「道の学問・心の学問」第四十九回(令和3年4月20日)
貝原益軒に学ぶ⑧
「私欲邪念と、気質の偏と、過と、此三の者ありては心術を害す。」
(大和俗訓』巻之三)
心の正しい在り方(心術)を損なう事として、益軒は「私欲邪念」「気質の偏(かたより)」「過(あやま)ち」という三つを指摘している。それぞれについての益軒言葉を紹介する。
「私欲とは、名利色貨(みょうりしょくか)の欲と言って、世間の評判を好み、利益や分け前を好み、色欲を好み、金銀貨幣を好む類、それに加えて耳、目、口、体が好む所の物を自分だけで独占する欲望の事を言う。邪念とは、人を虐げたり、人と怒って争ったり、自分の事を誇って他人を侮り、人を嫉んだり謗ったり、人におもねり、人を欺いて偽る類の事を言う。これ等は皆邪悪の心であり、もしこれらの事が僅かでも生じたなら、速やかに去らねばならない。そうしないと心を害する事が甚だしくなる。」
「気質の偏りがあれば、それに打ち勝たなければならない。気質の偏りとは、生れながらに自分の性格のどこかに欠点がある事を言う。気が荒かったり、騒がしかったり、又柔らかすぎて弱かったり、或は気がせっかちだったり、鈍くてゆったりしすぎているなど、或は、生れつき怒りっぽかったり、欲が深かったりする事を言う。これ等は皆気質の偏りによるものであり、心を害する。だが、気質の悪い所を変化させる事は極めて難しい。平生から心を用いて、これ等の気質の偏りに打ち勝つ努力を積み重ねなければならない。」
「過ちがあったならば、速やかに改めなければならない。過ちとはわざと悪を行うのでは無く、物事の是非を知らなくて、意図せずに道理に背く事を言う。気質の偏りや、私欲の妨げによって過ちを犯してしまう事が多い。人間は聖人では無いので、誰でも過ちを多く犯してしまう。それ故、過ちだと解ったなら、速やかに過ちを改めて善に移らねばならない。未練がましく思い切らずにまごまごしていてはならない。」
過ちを速やかに改めた上で「直ちに一歩踏み出す」事の重要性を説いているのは西郷南洲である(『西郷南洲遺訓』)。私は、学生の頃から南洲遺訓を座右として来たので、その点は常に留意して来た。「私欲」は、日常生活の質素倹約を務めればかなり抑制する事が出来る。
難しいのは、「邪念」であり、それを生み出す基となる「気質の偏」である。益軒は『五常訓』の「智」の項で、自らを知る事の難しさを強調しているが、自らの有する偏りに人は中々気付けないものである。他者に対する「明」は持ち得ても自分に対しては「暗」である事が多い。私はせっかちな方なので、事を運ぶのが鈍く遅い人と仕事を共にすると、イライラして来る。その時に、呼吸を静かにし、心を落ち着かせて「人には夫々の気質があり、自分と同じではない。仕事を共にしてくれているだけでも有難い事なのだ。」と思う様にしている。それでも中々気質の偏を是正する事は難しいが、打ち勝つ努力を積み重ねるしか無い。
貝原益軒に学ぶ⑧
「私欲邪念と、気質の偏と、過と、此三の者ありては心術を害す。」
(大和俗訓』巻之三)
心の正しい在り方(心術)を損なう事として、益軒は「私欲邪念」「気質の偏(かたより)」「過(あやま)ち」という三つを指摘している。それぞれについての益軒言葉を紹介する。
「私欲とは、名利色貨(みょうりしょくか)の欲と言って、世間の評判を好み、利益や分け前を好み、色欲を好み、金銀貨幣を好む類、それに加えて耳、目、口、体が好む所の物を自分だけで独占する欲望の事を言う。邪念とは、人を虐げたり、人と怒って争ったり、自分の事を誇って他人を侮り、人を嫉んだり謗ったり、人におもねり、人を欺いて偽る類の事を言う。これ等は皆邪悪の心であり、もしこれらの事が僅かでも生じたなら、速やかに去らねばならない。そうしないと心を害する事が甚だしくなる。」
「気質の偏りがあれば、それに打ち勝たなければならない。気質の偏りとは、生れながらに自分の性格のどこかに欠点がある事を言う。気が荒かったり、騒がしかったり、又柔らかすぎて弱かったり、或は気がせっかちだったり、鈍くてゆったりしすぎているなど、或は、生れつき怒りっぽかったり、欲が深かったりする事を言う。これ等は皆気質の偏りによるものであり、心を害する。だが、気質の悪い所を変化させる事は極めて難しい。平生から心を用いて、これ等の気質の偏りに打ち勝つ努力を積み重ねなければならない。」
「過ちがあったならば、速やかに改めなければならない。過ちとはわざと悪を行うのでは無く、物事の是非を知らなくて、意図せずに道理に背く事を言う。気質の偏りや、私欲の妨げによって過ちを犯してしまう事が多い。人間は聖人では無いので、誰でも過ちを多く犯してしまう。それ故、過ちだと解ったなら、速やかに過ちを改めて善に移らねばならない。未練がましく思い切らずにまごまごしていてはならない。」
過ちを速やかに改めた上で「直ちに一歩踏み出す」事の重要性を説いているのは西郷南洲である(『西郷南洲遺訓』)。私は、学生の頃から南洲遺訓を座右として来たので、その点は常に留意して来た。「私欲」は、日常生活の質素倹約を務めればかなり抑制する事が出来る。
難しいのは、「邪念」であり、それを生み出す基となる「気質の偏」である。益軒は『五常訓』の「智」の項で、自らを知る事の難しさを強調しているが、自らの有する偏りに人は中々気付けないものである。他者に対する「明」は持ち得ても自分に対しては「暗」である事が多い。私はせっかちな方なので、事を運ぶのが鈍く遅い人と仕事を共にすると、イライラして来る。その時に、呼吸を静かにし、心を落ち着かせて「人には夫々の気質があり、自分と同じではない。仕事を共にしてくれているだけでも有難い事なのだ。」と思う様にしている。それでも中々気質の偏を是正する事は難しいが、打ち勝つ努力を積み重ねるしか無い。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます