「道の学問・心の学問」第五十回(令和3年4月27日)
貝原益軒に学ぶ⑨
「怒はつよく、欲はふかき故、是にかちがたし。力をつくして堪忍すべし。力よわければ、怒と欲にかちがたし。忍の字は、心の上に刃を書く。怒と欲の起るを断(たち)去ること、刃を以て切りたつが如くなるべし。」 (大和俗訓』巻之六)
益軒は、「様々な悪の多くは、怒りと欲とから生じる。人間に起こる七情(喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲)の中のこの二つが最も害を多く生じ、自分の身を損ない、人を損なう。恐るべきことである。」と述べ、「怒り」と「欲」を抑える事の大切さを説いている。
「怒りは「陽」に属し、火が物を焼く様なものである。起こりやすくて人を害し、心の徳を損なう事が甚だしい。怒りが湧いても、先ずは怒りを忘れ、心を和やかになして、その後に理(ことわり)の是非を見なければならない。怒っている時には言葉を出してはならない。怒る時に出す言葉には必ず道理に悖る事があり後悔する事が多い。謹んでこらえしゃべってはならない。人が言い行う事に悪い点があるならば、怒らずに愈々気を平に持ち、心を穏かにして、其の是非を詳細に語らねばならない。人が従わなくても怒って心を動かし、気を荒くしてはいけない。心気が和平でなければ、例え其の言う事が理に当っていても、その心は誤っている。まして怒って心を動かせば、その言う事が理に適うはずがない。」
「欲とは、唯財宝を貪る事だけでは無く、名利、酒食、好色、淫らな音楽、器物、酒宴、逸遊(気ままな楽しみ遊び)を好み溺れて、私を為すのは皆欲である。欲を塞ぐには、欲心が生じたなら、素早く欲を抑える事が重要である。既に欲が盛んになった状態では、心が迷い欲に打ち勝つ事は出来ない。欲が起こる時に早く塞げば、力を用いる事少くても効果は大きい。欲は「陰」に属するので、例えば水が人を溺らせる様に、溺れ易い。」
「怒りは強く、欲は深いので中々それに打ち勝つ事が難しい。それ故、力を尽くして堪忍せねばならない。力が弱ければ怒りと欲に打ち勝つ事は出来ない。忍の字は心の上に刃と書く。怒りや欲が生じた時に直ぐにそれを断ち切る事、刃を以て切りつける様にしなければならない。敵に向かって戦う様に、充分な力を用いねばならない。堪忍の工夫が無く、怒りと欲に勝つ事が出来なければ、日頃の学問も役に立たず、無益なものになってしまう。」
「怒り」と「欲望」は人間に課せられた二大命題であると言える。かつての修身教育の下では、年を重ねれば重ねる程、円満なる徳を備えた人物が輩出されていた。しかし、戦後は、欲望を解放し肯定する教育が盛んになり、年を重ねれば重ねる程、醜いエゴの鎧を身に纏った自己中老人が多数輩出されている。その様なエゴイストを見ると怒りが湧いて排除したくなるが、怒りを抑えるのが修身なのだと言い聞かせて、自分の血気を抑えている。易経が記す「陽」と「陰」の魔物である「怒り」と「欲」、それらに打ち勝つ「刃」=意志力を磨き、常に心の和平を保てる様に日々、事上磨錬して行かねばならない。
貝原益軒に学ぶ⑨
「怒はつよく、欲はふかき故、是にかちがたし。力をつくして堪忍すべし。力よわければ、怒と欲にかちがたし。忍の字は、心の上に刃を書く。怒と欲の起るを断(たち)去ること、刃を以て切りたつが如くなるべし。」 (大和俗訓』巻之六)
益軒は、「様々な悪の多くは、怒りと欲とから生じる。人間に起こる七情(喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲)の中のこの二つが最も害を多く生じ、自分の身を損ない、人を損なう。恐るべきことである。」と述べ、「怒り」と「欲」を抑える事の大切さを説いている。
「怒りは「陽」に属し、火が物を焼く様なものである。起こりやすくて人を害し、心の徳を損なう事が甚だしい。怒りが湧いても、先ずは怒りを忘れ、心を和やかになして、その後に理(ことわり)の是非を見なければならない。怒っている時には言葉を出してはならない。怒る時に出す言葉には必ず道理に悖る事があり後悔する事が多い。謹んでこらえしゃべってはならない。人が言い行う事に悪い点があるならば、怒らずに愈々気を平に持ち、心を穏かにして、其の是非を詳細に語らねばならない。人が従わなくても怒って心を動かし、気を荒くしてはいけない。心気が和平でなければ、例え其の言う事が理に当っていても、その心は誤っている。まして怒って心を動かせば、その言う事が理に適うはずがない。」
「欲とは、唯財宝を貪る事だけでは無く、名利、酒食、好色、淫らな音楽、器物、酒宴、逸遊(気ままな楽しみ遊び)を好み溺れて、私を為すのは皆欲である。欲を塞ぐには、欲心が生じたなら、素早く欲を抑える事が重要である。既に欲が盛んになった状態では、心が迷い欲に打ち勝つ事は出来ない。欲が起こる時に早く塞げば、力を用いる事少くても効果は大きい。欲は「陰」に属するので、例えば水が人を溺らせる様に、溺れ易い。」
「怒りは強く、欲は深いので中々それに打ち勝つ事が難しい。それ故、力を尽くして堪忍せねばならない。力が弱ければ怒りと欲に打ち勝つ事は出来ない。忍の字は心の上に刃と書く。怒りや欲が生じた時に直ぐにそれを断ち切る事、刃を以て切りつける様にしなければならない。敵に向かって戦う様に、充分な力を用いねばならない。堪忍の工夫が無く、怒りと欲に勝つ事が出来なければ、日頃の学問も役に立たず、無益なものになってしまう。」
「怒り」と「欲望」は人間に課せられた二大命題であると言える。かつての修身教育の下では、年を重ねれば重ねる程、円満なる徳を備えた人物が輩出されていた。しかし、戦後は、欲望を解放し肯定する教育が盛んになり、年を重ねれば重ねる程、醜いエゴの鎧を身に纏った自己中老人が多数輩出されている。その様なエゴイストを見ると怒りが湧いて排除したくなるが、怒りを抑えるのが修身なのだと言い聞かせて、自分の血気を抑えている。易経が記す「陽」と「陰」の魔物である「怒り」と「欲」、それらに打ち勝つ「刃」=意志力を磨き、常に心の和平を保てる様に日々、事上磨錬して行かねばならない。
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