであろう。」と。あくまでも益軒は謙虚な人であった。確かに古人の優れた詩歌は時間と言う長い審判の時を超えて伝えられて来ており、珠玉の言霊である。
生涯かけてしきしまの道を実践され、約十万首の御製(和歌)を詠まれた明治天皇でさえ、最晩年の明治45年に「敷島のやまと心をうるはしくうたひあぐべきことのはもがな」と、美しく歌い上げる事の出来る言葉を紡ぎ出す事の難しさを慨嘆され、和歌の道の奥深さを詠まれている。
益軒は、漢詩については、「古詩(詩経)三百編をよく口ずさんで鑑賞して、自分の心を養い、詩の教えの道を知るべきである。」と述べている。
だが、日本人は唐土の韻語に通じておらず、よほど学のある人でないと良い詩は読めないので、和歌を学ぶ事の方を推奨している。「和歌は、わが国の言葉で、あさはかな様に聞こえるが、言葉は風雅で古代の様に近く、心は和平で情が深い。それ故唐土の名家の詩にもその品格は劣る事は無い。」「日の本は、元々温和慈愛の国であるから、和歌も温雅にして情が深い。」と。
益軒は文訓の中で「一師五友」の事を記している。「一師五友は、学者(学問を志す人)で閑居し師友が居ない人が、無理に名付けた言葉だが、理が無い訳では無い。一師とは書物の事である。聖賢の書は師として尊ぶべきである。次に筆硯紙墨案の五は、自分の学問を助けるものである。常に使い慣れて友とすべきだ。学問に励む者の交わる所はこれを出る事がないが、その楽しみは極まりない。貧しい家では、一師を求める事は殊に難しい、更には五友の良い物を選んで用いることも容易くは無い。もし、これらの一師五友を得る事が出来たなら、其の楽しみは多いであろう。」
現代では、「一師五友」は書物と、ペン・ノート・パソコン・プリンター・机であろうか。確かに、良書を繙き、感慨や計画をノートに記し、原稿や議案をパソコンに打ち込み、発表したり印字したりする事の楽しみは何ものにも代えがたいものがある。
貝原益軒に学ぶ⑯
「なまじひのつたなき詩歌を作り出して、心をくるしめ人にわらはれんよりは、古人のつくれるよき詩歌の、其時とその事にかなへるを吟ぜば、心をつくして悪しき詩歌を作らんよりは、はるかにまさりてたのしみふかゝるべし。」
(「文武訓」文訓上之末)
全ての武士の為に益軒は「文武訓」を著した。「文訓」(上・上之末・下・下之末)と「武訓」(上・下)からなっている。執筆年代は不明だが、他の十訓と同じく晩年の著作である。益軒は儒学者なので、漢詩や和歌の作品が残っているだろうと思い、全集を調べた事がある。しかし、漢詩は「存齋遺集」(存斎は益軒の兄)、和歌は「和軒吟草」「和軒續吟草」(和軒は益軒の兄楽軒の次男)が掲載されているだけで、本人の詩歌は無かった。
その理由が「文訓」の中の次の訓えで理解できた。「なまじ拙い詩歌を作り出して人に笑われるより、古人が作った素晴らしい詩歌を覚えて、それに適合する様な時や物事に出会った際に、その詩歌を吟じたならば、心を労してまずい詩歌を作るより、はるかに優れ、楽しみも深いであろう。」と。あくまでも益軒は謙虚な人であった。確かに古人の優れた詩歌は時間と言う長い審判の時を超えて伝えられて来ており、珠玉の言霊である。
生涯かけてしきしまの道を実践され、約十万首の御製(和歌)を詠まれた明治天皇でさえ、最晩年の明治45年に「敷島のやまと心をうるはしくうたひあぐべきことのはもがな」と、美しく歌い上げる事の出来る言葉を紡ぎ出す事の難しさを慨嘆され、和歌の道の奥深さを詠まれている。
益軒は、漢詩については、「古詩(詩経)三百編をよく口ずさんで鑑賞して、自分の心を養い、詩の教えの道を知るべきである。」と述べている。
だが、日本人は唐土の韻語に通じておらず、よほど学のある人でないと良い詩は読めないので、和歌を学ぶ事の方を推奨している。「和歌は、わが国の言葉で、あさはかな様に聞こえるが、言葉は風雅で古代の様に近く、心は和平で情が深い。それ故唐土の名家の詩にもその品格は劣る事は無い。」「日の本は、元々温和慈愛の国であるから、和歌も温雅にして情が深い。」と。
益軒は文訓の中で「一師五友」の事を記している。「一師五友は、学者(学問を志す人)で閑居し師友が居ない人が、無理に名付けた言葉だが、理が無い訳では無い。一師とは書物の事である。聖賢の書は師として尊ぶべきである。次に筆硯紙墨案の五は、自分の学問を助けるものである。常に使い慣れて友とすべきだ。学問に励む者の交わる所はこれを出る事がないが、その楽しみは極まりない。貧しい家では、一師を求める事は殊に難しい、更には五友の良い物を選んで用いることも容易くは無い。もし、これらの一師五友を得る事が出来たなら、其の楽しみは多いであろう。」
現代では、「一師五友」は書物と、ペン・ノート・パソコン・プリンター・机であろうか。確かに、良書を繙き、感慨や計画をノートに記し、原稿や議案をパソコンに打ち込み、発表したり印字したりする事の楽しみは何ものにも代えがたいものがある。
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